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不発弾群が徐々に出て来るのは何故の事なの?
大阪市中央区の大阪城付近(森之宮地域)では是迄にも何度も不発弾が発掘され、その度毎に撤去作業予定日を発表し、交通を停止させていますが、一気に見付かる分量が少ない理由が分かりません。 当事者にしか分からない部分もが少なくない、とも勿論乍ら思われますが、予想され得る理由を考えてみて頂けませんでしょうか? よろしく御願い申し上げます。
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- fmxcv21
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単純な理由としては、でたらめにあちこちに色々な深さで埋まっているせいです。 第二次大戦時、特に軍需工場があった辺りは雨あられの様に爆弾が落とされたわけですが、 当時は自由落下爆弾で、それこそ砂利を撒くように大量にばらばらにまかれて、基本的には落ちたところで爆発するわけです。 その中で不発だった物の一部か全部が地面にめり込んでしまうのですが、爆弾の重さや環境にによってもめり込む深さも違って5m~15mくらい地面にめり込んでしまいます。 爆撃されていた土地を数キロメートル四方全て、20mも掘り下げれば全部見つかるのでしょうけれど、これは現実的な話ではないですしね。
- Yodo-gawa
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処分に困ったためのイケコミじゃなければいいんですが・・・。
- WPY11_4548
- ベストアンサー率44% (111/251)
不発弾を探して見つけている訳ではなく、造成時に掘り返して初めて見つかるモノなので、どうしても一度に見つかる数は限られます。 不発弾が発見されても、気にせずさらに掘り進めれば一度に処理できる数は増えるかも知れませんが…信管の付いたままの爆弾の近くに重機を入れて作業することの危険性は容易に想像できると思います。 さらに大阪城近辺(森之宮~京橋)には特殊な事情が重なっています。 1つ目)そもそも不発弾が沢山出てくる 戦前戦中、大阪城東側の広大な敷地に陸軍砲兵工廠がありました。アジア最大の軍需工場です。 アメリカとしては日本の継戦能力を殺ぐ為、これの破壊は優先度が高く爆弾投下量が多かった→一定割合で発生する不発弾も多かった。 2つ目)歴史遺跡が多い地域で造成に時間がかかる 大阪城南側の難波宮をはじめとして豊臣時代の大阪城外郭など、考古学的に価値のある遺跡が多く埋もれています。 それゆえ不発弾以外にも遺跡が見つかる事も多く、その度に学術調査が入って掘削作業が遅れます。 掘削が遅れるということは一度に掘れる面積が限られると言う事ですから、同時に見つかる不発弾の数はどうしても少なくなります。
爆弾の爆発は、信管が必要です。 信管は、ある程度の衝撃には耐えないと誤爆します。 でも、着地時点で衝撃が少なければ(=木造家屋の 屋根を突き破った程度では)、爆発しないかも知れませ んね。焼夷弾は、火災を目的としていますが、爆弾は 構造物の破壊を狙っていますから、衝撃が強くないと 爆発できません。 戦後65年以上にもなって不発弾があるのは、焼夷弾 ではなく爆弾ですから、木造家屋などに命中し、爆発 せずにそのまま埋没したものと考えるのが自然です。 最近のクラスター爆弾も、不発弾が大問題ですが、 信管は1~2年で風化して機能しなくなるような設計 にしないと、不発弾の爆発事故が続きますよね。 爆弾投下後にただちに不発弾の処理できれば、不発弾 撤去は不要ですが、戦時中~戦後では混乱期ですから ムリです。土木工事中に、紡錘状か円柱の金属の塊り があれば、自衛隊の爆発物処理班の出動です。 ・・・しかし、自衛隊といえども、埋もれている不発弾まで 探すことは困難なので、見つけた都度処理ですね。 だから、都市部の再開発ごとに不発弾撤去は続きます。 ま、交通規制にはご協力をお願いします。
- sutorama
- ベストアンサー率35% (1689/4748)
http://www.cbr.mlit.go.jp/meishi/jimusho-annai/kisha/101104/101104.pdf (1)調査してもこれだけの数が反応してしまう(上記参照) (2)不発弾が発見される深さが3~5メートルであること (3)家屋などの解体工事後、鉄くずなどをその場に埋めて逃げる業者がいること などかなと、思います