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[国語] 新聞コラムの読解について
- 「ニュースの本当の価値」とは、どういう価値を指しているのか具体的に教えてください。
- 萩本欽一さんと坂上二郎さんのコンビ「コント55号」の人気や大相撲の八百長問題について触れられています。
- 震災を通じてマスメディアが大騒ぎしていたニュースの本当の価値が教えられたと感じる瞬間について述べられています。
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>下記新聞社、ネットコラムにある、「ニュースの本当の価値」とは、どういう価値を指していますか? : たとえば、「ニュース報道というものの本来の意義(価値)」ということではないか、と思います。 太陽の光が月や星を隠すように、震災はそれまでマスメディアが【本来の意義から逸脱する傾向を示しつつ】大騒ぎしていたニュースの本当の価値(あり方)を教えてくれたような気がする。 という意味で、つまり、それまで(震災前)のニュースは、視聴者の歓心を買うこと【だけ】が目的であるかのような印象を受けるほど表面的な大騒ぎしているような印象を与える傾向にあった、ということでしょう。 では、震災前と震災後では何が違ったのか。 震災前であれば、 「▼日本相撲協会は、特別調査委員会が八百長に関与したと認定した幕内、十両力士ら二十三人に、事実上の角界追放となる「引退勧告」などの厳罰を通告した。証拠もなく切り捨てられたとして、裁判を起こす構えの力士もいる」 というニュース報道に終始したことだろう。 これが言ってみれば星であり月ですね。 たしかにそのとおりだし、あるには違いないのだが、太陽という強烈な光によってもっと重要な事柄に焦点が当たった。 この太陽というのが今回の震災を指しているわけで、この震災によって、 「▼大津波で相撲の稽古場が流された岩手県大槌町の大槌中学は、全国大会の常連校だ。横綱白鵬はサイン入りのバスタオルなどを贈った。東北地方出身の力士も多い。これからも「国技」を名乗るなら、角界として、被災地のためにできることを模索し続けてほしい。」 というニュース報道が(手前味噌ではあるが)成立する可能性をもたらした。 このように大相撲の八百長問題のニュースに関して言えば、 「国技」を名乗る以上、後の世代への影響という大局的見地に立って行動すべきであるし、ニュース報道としても、その点を重視すべきであるだろうし、これがニュースの本当の価値ではないだろうか。 というようなことを言っているのだろうと思います。 ただ、このコラムの言いたいことはわかるのですが、ちょっと端折りすぎていて前後の脈絡が掴みづらいのが難点ではあるような気もします。
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NO.1,2です。 お礼に対する補足です。今までの他の方の回答の通り、この文章は話題があっちこっちに飛びすぎていると感じます。それで筆者の主張が曖昧になっています。また、論理の展開も丁寧ではありません。普通、この長さの文章で主張したい事柄は1つです。それがこの筆者の展開の悪さによっていくつも見えてきます。コント55号、戦後の高度経済成長、力士の裁判。それらの主張は筆者の論理を展開する上では必要どころかうしろ不必要であると考えるのは私だけでしょうか。また、筆者の主張したい事柄自体も不明確です。最後は相撲界への提言で終わっています。しかし途中でニュースの価値にも言及しているので、そちらが主張したい内容と誤解されかねません。 さて、どの様な解が適切か。曖昧な文章ゆえに解も曖昧になってしまいます。ただ、この文章から普通の人が解釈するのは『今までのニュースは大したものではない』という考えのはずです。ではその根拠は何か考えてみましょう。 <太陽の光が月や星を隠すように>とあります。月も星も夜空で輝く星です。そして太陽も星です。太陽、月、星の全ては『輝く』という点において同じです。同様に、筆者にとっての『太陽の光』とはここでは大地震です。そして『月や星』は『坂上さんの死も、京都大学などで発覚した携帯電話を駆使したカンニング問題も、前原誠司前外相の辞任』です。ここでの比喩の意味はこうです。大地震という太陽の光は坂上さんの死などの月を隠してしまった、と。 前の回答で私は様々な可能性を提示しました。その中で次の3つが妥当と思われます。 〇:今までのニュースは大して重要でなかったという軽い『侮蔑』。 〇:大したニュースを大騒ぎする現代文明に対する一種の皮肉。 〇:どうして私達はあの程度のニュースに騒いでいたのだろう。 一番下は違います。このニュースは私達の意識を批判したものではありません。私達の意識を批判するのなら、これだけ多くのニュースを出す必要がありません。 以前の回答の2は不適切です。2のAのαの幸せ論を今回は論じているのではありません。幸せという単語は一度も出ていません。βのニュースを褒めるのも今回は違います。このようなニュースは大体は『批判』が目的で書かれています。ほめるのは批判ではないのでそもそもメディアにとっては目的が違います。 一番上か真ん中。このどちらかが解になります。答えは一番上です。もし真ん中を主張したいのなら現代文明を批判する為の材料をもう少し加えるからです。現代文明を否定する為にはこの文章では弱すぎます。現代文明よりもニュースがこの文章の主題です。だからこそ一番上です。すなわち <下記新聞社、ネットコラムにある、「ニュースの本当の価値」とは、どういう価値を指していますか?> の回答は 『坂上さんの死の価値』と『京都大学などで発覚した携帯電話を駆使したカンニング問題の価値』と『前原誠司前外相の辞任の価値』と『大相撲の八百長問題の価値』 これらのニュースとしての価値は 今までのニュースは大して重要でなかったという軽い『侮蔑』。 です。
お礼
何度もおつきあい頂きありがとうございました。 論理的な文章でとてもさんこうになりました!
