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人の一生は記憶なのか
余命が唐突かつ確実にあと24時間で尽きるとして、その人を支えるのは今まで生きた自身の軌跡ですか。 漫然としたやみくもな日々を悔いるのか、過ごした時を慈しむのか、 どのような思いが胸をよぎろうと、残された時間は24時間。 人は記憶にこそ人生を見るのか。 自由な形式で結構ですので、ご回答頂けると嬉しく思います。
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質問者が選んだベストアンサー
自分の人生の中で、余命24時間という体験を探してみると・・・。 あった。 それは自殺を考えていた時のこと。 まあその時は、余命半年ぐらいから始まって、1ヶ月になり、一週間になり。 最終的に余命8時間だったよ。 結局は自殺しなかったから、今生きてんだけどね。 その時のことを振り返るに、過去の事を考えてる暇なんかなかったな。 考えるのはいつも、これからの事だった。自分が死んだ後のこと。 それをあーでもない、こーでもない考えてた。 死ななかったのは、結局その答が出せないままその時が来たから。 質問の主旨と違う? いやいや。僕にとっては、本当にその時が来たら世界が終わるくらいの気持ちだったんだよ。その期間はもう決まっていた。だから、自殺なんて考えたわけで。 解決出来ないのに今生きているのは、何故かそこで世界が終わらなかったからでもあるんだよね。 死なない為に考え、同時にそこで死ぬ為にも考える。 忙しいね。 死ぬにしても後始末が必要(自分のいない世界のこと)だし、そうは言っても本当は死にたくないし。 やっぱ凡人だもの。 歴史に学ばず、どうしても未来に目が奪われちゃうんだよね。 先が知りたい。 となると、人生なんか見ない、ってことになっちゃうのかな? 僕の場合はそうだったよ。 人生を振り返ってる余裕なんかなかった。 いつも、これからの事ばかり頭に浮かんできてしまう。
お礼
素晴らしいご回答ありがとうございます。 別に自殺したいわけではないですが、非常に参考になりました(^^;)笑 いまご回答を読み直してみたらやはり深いですね、よくかみ砕いて吸収してみようと思います。 ご回答ありがとうございました。