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情性欠如と思われる人って・・・
「情性欠如者」:他の人に対する、人間的な暖かい情性の鈍麻ないし欠如が基本的特徴。同情、廉恥心、後悔、良心などを欠く、陰険、冷酷、残忍な性格者。 知り合いにまさにこれ以外考えられないと思うほど、良心の呵責を持ち合わせていない人間がいます。 いつか心を尽くせばわかってもらえる日が来ると思っていたけれどそんな気配はまるでありません。 そこに今回の池田小の宅間被告の、言動、死刑求刑の場に及んでも反省のかけらもなく、このような人間を「情緒欠如者」ということを知りました。 私のような一般人にはまるで理解できないのですが、人を傷つけても平気でいられる人間は、絶対に変わらないものでしょうか・・・ これは生まれ持ってのことだというのですが。 ましてその人は教師です。
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こんにちは。 私も専門家ではありませんので、あくまで私なりの意見ですが、書かせて頂きますね。 彼の育った環境に原因があるでしょうね。今の世の中ではまだまだ学歴、地位といったものに固執していて、それのみに焦点をあわせてる・・と言っても過言ではないと思っています。 メンタル面に重きを置かなかった結果と言えるかもしれません。 このメンタル面、例えば子供が生まれてその子をりっぱに育てようとする、誰でもそうですよね。 ですが、本当に子供をりっぱにするのには精神面を磨くことで、そのためにはいろいろな「体験」をさせることなんですね。理屈ではなく、体で経験させる必要があり、挫折や失敗も体験であり、そういったことを経て(つまりプロセスです)人の痛みや、思いやりが生まれてくるのではないかなと思います。 塾だ、と勉強することばかりで、せっかくの体験のチャンスを親が自ら絶ってしまうような、過保護で、親の一方的な押し付けの教育が今ほとんどだと思います。結果はあとからついてくるものですから。 優しく、素直に育つか、はたまた冷たい、人の痛みがわからない、といったことは、持って生まれたDNAと環境が合わさって決まるんじゃないかなと思っています。 彼にはおそらくこういったことが足りなくて、また周りの人にも恵まれなかったのではないでしょうか。 結局、気付かないでしょうが、すべてが本人自身にはね返ってきて、幸せな人生とは言えなくなると、なんだか彼、気の毒ですよね。 教師、エリートと言われる人達は「心」も伴って初めてりっぱな人といえるんじゃないかと思いますね。 いろいろ述べましたが、大切な人格形成の時期にここをはきちがえて育てられた人というのはなかなか大きくなって変えようとしても大変です。 NO.1の方へのお礼欄を拝見しましたが、接する人の温かさでもって変えようとしても、莫大な時間とエネルギーが要求されますし、おそらく余程の彼を変えるぐらいの「事象」が何度も起こらないと難しいように思われます。
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- xinxiang
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質問を拝見して、もしかしたら・・・と思いましたので書き込ませていただきます。(とんでもなく見当違いでしたらごめんなさい。) その方は『人格障害』ではないでしょうか? 人格障害にはいろいろな型があるのですが、その中の『自己愛性人格障害』ではないかな?と思いまして。 下にHPを載せておきますので、ご覧になってはいかがでしょうか。
- sitorasuunko
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教職に就く人って、変な人ばっかな気がします。 右翼みたいな人 娘の男女交際や門限に対して、異常に厳しい人→おかげで娘は既に、幼稚園からおかしい。クラスで変わってる人っていうか。感覚が、おかしい人になってる。 マジで頭がおかしくなってる人 スト~カ~やってる人 結せず、不倫してる人 クラスで公務員目指してた子って、俗に言う、友人になりたくないタイプの子の集まりでした。 ガリ勉で真面目過ぎる。異性に興味がない。身だしなみが出来ない。 真面目さ故に、安定志向が強いから、単に公務員になるだけ。生徒の事考えてる奴なんて、皆無でした。 実話書いてみた。 脳って、宇宙に匹敵する位、解明されてませんよね・・・
お礼
回答どうもありがとう。 ちなみに私の父も教師でしたよ、今は退職しましたが(笑) 今と昔では教師の質自体がまるで違ったものなんでしょうね。 父が若い頃の教師といったら『聖職の碑』といった感じでしたよ。 私の中では今でも教師は特別な存在、心の中では尊敬すべき存在という意識があります。 親として接する先生たちはいい先生がたくさんいました。 もちろん皆が皆ではないし、現に今回お話しているような人間もいますし。 『情性欠如』と思われる彼の本質を果たして周りで接する同僚は感ずいていただろうか、どのように映っていたのだろうか、ととても知りたいと思います。 教え子や親の中には、毛嫌いする人もいましたけれど。 >脳って、宇宙に匹敵する位、解明されてませんよね・・・ げんこつくらいの小さな小さな脳が宇宙の謎よりももっと大きな謎だったりする、神秘の世界です。
- -mion-
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1で回答(?)した者です。 >よりにもよって、好きになった人が というのを読んで再度書き込みます。 >自分のことは話さないし人との交わりも突っ込んだ話も基>本的に嫌いなようで、まったくわかりません。 というような状況は「情緒欠如」かどうかはともかく、社会性(社会の中で自分が存在しているという意識)が希薄なのであろうと思います。 そのことは「自分はそういう人間だから」という言葉からも伺えます。 おそらく、ですが、「人の痛みが分からない、理解しない」といったタイプの方ではなく、「人のことなど理解したくない」といったタイプの方のように思います。 特徴として「甘える」「主体性がない」「無気力」などがあてはまりませんか? cherrysageさんはそのような方を好きになってしまったのですね。 cherrysageさんが決めることですが、「母のような」おつきあいを続けていけば、彼が成長して性格も変わっていく可能性は充分あると思います。でも大変ですよね。。。 あと、本当に私は素人ですので、プロの方にキチンとご相談した方がいいかもしれません。
