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何気なく感じている事なのですが
例えば何か失敗して落ち込んでる日、何をやってもうまくいかない日。 そんな時にご飯を食べると何故か自分が必死に見えて惨めに思えます。 なんというか…ご飯を食べるという行為を行っている自分が可哀想に思えてしまうんです。 この感覚は子供の頃、何か問題を起こして家族に内緒にしていたときに、一生懸命ご飯を作ってくれた母親に対して感じた罪悪感に似ています。 特に肉などをがっついて食べているとき、必死だなぁというか変な気分になるんです。 同じようなことを感じている方はいらっしゃいますでしょうか? また、この感情はいったいどこからくるのでしょうか? お教えください、よろしくお願いします。
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自己否定や自己矛盾の心理かもしれません。 気が滅入っていたり失意落胆している状態で美味しいものを食べることで、 感情が複雑になり、どちらが自分の本当の感情か混乱したり、 矛盾を感じて情けなくなったり、こんなんでいいのかと自分を責めたり するのかもしれません。 失敗した時やうまくいかない時の感情が、喜びや楽しさや嬉しい気持ちを 打ち消して、消極思考へ引き戻すようなイメージでしょうか。 おおざっぱに言うと泣き上戸タイプに似ていますかね。 注意しないと、自分が美味しいご飯を食べていいのか、 自分なんかがこんないい思いをしていいのか、といつも考えるようになり、 自己否定感情が強くなっていく場合があり、病的になる可能性もあると 思います。 いい時もあれば悪い時もある、パーフェクトな人間なんていない、ときちんと 処理しながら前に進むことで、引きづるのではなくその時々の喜怒哀楽に メリハリをつけられると思います。
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- zozwr
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自分で自分を見ているイメージは良いはずなのに、現実はこんなことにはならなかった・・・・・ギャップを感じているようです。 失敗したことは、人からこんなに待遇してくれるに値しないだろう・・・・と感じている気がします。 「罪悪感」があるということは、今のままではいけないと思って反省から改善の方向に視点が向いてるのではないでしょうか? 一生懸命ご飯作ってくれたから、自分も頑張ろうと思うからエネルギーを取ろうと食べて必死になるようです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 今のままではいけないという気持ちは確かにありました。 「何してんのかなぁ自分…」といったような感じです。 それが罪悪感として出たということですね。 みなさん、素早いご回答ありがとうございました!
頭の世界が縮小して体の世界が相対的にメインになっている時の食事は、楽しみではなく体を養うためのもので「体あっての私」あるいは「自分は体に従属しているのだ」という思いが実感として迫ってくるのではないでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうですね…。 普段の食事は楽しみですが、そういった時に食べるのは辛いので>< どこか作業感?みたいなのがあるようにも感じます。 ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうですね、自己否定かもしれません。 今になってやっと気持ちが落ち着いてきました。 これからまた頑張れそうです、ありがとうございました!