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中学生の伊達直人
中学生の伊達直人が現れました。 お年玉で文房具を買って施設にプレゼントしたようです。 これは、その中学生が立派なだけですか? それとも、何もしていない大人たちが情けないだけですか? ちなみに、僕は何もしていないので中学生以下では ないかと痛感しております。
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直接プレゼントすることは立派だが、世の中のためになる人間に なるべく一所懸命に勉強して、社会に貢献する方が、より大きく “困っている人のためになる”と言える。 分かりやすい目の前の“人のため”は簡単だが、社会に貢献する形で “人のため”に生きるのは、長い習練と遠い目標、継続的努力の 産物であって、非常に難しい(お金や出世、虚栄心といったワナだらけ)。 もちろん、それが「難しい」からこそ大人は、“中学生さえプレゼント しないといけない”格差社会にしてしまったのだが、逆に言うと、 じゃぁ、みんな目先の人に直接プレゼントするだけでは、何も生産 されない再配分に留まる(労働こそが真の助け合い)。 “中学生の善意”は、反動であっても、何の解決でもない。
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自分で稼いだ金じゃないのでその行動は立派ではなく愚かであると思う。 結果立派さを表すとすると 自分で金稼いで貢献>自分で金稼ぐが何もしない<自分で稼がず貢献であると思います。
- rurubonpp
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この中学生のやったことは非常に勇気があって立派な行いだと思います。 しかし、他の人たちも、この中学生や一連のタイガーマスクなどの名前を名乗る人たちのような行為は出来なくても、募金くらいなら時々する人も多いと思います。 今回のような寄付行為は出来なくても、小銭でも良いから募金などをする行為も同じように立派だと思います。 自分の出来る範囲内で良いからコツコツと世の中のためになるようなことをすることが何よりも大切ではないかと思います。 もし自分がそういう世の中のためになるようなことが足りないと思ったら、明日からでも良いからコツコツと募金でもすれば良いと思います。 お金が無ければ、掃除でも何でも世の中のためになるようなことは沢山あります。障害者の人が困らないように、放置自転車を整理するというようなことでも良いと思います。