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人間以外に「観念」はありますか?

例えば、動物は親や仲間に「懐く」ことはあってもそれは本能的な部分で、 Q1「好きです」「さみしい」「可哀想」など思えていますか? その価値を表明する人間のような明確な言語体系を持っていない。 ということは「観念」の意識もないのではないか?とおもいまして。

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  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.2

こんにちは。 「観念」は持てますが、動物には「概念」が使えませんので、それを自分の観念と理解することができません。 餌を欲しくて芸をするならば、その動物は餌がもらえるという観念を持っているということです。嬉しいときと悲しいときでは状況が異なりますので、そこでは得られる観念が違います。ですが、この異なる状態が観念であると理解するためには、そのようなものがみな自分の主観であるという共通性を基に観念という概念に纏め上げられなければならないわけですが、動物にはこれができません。 「可愛そう」というのは利他的な動機が含まれますので、これはちょっと別にするとしましても、動物にも感情がありますので、嬉しい、寂しいと思うことはできます。ですが、「思えている」とするためには、そのためには「思う」という行為が概念として扱われなければならないはずです。 言語といいますのは高度に概念を扱うために極めて重要な要素です。ですが、我々は例えば、「大きい小さい」、あるいは「前とあと(原因と結果)」など、言語を使わなくとも論理的な比較を行うことができますし、言語中枢は持っていませんが、言語的な意思疎通を行う高等動物はたくさんいます。 動物には概念を扱うことができないと申し上げましたが、人間でも赤ちゃんにはできません。ですが、成長すればできるようになります。つまり、果たしてこれは飽くまで知能の高さだけの問題であり、我々人間と同じ脳の構造を持つ哺乳類や鳥類に概念を扱えないという理由は何処にもないわけです。このようなことは世界中の動物学者さんが長年に渡って研究を行ってきましたが、悩ましいことに、未だ確かな報告は認められていません。ですが、できないという根拠もまたないのであります。

miko-desi
質問者

お礼

こんばんは。になりました。 ruehasさんとても詳しく回答ありがとうございます。 とてもとても参考になりました! 私は頑張って何度も読みました! そしてそして自分なりに翻訳しててお礼が遅れました。 哲学に興味を持ってますが、難解な言葉があると進めなくて とりあえず自分で、ターヘルアナトミアに訳してみるんです。 「観念」を「主観」に 「概念」を「客観」と 「言語能力」を「表現を高める要素」になどです。 動物は肉体を媒体にした表現を主にしていて、 人間は言語を獲得したことで表現を物質以上のものにまで高めてこれた。 人間は客観が使えるので、 自己存在の確認が肉体よりも言語で同じ人間を便利に感化させる。 表現が高められたことで主観も客観も人間を超えたもの、 時間認識、音楽文芸、社会、世界、神なども考えるようになった。 人間活動は知らず知らず全て「客観=自己存在の確認」なのかも。 主観を役者に、客観を座長に?、 他者と共に更に一段上からの支援者?支配者?を幽霊に例えることもあります(笑)。 もちろん適当な仮説を立てただけ。 欠陥品なうえにオンボロの乱暴な翻訳機(私が使える情報源) 整然とまとめることも下手なんで符合しない、おかしな解釈はあるはずです(焦)。 どうでしょう?

その他の回答 (3)

回答No.4

思考が行動の抑制に繋がる場合もが有り得ますので、 野性生活の中で危険な目に合わされやすければ、 「観念」の意識を獲得し難くなるでしょう。

miko-desi
質問者

お礼

お礼が遅れてすみませんでした。ありがとうございます。 危険回避のような本能の観念ですよね。 野生動物には本能からくる“今”と 過去の経験からくる“今”との分け隔てはあるのだろうかな。 脳も神経系統すらない生物は一杯いる。 外殻や皮膚からの死に値するような情報となると 思考に変換しないでも行動の動機になれそう。

回答No.3

 観念や概念は理性の働きを表わす言葉。  好き嫌いと云う働きは、理性に依る場合もありますが、人間以外の動物の好き嫌いと云う反応は、「情」的な反応。  チンパンジーは微妙ですが、人間以外の動物には“理性”と云う働きはないとするならば、観念なるものもないと受け止めるのが、妥当ではないでしょうか。  ほ乳類ならば“情”の有ることが人間にも伝わってきますね。  もう一度仕切りなおしてみてはどうでしょうか。    たとえば意識する、とは自覚できる事?、なんて。

miko-desi
質問者

補足

yy8yy8azさんありがとうございます! 人間と動物の違いに、人間は想像力を働かせて、 それがネガティブなものであればあるほど容易に善い悪い選択し、 自己克心を実行に移せる認識力が高まるようです。 私のようにお気楽に生きていてしまうと認識力も動物並みとなってしまうのですね・・・。 動物にも情はあるんですけどね。 理性は情動より幅も奥行きも広いものでしょうね。 今「第三の脳(皮膚)」と「禅的ランニング」という本を読んでる途中です。 動物が人間より精神的な病気が少ない理由があると思うのです。 今日は野暮用消化のため時間がとれませんが、お礼は近日改めます。

noname#160321
noname#160321
回答No.1

チンパンジーや犬が、飼い主や研究者の表情を読み取って、家族が亡くなった悲しみなどをなにも伝えたつもりはなくても、「慰める」行為を行なう事例はしばしば報告されています。 形而上的「概念」も「理解している」と解釈した方が良い場合もあるので、難しいです。

miko-desi
質問者

お礼

doc_sundayさん、回答ありがとうございます。 観念はイデアらしいのですが、それもよく分かりませんでした。 理解するということなんですね! 確かに動物にも感情はあると思います。ストレスもためますし。 けど、人間ほど感情的でもない気がします。 理解出来るのはやはり言語能力に関係してて、 霊長類にもなれば手話で会話できてたり、犬も賢いから理解してるかもですね。

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