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3才までに基本的しつけをしていないと暴君になるって本当?
「子供が3才になるまでほとんど叱ることをせず、子供の希望を受け入れるばかりだと、その子供はその後ただのわがままな暴君となりやすい」と、幼稚園の園長が言っていたのを聞きました。可愛がり愛情を与えるばかりではダメで、極端にわがままな事を言っている時くらいはしっかりしからないといけないということらしいのですが、これは本当でしょうか。
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小さい頃にきちんと叱ることは、すごく大事だと今更ながらに思います。 ウチの子達はもうすっかり大きくなっていますが、 小さい頃に叱られたことは今でもやっぱり覚えています。 叱られているときは内容が理解できなくても、 親がいつもと様子が違うというのは子供の心に印象深いようです。 大きくなった今になって 「あの頃怒られたことの意味がわかるようになった」と言います。 (大きくなったなぁって、ついウルウルしてしまいますが・・。) 周りを見ていても、叱られた経験がなかったであろう子たちは、 大きくなるに連れて荒れてくる子が多かったようです。 例えば我慢することに対しても、小さい頃の要求など高が知れていますが 大きくなるに連れて親だけでは満たしてやれないことも沢山出てきます。 (親それぞれの度量の限界がありますから・・) そうなったときに我慢などしたことのない子は、 自分の気持ちに折り合いがつけられないんだと思うんです。 でも今まで親に言って叶わなかったことなどなかったのに、 急に「それは出来ない」なんて言われたら 「なんで?どうして?」ってパニックになっちゃいますよね? 自分の感情をコントロールするなんて教えてもらったことないのに 急にコントロール(我慢)しなさいって言われたって出来るわけないと思います。 だから駄々をこねるんですが、もう身体の大きさが大きさだから 駄々のこね方もパワーアップしてしまってるんですよ。 そして喚いて暴れて、子供はふと気付くんです。 「何だ、自分の方が強いんじゃないか?!」って・・。 もうそうなったら、まさに暴君そのものです。 苦労されている親御さんを何人も知っています。 私は叱ると言う行為も、無垢な状態の子供たちに 親が持っているすべての生活の知恵(経済感覚とか常識とかも含めて)を 伝えていく作業の一つだと思っています。 いい顔ばかりするのが親の仕事ではないので、 時には叱って、悪役もこなさないといけないと思います。 でも3歳くらいまでって、食べちゃいたいくらい可愛いですよね。 もう父親と肩を並べるほどに大きくなってしまった息子たちを見てると、 あの頃はとっても可愛かったのに・・なんて思っちゃいます(^^ゞ
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- timeup
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愛玩動物を可愛がりながら、躾けるのと同じです。 可愛い時期に此れをやらないと、人間は知恵がついてからは躾けが出来ません。 悪いと思われる事をしたら、その場で「すぐ」に叱る事です。後では何で叱られているのか理解できませんから。 愛玩動物を躾けるのと同じですから、躾ける側が感情的になったら、出来ません。 自尊心のある子供になるには、虐待や体罰は良くありません。 その場で目を見て、形だけ、ゴッツンをすれば十分です。 躾ける側の能力が低いと、躾けは出来ませんから、躾けが出来るという事は親の資格があるという事ですが、今はそれがなかなか出来ない親がいるので、其の様な自覚の有る人は(自覚の有る人は見込みが有りますが)躾けをプロに任せる事が必要でしょう。 学校は教育の場であって、しつけの場ではないから、小学校入学前にしておくことです。
- misachi395