お礼
再度の回答、ありがとう。 >「人の痛みが分からない、理解しない」といったタイプの方ではなく、「人のことなど理解したくない」といったタイプの方のように思います。 特徴として「甘える」「主体性がない」「無気力」などがあてはまりませんか? 私の印象では、「したくない」というよりも「しない」というふうです。 かなりひどいすっぽかしを両手では足りないほどされていますが、1度も頭を下げられたことは無かったです。 学生の頃からかなりもてたようで、尽くされて当たり前の付き合いをしてきてはポイ捨てしてきたことが推測されます。「主体性がない」「無気力」はかなり当てはまりますね。 私との付き合いも、どっちでもいいけど、状態です(泣) 彼には「友達」も「母」も「恋人」も「妻」も必要ないようです。 大切なのは「自分」だけ。 ただ犯罪を犯すような凶暴性はないようなので、事件沙汰には無縁だし、社会の中で気づかれることもなく、淡々と生きていくのでしょうが・・・ 「私がいなくなっても平気?」 「まあね」 ふ~っ、でした。
えー私も素人大学生なので参考程度に。 情性欠如というのはシュナイダーという人が提唱した性格の類型で、とりわけ異常性格というものの 分類です。異常性格のなかには社会に大して害を与えるであろう場合とそうでない 場合のどちらも含んでおり、ともに性格がある特殊な形態をとった時の 発露とされています。 ・・・んですが、もともと一般にいわれる浅い「心理学」(香山リカなどが唱導している類の) で人が分かれば苦労しません。もともとこうしたものの大元はフロイトの精神分析を つまらない心理学として仕立てたユングに端を発しているのですが、一体この類型当てはめがなんになるのか と問われれば、彼らはもっともらしい理屈は用意できるものの、答えることはできないでしょう。 文化庁長官の河合隼人もユング派ですけど実際に起こる社会事件に対して彼らがどれほど有効か どうかは見れば分かることです。 ので、人の性格が先天的であろうか、あるいは後天的であろうかと考えることは人に 「性格」なるものがあると信じるほどに愚かしいことだと少なくとも私は思っています。 さてやや話がずれましたが、そもそも人間なんて放っておけばどっちをむいて走り出すか 分からない生き物です。そもそも常軌なるものが定義しようとすれば非常に厚い論考を必要とする もので、一概に性格云々で決することは出来ないでしょう。 だから変わる、変わらないというのはそう思う第三者次第でしかないでしょう。今のところ。 私の感想としては変わらないヤツというのは必ずいますけどね。その人も教師でしたよ。 どうしようもないものはどうしようもないですよ。
お礼
回答、どうもありがとうございます。 HIGHーMEROさんは心理学か何かの勉強されているのでしょね。池田小の事件でそして情性欠如というのも初めて耳にしてそこでシュナイダーなる名前も知りました。それ以外はド素人で正直、前半、中盤は理解が難しいです(笑) 私の中で彼のこの性格を生まれ持ってのもの、性格と認知することで私自身が楽になるのです。 それまではなにせ彼の行動は、一般人の私にはまるで理解が出来ず、かなり思い悩み苦しみましたから・・・ 願わくば少しでも心を開いてくれたらと思っていましたが・・・
- -mion-
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cherrysageさんこんにちは 私はこの分野のプロでも何でもないので、他に専門家の方からの回答がついたらそちらを参考にして下さいね 情緒欠如の症状は、生まれ持ってのもの、=先天性ではなく、出生後に形成されるというような講義を受けた記憶があります。 多くは幼児期に親などから虐待を受けた場合や、親同士の不和、家庭や社会など、周囲の無関心などによって時間をかけて形成されていく-というように記憶しているのですが、違ったらゴメンナサイ(><) お知り合いの教師の方の場合は、情緒欠如と思われる症状を自覚して、故意に表現しているのだとしたら該当しないでしょうし、自己認識していないのであれば該当するように思えます。 一般に「冷たい」方はそのように思われがちなのかもしれませんが、そのほとんどは情緒欠如には該当しないのではないのでしょうか。
お礼
早速の回答有難うございます。 彼の場合、「冷たい」レベルは遥かに通り越して、人の心の痛みがまるで理解出来ない、しようともしない人間です。おかげで何度裏切られたことか。そのたびに出来ない約束はしないで、約束が守れないときは連絡を、それも出来なかった時は、お詫びの連絡を、と毎回毎回繰り返し言うのですが、「自分はそういう人間だから」で終わりです。すまないという気持ちはかけらも持ち合わせていないようです。 今回の宅間ので、犯罪こそ犯さないものの基本的な人間性に共通点を見たものですから・・・ 人の心の温かさで変えよう、ということ自体、最初から間違っている、通じない相手なのかな、と思ったものですから。 私も育っていく環境に何か影響されることがあったのかな、とは思いますが、自分のことは話さないし人との交わりも突っ込んだ話も基本的に嫌いなようで、まったくわかりません。 よりにもよって、好きになった人がそうだというのは、絶望的です。(;;)
お礼
早速の回答、有難うございます。 >持って生まれたDNAと環境が合わさって決まるんじゃないかなと思っています。 どんなに話しても私の心の痛みを知ろうともしない様子を見ていると、もう生まれ持ってのものと認識するしかないのだ、と思います。 生まれてこのかた、身近にそのような人間はあったことがありませんでした、よりにもよって・・・です。 彼は自分でも言っていたことがありました。 「いい死に方はしないと思う」って。 私じゃ彼は変えられなかった、ですね。