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源氏と平氏の由来の違い
源氏も平氏も、臣籍降下した際に名乗る氏であると思うのですが、 どちらの氏になるかは、どうやって決まっていたのでしょうか? なお、平家は、平氏の一部であるとの理解です。 よろしくお願いします。
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・平安時代のはじめ、桓武天皇の頃までは、その都度いちいち名前を考えていた。 橘、高階、清原、在原など(主に、先祖の天皇の通称に因んで)。清原氏は「飛鳥浄御原のみかど」つまり天武天皇の子孫 ------------------------------------------------ ・嵯峨天皇(桓武天皇の子)は、皇太子と数人の皇子以外の沢山の御子達全員に、一律に「源」の姓を授けて臣籍降下させた。これが源氏のはじまり。 ・また、嵯峨天皇は自分の兄弟の子(つまり甥たち)、またはその子たちをも臣籍降下させ、彼らにはまとめて「平」の姓を与えた。彼らはみんな桓武天皇の孫やひ孫ですから、桓武の作った「平安京」にちなんだ姓とした。 ------------------------------------------------ ※源氏も平氏もどっちも嵯峨天皇が自分を基準として、「直系の子孫を源氏」、「傍系の子孫を平氏」としたのが始まり。 ------------------------------------------------ ・「源」も「平」も、いろんな天皇から分かれたもので、すべてが同じ一族というわけではない。 ・一般的に格も諸「源氏のほうが上」です。(直系と傍系の差) ・最初の源氏である嵯峨源氏が誕生する時、嵯峨天皇の詔で、「既に親王号・内親王号を許されている人は臣籍降下してはならない」と決められた ・源氏・平氏は基本的に公家で、武家はごく一部の系統のみ ・源氏が全部で21系統あったとされるのに対し、平氏はわずか4系統 ------------------------------------------------ ※嵯峨天皇の前例にならって、「天皇の子供は源、天皇の孫以下は平(嵯峨天皇からみたら傍系だけど桓武天皇からみたら孫だから)」が最初ころのの原則だった。時代が流れて、「源」がメジャーになったため、臣籍降下するものはぜんぶ「源」になった。 ------------------------------------------------ 平氏 > 「平」姓の氏のこと 鎌倉時代の北条家や三浦家なども、平氏ですが、居住地域等から苗字を名乗った。 平家 > 平氏の中でも「平」姓のままでいる平氏で苗字を名乗ってない。 伊勢平氏の中で、平姓のままだった平清盛の一族だけを指します。 源姓の方も、源氏の他に「源家」という言い方はありますが、数がかなり多いので、「複数の源家」の総体という意味で、源氏の呼称が一般化してます。 ------------------------------------------------ 参考 http://kazeoto.com/heike-007.html http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1344086703 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1313588118
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- amuro-rei
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それも繰り返すけど 嵯峨源氏、村上源氏、宇多源氏それもすべて天皇の名前を冠してる。 その天皇を始祖としてるって意味でしょ?
- amuro-rei
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はぁ・?? 平家は平氏の一部ってどんな意味?一族ならまだ意味がわかるのだけど。 とりあえず答えとしては、それぞれ天皇家から傍流になるに当たって 始祖の天皇の名前を取って桓武平氏と清和源氏と呼ばれてるのも知らんの? つまり意味が違うんだよな・・。 どちらも天皇家って考え方でなくルートマップのように別れたところで別物になってるわけ
補足
ご回答ありがとうございます。 「一族」ですね、失礼しました。 また、桓武平氏と清和源氏や、 源氏にも、嵯峨源氏、村上源氏、宇多源氏等があるのも存じています。 その場合、なぜ桓武源氏や清和平氏ではないのか、というのが疑問です。 よろしくお願いします。