- hakobulu
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#3です。 >ただ、報道姿勢をより完全な物(ある意味、ジャーナリストと政治家の両視点を持つ)にするという決意のような物に感じますが、そう見ると、相撲を例に出すのは、大きな問題に対して、少し役不足ではないかという感じを受けます。 : 決意というほど大げさなものではなく、震災によってふと気づかされたことを書いただけだと思います。 相撲の八百長が例にあがったのは、他の例も同様ですが、単に震災前には「大騒ぎして」報道されていた事柄だからというだけの理由でしょう。 「本当の価値」よりも「本質的な価値」「本来の価値」のほうが私的にはしっくりきますが。 >作者なりに、分かり安く解説する努力なのでしょうかね? : 相撲の八百長が、誰でも知っているという点で、おっしゃるとおりの意図があったのでしょうね。
お礼
補足頂きありがとうございます。 とても参考になりました!
私もNO.4 さんの印象に近いものを感じました。 >震災はそれまでマスメディアが大騒ぎしていたニュースの本当の価値を教えてくれたような気がする。 ニュースというものは所詮次から次に新しいもの(価値がある)が古くなったもの(価値がない)を駆逐して入れ替わっていくものなので、マスメディアに取ってはどんなニュースでも基本的に消費物に過ぎないのは常識です。”本当の価値”などとしたり顔で言えた立場か、何をいっているんだ、というのが私の正直な印象ですね。 とはいっても、それらマスメディアが大騒ぎする雑多なニュース群を受け取って記憶にとどめていくわれわれとしては、その立場に応じて、またわれわれ自身の持っている価値観にもとづいてそれらのニュースから得られる情報を(マスメディアの取り上げ方の大小に関わらず)、これからの人生に資するものを取捨選択して蓄え、直接に、または間接的に教訓などとして生かしていくということになると思います。ま、これは常識ですが。 この筆者がそういうことを述べているわけでもないと思いますが、せいぜい深読みすれば、彼は坂上さんの死、そして大相撲の八百長事件は”(彼に取っては)価値があると思うので”忘れないで欲しい、と読者に主張しているのかも知れません。 個人的な印象です。
お礼
回答いただきありがとうございます。 わかりにくい文章ですし、真意は意外とそういったところかもしれませんね。
回答ではありませんがひとこと。 そのコラムですが、まとまりののない文章の羅列で読んでイライラします。 そういう読み物ですから、書いてあることだけで、「ニュースの本当の価値」の文言に焦点をあててもあまり意味がないような気がします。
お礼
コメント頂きありがとうございます。 わかりにくいですよね。私と同じ感覚を持っている人がいて安心しました。 ただ、以前学校の先生が、コラムを要約すると読解力が付くから要約する訓練をしなさいと言われたことがあり、今でも、気が向いた時には結構読んだりしています。
NO.1です。<震災はそれまでマスメディアが大騒ぎしていたニュースの本当の価値>についての追加です。 これは解釈の仕方は幾らでもあります。 1:今までのニュースは大して重要でなかったという軽い『侮蔑』。 A:なぜ世界の他のもっと重要なニュースを放送しなかったのかという怒り。同じ様な事件は幾らでもある。 B:大したニュースを大騒ぎする現代文明に対する一種の皮肉。 C:どうして私達はあの程度のニュースに騒いでいたのだろう。 2:今までのニュースは大して重要でなかったので A:今までは平和であった α:から平和を再確認できた。失って初めて分かる幸せ。 β:その平和を教えてくれる素晴らしいニュースだったのだ。 これ、数字、アルファベット、ギリシャ文字の順に読んでいって下さい 人間の感情、人間の思想は複雑に絡み合っています。どれかひとつだけに特定することは困難かと思います。食べ物で、ひとつだけしか元素が含まれていない物質はありません。たとえるなら、人間の感情は食べ物に似ているのではないでしょうか。
お礼
回答いただきありがとうございます。 確かに、色々な感情はあるでしょうが、悪問テストの選択肢で出た場合、どのような解を出しますか? 新聞やテスト(著書ではなく出題者)には明確な主張や解がありますので、曖昧ではちょっと辛いですね。
