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なぜ人は悲しい映画やドラマを見るのか?
- 人は悲しい映画やドラマを見る理由について考えてみましょう。色々な映画やドラマを見る人々は、人の死や別れ、災難などのストーリーに感情移入し、涙を流すことがあります。しかし、なぜわざわざ自分を悲しい物語にさらすのか。この疑問には、心理的な要素が関与していると考えられます。
- 「他人の不幸は蜜の味」という言葉があるように、人間の心理には他人の不幸に共感する傾向があります。悲しい映画やドラマを見ることで、自分の感情を他人の物語に重ね合わせることができるため、心地よさや共感の快感を得ることができるのです。
- また、悲しい映画やドラマを見ることによって、自分自身の感情を解放するという効果もあります。普段は抑え込んでいる感情を映画やドラマの登場人物に投影することで、自分の感情の整理や解放ができるのです。これにより、見ている自分自身が落ち着くのだといえるでしょう。
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No.3です。 実生活でも人の話を聞いて、もらい泣きすることもあると思いますよ。 ニュースの悲惨な事故に胸が詰まる思いがしたりすることもあるんじゃないでしょうか。 ただ、そうなるのが当たり前だから意識することがないだけのように思います。 もしかしたらそうではないタイプの人もいるのかもしれないので、断定はできませんが… 相談に乗っている時に、心の底で安らぎを覚えるのは、役に立っている実感があるからじゃないでしょうか。 偽善者ぶって損得勘定の方がまし、と断定してしまう必要もないように思いますが、どうでしょう? 孟子は「惻隠の心は仁の端なり」と言っています。 惻隠の情とは、他人の苦しみを見過ごせない思いのことです。 井戸に子供が落ちそうになったのを見たら、咄嗟に手が出てしまう、それが惻隠の情ということです。その子供に綺麗なお姉さんがいるからとか、人助けして褒められようとか、損得勘定があって手が出るわけじゃない、咄嗟に出てしまうのが人間だと。 咄嗟に助けたいと思い、そう思った自分に安らぎを覚えることは偽善ではないんじゃないでしょうか。それは人間としてまっとうなことができている自分への安心感ではないかと思うのです。 全ての人が同じことを思うわけではないので、これが正しいとも言えませんが、違う説明ができるのなら、悪い方に考える必要もないんじゃないかと思います。
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- pollux0375
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とても興味のある質問です。 isidajyunさんのおっしゃることにかなり共感を感じます。 「太り気味だからランニングをしよう」、というのは衝動ではなくて理屈が 先にあることだと思いますが、悲しいドラマを見たいというのは理屈が先では なくて、衝動的(無意識的?、本能的?)な欲求のように感じます。 正確には分かりませんが、「自分だけじゃない、みんな同じだ、仲間だ」と いった感覚がいいのかもしれません。マズローの欲求5段階説の中の中間の 「社会的欲求」を刺激するのかも・・・ 「何かそんな自分や人間が嫌だなと思って」とのことですが、私は 「そんな人間を造ってしまった神様なんて、嫌いだ」 大変失礼しました。
お礼
確かに。 神様はどうしたくて、人間を造ったのか疑問に思う事だらけですよね。 あくまでも神様が人間を造ったという前提ですが、、、
- to-m-my
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悲しい出来事や辛い出来事を見たり、聞いたりすることで 経験不足を補ったり、感情をコントロールすることができるのだと 高校の先生に教えられました。 私も不幸だけどあの人の方がもっと可哀想だ そう思うと自分が救われる気がします。 あの人は幸せそうなのになんで私は不幸なんだろう そう思うと自分がとても惨めになります。 誰もが持っている感情だと思います。 ドラマや映画を見て涙を流すことで この感情のバランスを保つこともできるのではないかと 先生が言っていた気がします。 個人的には、 悲しいドラマや映画やアニメや本などを見て 思いっきり泣くと、すっきりして 前に進めるんですよね。 頑張らなきゃって思うんですよ。
お礼
先生が言ってる通りかもしれませんね。 また、以前テレビでやってたのですが 涙の成分の中にストレスの成分があるから 涙を流すとストレス発散になると。 私も映画を見て思いっきり涙を流して ストレスを発散させて前に進むようにします。 でも、この疑問を感じるようになってからは 見る内容を、悲しい事ではなく 嬉しい事で感動して涙を流す内容のもの 例えば、ちょっと古いですが メグライアンの「めぐり逢えたら」とか ロッキーみたいなものとか そういう感じのものにして あえて死んで別れるような悲しみのものは 見ないようにしています。
- codex_regius