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叱ることは必要です。私個人の感想ですが、中には子供が泣くから、子供がかわいいから、虐待していると思われたくない・・・そんな根拠から、子供を叱らない人がいるようです。その園長先生は、そういったごく少数的な状況に対して、その説明が足りなかっただけではないかと思います。 叱らないことなんて、大体は無理だと思うんですよね。叱ったからといって、次から言われたことを守るような年齢ではないけど。 だってね、どうしたって、ものすごく子ども自身が危ないことをしたり危ない目に遭いそうなとき、親は強い口調になるはず。「危ない!」「ダメ!」って。 同時に親も人間ですから、子供の理解力が未熟だとはわかっていても、何回も同じことを注意しているのに…、どうしてわからないの?と親自身の感情(イライラ)で怒る時だってあるはず。 いろいろと考えると、園長先生のおしゃることは本当だと思いますよ。 >極端にわがままな事を言っている時くらいはしっかりしからないといけない・・・私もそう思いますから。お菓子ばかり欲しがる、お友達とおもちゃの取り合いをするなど、代替手段を提案しつつもなおその場が好転しない場合、叱ります。 >可愛がり愛情を与える これには大賛成です。子供のは愛情をたっぷり注ぐ。愛情があるからこそ、子供のことを想い、子供のためになることを段階を追って諭したり叱ったりしていく。 ただ、肝心なのは、叱ったことをその場だけにすること、いつまでもその感情を引きずらないこと、だと思っています。例え子供が謝れなくても、グッと叱った後は、親のほうから気分を変えて違うことへ気持ちを移すように心がけています。 親の怖い顔、許されないことがあるなど、多少は子供にわからせる必要があると私は思っています。
お礼
思いの他投稿が多いので驚いていますが、嬉しいです。 「いろいろと考えると、園長先生のおしゃることは本当だと思いますよ。」ですが、はい、私自身はそう思っています。 「ただ、肝心なのは、叱ったことをその場だけにすること、いつまでもその感情を引きずらないこと」ですが、これには特に納得ですし、しっかり離さないようにしとかないといけないと思います。まぁ、チビが可愛いヤツなんで勝手にそうなっていますけど(笑)。 「親の怖い顔、許されないことがあるなど、多少は子供にわからせる必要がある」にも激しく同意(笑)です。まぁそうなる時は少ないでしょうが。最終ラインは必要ですもんね。
- doonacho
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子供、赤ちゃんと言えども1人の人間です。 私は自分の所有物のように自分の考えを押し付けたりするのは嫌いなので、1才前から1人の人間、個体として接してきました。 文章で書くと機械的ですが、子供はかわいいです。頭からガブガブと食べちゃいたいくらい。 小さな子供(1歳以下)に躾けをするのは「叱る」でも「怒る」でもましてや「怒鳴る」ことなんてありえません。叱るにしても「めっ!」くらいです。 小さな頃から良い事、悪い事を話していれば自分でわかってくれると思います。 ご飯を掴んで投げたら、食べ物は大事だからダメよ。 もちろん初めはわからずに何度もやります。仕方がないです。子供ですから。でも、2才、3歳と大きくなると投げることはないです。「悪い事だ」とわかっているから。2才のうちのこは物を食べる時は私がなにも言わなくても座ってくれます。人に会うと自分から「こんちは」といいます。何か貰ったら「あがと」と言います。外にゴミが落ちていたら「あらら」と顔をしかめます。 これは当たり前の事ですが、結構エライ!と親バカで思います。そりゃ、泣いてダダこねることもありますが、話して説得すると、わかってくれます。 こういう事って大きくなってもある程度は残ると思うのです。三つ子の魂百までといいますしね。 3才ころはもう分別がついていると思うので何度も悪い事したら「こるらあ!!」となるでしょうが。
お礼
少し先の子供をお持ちの方のご意見も大変参考になり、嬉しいです。 「外にゴミが落ちていたら"あらら"と顔をしかめます」というとこは、うちは未だ教えが足らないところだと感じました。これは大切なことですね。
- juissan
- ベストアンサー率11% (9/79)
こんばんは 回答じゃないんですが、私65歳の単なるお年寄りです。3人の子供を育て、4人の孫の成育を見ていて思うのですが、こうすればこうなる!なんてことは、あまり考えない方が良い、と思いますよ。 子供は親の思いもしないところで大きくなってゆきます。 親が一所懸命生活していれば、子供はそれを見て素直に大きくなっていってくれます。 「子供への愛情」って何だろう? 「好き」だけではないでしょう。「可愛い」だけでもないでしょう。 親が一所懸命に生きる姿を見せるのが、大切だ、と思います。