折角質問してくださったのに揚げ足を取るようで申し訳ありませんが、『ニュースの本当の価値』ではなくて設問では『それまでマスメディアが大騒ぎしていたニュースの本当の価値』が正しいと思います。 と、いうのも『ニュースの本当の価値』では『何のニュース』か分からないからです。テレビで放送していたニュースだと読み手が判断できればまだしも、小学生が日記に書いていたニュース(話題)の価値を指していると読み手が判断してしまうと困ってしまいます。酒場では色恋沙汰をニュースと考えることもありますから『ニュースの本当の価値』を『恋愛事情』とも解釈できます。 また、『ニュースの本当の価値』では文法的に考えて情報が不足しているとも思います。『それまでメディアが大騒ぎしていた』は『ニュース』を詳しく説明する(=修飾する)部分です。その該当部位(ここではニュースですね)を詳しく説明する(=修飾する)部分を取り去ってしまうと意味が曖昧になってしまいます。気をつけて下さい。 さて、素直に読んで優等生的に回答するなら 『坂上さんの死の価値』と『京都大学などで発覚した携帯電話を駆使したカンニング問題の価値』と『前原誠司前外相の辞任の価値』と『大相撲の八百長問題の価値』のことを指します。 考え方です。 今回は『ニュースの価値』なので、当てはまるのは『名詞』です。名詞として当てはまるのはニュースの価値となる事柄です。ニュースとなるものとして上の4つ <『坂上さんの死』と『京都大学などで発覚した携帯電話を駆使したカンニング問題』と『前原誠司前外相の辞任』と『大相撲の八百長問題』> が挙げられます。<萩本欽一さんと坂上二郎さんのコンビ「コント55号」>はニュースではありません。と、いうのもニュースとは『世間を驚かせるような大きな衝撃』を含んでいるからです。コント55号は面白いです。しかし『世間を驚かせるような大きな衝撃』は含んでいません。コントで相方をどついても世間はハラハラしません。コントをしても会場のお客さんは驚いた上に衝撃は受けません。それでコント55号は不適切です。そして4つのニュースに『の価値』をつけて出来上がりです。 しかし裏まで読むと、そもそもこのコラムは一面的です。 坂上さん本人にとって、地震はそれ程大きな事件ではないかもしれません。あなたも考えてみてください。『あなた自身が死ぬ』のと、地震で『知らない人が大勢死ぬ』のはどちらが大きな事件ですか? 今回、知らない人が大勢亡くなりましたが、あなたは彼らの代わりに死ぬことは出来ますか? 半分くらいの人は『死ねない』と答えるのではないでしょうか。 京都大学のカンニング問題も同じです。逮捕された学生にとっては今回の事件は大地震よりも一生を左右する出来事に違いありません。 前原さんの辞任もそうかもしれません。 沖縄に住むちゃんこ専門店の人にとっては大地震よりも大相撲の八百長問題の方が致命的かもしれません。地震があっても収入はそれ程減らないかもしれませんが、相撲の名誉が転落すればお客がちゃんこを食べに来てくれなるのは確実そうです。 偉そうにしてすみませんでした。
お礼
丁寧な回答頂きありがとうございます。 とても説得力があり、 >『坂上さんの死の価値』と『京都大学などで発覚した携帯電話を駆使したカンニング問題の価値』と『前原誠司前外相の辞任の価値』と『大相撲の八百長問題の価値』のことを指します。 についてはよく分かりました。 ただ、これがニュースとしてどの様な価値を持っているのでしょうか? つまり、ジャーナリズムというかシリアスさの無い、平和なニュースは本当の意味で価値があったという主張なのでしょうか? このコラムを書いた人が、ニュースという言葉に、どの様な価値があると信じているのか知りたく思っています。 また、設問の書き方が不適切であった用です。すみません。 言葉は伝えるだけでも本当に難しいですね・・・ >偉そうにしてすみませんでした。 いいえ、とんでもないです。とても助かります。
お礼
回答いただきありがとうございます。 確かに言われてみると、そんな気もします。 ただ、報道姿勢をより完全な物(ある意味、ジャーナリストと政治家の両視点を持つ)にするという決意のような物に感じますが、そう見ると、相撲を例に出すのは、大きな問題に対して、少し役不足ではないかという感じを受けます。 作者なりに、分かり安く解説する努力なのでしょうかね?