伊勢神宮の起源を知れば理解できます。
壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)が、吉野から逃れ
伊勢に入った時、国司初め多くの国人の助けを受け、
これが勝利の元になった。
のちの柿本人麿呂の歌の中に
行く鳥の 争うはしに 渡会の斎宮ゆ
神風に 伊吹きまどはし
伊勢の神風で大海人皇子の勝利が決まったとの意。
天武天皇はお礼に国人の信仰厚い渡会(今の三重県
明和辺り)の狭く簡素な斎宮を、五十鈴川のほとりに
立派な社殿を建立し移すこととした。
生存中は完成せず、持統四年に完成し、伊勢皇大神宮
の第一回遷宮を行った。
天武天皇の私的皇祖祭祀場と見られたようです。
持統六年の伊勢神宮御親拝にあたり、強い反対が
あった。
それ以降明治まで約千年間天皇の伊勢御親拝は
行われなかった。
道鏡の事件で、御神託を仰いだのは、宇佐神宮、
後白河法皇は33回も熊野神社詣を行ったのに、
伊勢詣はない。
もうひとつ「逆説の日本史」の井沢元彦氏の説。
天武天皇の血統は称徳天皇で途切れ、光仁天皇から
まえの天智天皇の血統に戻り、それが続いたためでは
ないかと。
天武系の他の天皇の時代にも伊勢行幸はなかったので
これは関係は薄いようです。
それなのになぜ伊勢神宮は庶民に人気がある。
一つは天武天皇が、律令制度とともに定めた20年
式年遷宮が庶民の注意を惹くから。
庶民は大行事が好き。 戦乱で遷宮が中断された
時代は庶民の関心はありませんでした。
清流五十鈴川の畔で環境が素晴らしい神社だから。
天武天皇の鑑識眼の高さです。
建立は勇み足かも知れませんが、お蔭で江戸時代j以降
民衆の楽みになりました。
お礼
回答ありがとうございます 個人の私的祭祀場という位置づけですか それならよく分かります