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質問者さんはいい人なのですね。 でも、ご心配には及ばないと思います。悲しい映画やドラマを見るのは「他人の不幸は蜜の味」だからではなく、これはカタルシスと呼ばれているものだろうと思います。 アリストテレスはご存知かもしれませんが、彼がギリシア悲劇の効用として論じているのがこのカタルシスです。ギリシア悲劇の論理はそのまま悲しい映画やドラマにあてはめることができるだろうと思います。 カタルシスとは浄化という意味です。 アリストテレスは悲劇を見ることで、観客の心が浄化されるのだと考えました。登場人物の悲しみに感情移入することで、観客の感情も揺さぶられ、心の底にたまっていた諸々の感情が解放されます。解放された感情は、登場人物とともに怒り、悲しむことで、表に押し流され、心が浄化されるのだというわけですね。 現実では悲しみや怒りの感情を露わにすることを人はためらいます。多くの人が自分のそうした感情を抑圧して、心の底に貯め込んでしまうわけですね。でも、貯め込み過ぎると精神を病んでもしまいます。 だから、そうした感情を登場人物に仮託して、解放し、フィクションの名の下に外に出してしまうのが悲劇の効用ということになります。 決して他人の不幸を喜んでいるわけではないので、安心していいと思いますよ。
お礼
またまた救われるご回答ありがとうございます。 私が思っていた疑問は、すでに解明されてた事なんですね。 カタルシスという言葉も初めて聞きました。 ただ、不安として残る事は 映画やドラマの事でならいいのですが 現実の生活上の話でも本能として 作用してしまっているのでしょうか。
補足
その後、色々考えていましたが そもそも質問が違っていたようです。 やはり基本は 「他人の不幸は蜜の味」 の実生活においてで その延長線上に映画やドラマあるのかと思って質問しました。 でも実生活での事は違いますよね ニュースでの事件事故、回り近所や知人の不幸 どれも聞いたり相談にのったりした時に 涙なんて流しませんよね 直接自分の生活にも影響を及ぼしたりしない限り 所詮他人事として聞いてます。 それも、他人事として「どうせ自分には関係ない事」 と言えればいいのですが あたかも心配して相談に乗っているのに 心の奥底で安らぎをおぼえているかのような 人が皆そうだとは言いませんが 動物(うちの犬)は正直で、関係ない事はお構いなしです 偽善者ぶってとか、そういう方がまだどこかに損得勘定を していた方のが良いような気がします。 何と言って良いのかわかりませんが 人間の本能の本心の嫌な部分のような、、、 すいません、意味不明な事を言ってしまい。
よく言われることですが、「涙を流す」ことはストレス発散の効果あります。 このこととも関係しますが、人間は悲しみや苦しみ、不幸などのネガティブな感情を「認識」することで癒されるものです。 これはどういうことかというと、ネガティブな感情を認識しない状態というのは、心を抑圧しているわけで、ストレスになっているのです。 そこを、ネガティブな感情を認識することで、抑圧から解放され、脳の疲労が癒されます。 これのもっとお手軽な方法として、自分の不幸ではなく、他人の不幸でも同じ効果があります。 悲しいドラマや映画を見ることで「世の中にはこんな不幸もあるんだな」という認識が、自分を楽にさせるのです。 簡単にいうと、不幸の存在を認めない人生だと、とても生きずらくなります。でも、不幸の存在を肯定してしまうと、「それもありだな」と脳が理解して、解放されるのです。 「他人の不幸は蜜の味」というのも、心理的には同じことです。 もちろん、生存本能というものがありますから、他人というライバルが脱落することに「快感」を得るのもひとつの生物の本能ですが、ドラマや映画を見る場合というのは、自分以外の人間の不幸を疑似体験することで、自分の不幸を肯定するという効果があるからだと思います。
お礼
わかりやすいご説明ありがとうございます。 やはり理論的にもそうなんですね。 そう説明されると、それほど罪悪感を感じなくてすみます。
>他人の不幸は蜜の味」とか 「他人の不幸が心地よい」 とかいう人間の本質の心理がどこかに働くのでしょうか? 他人のことは分かりませんが、私の場合まったくそんなことはありません。基本的に主人公に同一化するので、悲劇はあまり見たくないのです。デモなぜ見るのかというと、批評家が「この映画はすばらしいよ、感動するよ」と勧めるのでつい見てしまうのです。 私の個人的な意見ですが、他人が不幸になるのを見たいから悲劇を観るというのは違うような気がします。悲劇を観て泣いたり同情したりすること、そのものが心地よいからだと思います。よく似たことかもしれませんが、首記の意味は不幸な人間を突き放して他人のように見ている感じですが、その不幸な人の中にはいってしまって、そのために悲しくて泣くのだと思います。感動するということは一部そういうことが入っていると思いますが、まったく一緒ではなく、その悲劇になんらかの人間の共通性と真実があって、それが自分の人生のためになる、人生の理解が深まるというような効能があって、そのために観るということがあるのだと思います。 ご参考になれば。
お礼
確かに「人生の理解が深まる」 と言う意味も含んで見てるとは思うのですが。 悲しい事件などのニュースでも かわいそうとか思いつつも 心の中では「あー自分じゃなく良かった」という安堵感。 うまく言えませんが、妬みやヒガミの裏返しと言うか、、、
お礼
ありがとうございます。 なるほどと思える説がちゃんとあるんですね。 色々卑屈になって考えていたようです。 なんか急に楽になったような気がします。