お礼
単なるお年寄りなどと、滅相もありません。逆にjuissanさんのような年齢の方の話を聞く機会がない為(核家族などの問題と思っていますが)、ある種先人の知恵・経験という科学でない信頼性を含んだお話は自分にとって貴重です。 投稿して頂いて嬉しいです。 実は「親が一所懸命に生きる姿を見せるのが大切」というのは自分が最も心がけている点です。ちゃんとできてるかというと恥ずかしい限りですが(笑)。 ただ、核家族の問題などからくる先人の知恵や振る舞いに触れる事が少ない私達のジェネレーションでは、気づかないでおかしな事をやってしまう事があり得るという危機意識があります。子育てレシピなど無いと言われればそれまでですが、社会環境の変化によるこのような素朴な疑問を持っている人は多いと思います。
- songbook
- ベストアンサー率36% (334/910)
本当と言ってもよいでしょう。 かわいがることと、愛情を与えることは、必ずしも一致しません。 子どもには、叱られる(怒る、罵倒する、とは違いますよ。)権利があります。赤ちゃんの頃から、間違った行動を一切しない子など、存在しません。 親には、目の前にいる我が子を、一人前の人格にしていく責務があります。叱るべき行動、身勝手なわがままなどを見たときに、 ・叱らずにあやしたり、 ・思うように欲求をかなえてやったり、 していると、子どもの中に、「世の中のことは何でも思い通りになる」「親は私の思い通りに何でもしてくれる」「世の中も、全て私の思うとおりになる」 という意識が、情操の基盤として、強烈に作られてしまいます。「三つ子の魂百まで」は、科学的にも根拠のある言葉です。 そのように育った子は、思い通りにならない状況になったとき、どのような悪辣な手段を用いてでも、自分の欲求がかなえられること「だけ」に、人生の全てのエネルギーを注ぎ込むわけです。 小さい子だと、すねたり、店の中でひっくり返って暴れたり、奇声をあげたり。暴力をしたり、物を壊したり、家出をしてみたり。 3時間わめきつづけて、願いがかなった子は、次には、3時間5分、泣き喚きつづけることでしょう。 それが、たとえ「おやつがほしい」というレベルのことであろうとも。確かに、「暴君」です。「君」などという上級な言葉も与えられません。 親は、的確に、適切に叱って、子どもに、「自分に、非がある」「世の中には、思うようにいかないこともある」「やりたくても、世の中では、やってはいけないことがある」ということを教えていかなければなりません。 まだまだ言葉足らずかとは思いますが、まずはこんなところで。
お礼
ご回答有難うございます。 同感な事ばかりで驚いていますが、「情操の基盤として、強烈に作られてしまいます。"三つ子の魂百まで"は、科学的にも根拠のある言葉」には10へえくらいありました(笑)。また、とてもわかりやすい文面で感謝します。
- dora1
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3歳までといったら、いわゆる第1次反抗期ではないんでしょうか? この時期は、親はどっしり構えて、「だめ!」「いけない!」と頭ごなしに子供を否定することなく、つきあってあげましょう...なんて書いてあるのをよくみるような気がしますが...どうなんでしょう...
お礼
ご回答有難うございます。 そうですよね、反抗期ですもんね。どっしり構えるっていうのは同感で、なるべくそうしようと努めています(どれだけできているか微妙ですが)。
飴とムチですよね。 わがままじゃない・乱暴ではない子をわざわざ怒る必要はないので「必要なら怒る」ことは必要です。 わがままな暴君となりやすい・・と思います。だって、制限されることを知らないんですから。
お礼
ご回答有難うございます。 私自身も実はご回答に同感で、必要ならばダメであると伝えることは反抗期だろうが関係ない事と思っています。 ただ、この「必要ならば」という内容であるかどうかがボンヤリしていると間違えてしまうかも知れないなと思っています。自分が思っている「必要ならば」という時はどんな時かを、今一度考えてみたいと思います。
お礼
うぅ~ん、感動を覚える文面ですねぇ・・・。 また、それ以前に「何故暴君になるのか」ということが順を追って説明されており、とてもわかりやすく説得力あるご回答と思えます。自分が言葉にした事が無いけど潜在的に思っている事が見事に表現されているというか、ていうかそれ以上ですけど(笑)。