wikiに書いてありませんが、肉食解禁になった歴史は、明治からです。
また、自分の母親の家系が、軍に肉を納める関係で、明治から戦前まで
肉屋をしていましたので、それを足してお答えします。
● 明治2年(1870年)日本海軍が牛肉を栄養食として採用しました。
● 明治5年(1873年)1月24日、明治天皇が国民に肉食を促すため、牛肉を食べました。
これにより、実質的に肉食の解禁となりました。
もっともこの肉食の奨励も外圧によるところが大きく、牛肉を気味悪がっている人たちが
牛肉を食べている外国人を気味悪がるのを押さえるもくろみがあったようです。
この当時の外国人といえば「肉を食べ、血を飲む」と思われていたからでしょう。
ちなみに「血」とは赤ワインのことです。
● 同年4月25日「僧侶の妻帯肉食」の解禁。
● 明治に入る直前くらいから「牛鍋」を生業とする人たちが出てきました。
居留地などで牛肉などが手に入ったためでしょうか、長崎・横浜などに出来たようです。
これにより、日本人にも牛肉を食べる機会が与えられました。とはいえ、
最初はなかなか繁盛しなかったようです。
ここからは、母親の話ですが、最初は肉は中々受け入れられなかったようです。
しかし、次第にめずらしい物が好きな人たち、軍人の間ではやりはじめました。
家庭で食されるようになった調理方法は、七輪で焼いて食べたとの事です。
生ではさすがに食べる事は無く、アジの干物やサンマを焼いて食べるがごとく、
また、数回食せるよう薄く切り、焼き、醤油(今で言うたれ)に付けて食べる事が
一般的だったそうです。
料亭では、肉食は鍋で出され焼肉として出される事は無かったそうです。
そもそも客間に肉を焼く為に七輪を持ち込む事は絶対に無く、
また客に最終的に調理を任せる料理など当時はありませんでした。
焼肉という料理が、戦前から食されていながら店舗としての焼肉屋が無かったのは
そう言った理由からです。
現在もこの状況に似た料理があります。それはバーベキューです。
キャンプ等に行けば、バーベキューはテッパン中のテッパン料理ですが、
バーベキューをメインとして店舗として出すとこは殆どないです。
(バーベキュー・店で検索すれば、多少出ますが、一般的に思われている
調理方法とは、別の物です。)
では、なぜ今の焼肉が、朝鮮料理であるがごとく思われているのでしょうか。
それは戦後、肉類の卸し業を朝鮮人が押さえたからです。当時関西では
東亜何とかと言う会社です。東京は、また別に朝鮮人の会社が押さえました。
(これによりうちの母親の家系は、肉を仕入れ出来なくなりました。)
肉食は儲かると思ったのでしょう。そして肉を朝鮮人経営の店に優先的に
流すようになり、焼肉があたかも朝鮮料理であるかのごとく宣伝されて行ったのです。
これが、事実です。
マスコミや適当な評論家の言う事は、間違いです。
在日朝鮮人に話をするとアホな事を言いますが、本国の韓国人は、焼肉は
日本の料理とわかっています。
焼肉を焼く為の料理器具である七輪・コンロの原料である珪藻土は、
極東アジアでは、日本の石川県でしか産出できません。また韓国に行っても
コンロは、コンロ日本語です。
また、調理前の肉を薄切りにする習慣は、日本・台湾・朝鮮半島しかありません。
肉の調理法、調理器具の名称から見ても焼肉は日本料理とはっきり言えます。
お礼
なるほど、そういう歴史があったんですね とても参考になりました、ありがとうございました。