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憎い人に勝つために頑張ることの意味とは?
- 憎い人に勝つために頑張ることの意味がわからなくなってきた。勉強が手に付かず、葛藤している。
- 他人の憎しみに固執していることが、自分自身の成長を妨げているかもしれない。
- 自分の成功を追求するためには、他人との比較や競争心に囚われることなく、自己成長を意識することが重要。
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それは、きっかけに過ぎないと思いますよ! 「あんなやつに負けたくない」という動機は、一つの発奮材料や刺激剤となっただけで、実際の闘いは、自分との闘いに勝つことに他なりません。 闘う相手が自分なので、闘いも曖昧になりやすいわけです。また、いくらでも妥協できるともいえます。 そこで、仮想の相手を想定した方が競争心を持続できるというわけです。 つまりは、自分と闘い、自分に勝つために、仮想ライバルという都合のいい相手を選んだというわけです。 あなたの場合は、ちょうど憎む相手がいたから尚都合が良かったということだと思います。 しかし、本質は、彼と闘い、彼に勝つことではありません。 自分から逃げずに勝つための方便として彼を利用したということが真相でありましょう。 その証拠にもし、本当に終始相手に勝つことを意識したら逆に疲れてしまうでしょう。 本気になるには、本当の主体性を持たなければならないからです。 本気の主体性には、人がどうこうは全く関係ありません。 誰かを意識して何かをすること自体を嫌いますから・・・ 人がどうだろうがわが道を行く、そして制覇達成する!!・・・これが疲れない最高の動機でしょう。 振り回されるという意識があるうちは、まだまだ何かのせいにする自分があるわけですから、本当の主体性から臨もうとしているのではないかもしれません。 彼のことは単なるきっかけであって、闘いの本質は己に勝つことです。 その結果としてあなたの求める資格の取得の成果に繋がるだけのことだと思います。 あまり理屈で考えない方がいいように思います。 彼がどうこうより、素直にあなたがその資格を取りたいか、どれほど強く取りたいかです。 その際に、必要なら彼を仮想ライバル視し、己の心を燃やすきっかけにすればいいのです。 それをもって振り回されたとは言わないことでしょう。
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- makaay5
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中国の漢と言う国を建国した劉邦という人物の配下に国士無双と賞された韓信という人物がいました。この人物は若い頃、自分の食い扶持さえも稼げなく、老人に飯を恵んでもらったりしていたので郷里で評判がすこぶる悪く、あるとき町のごろつきにからまれてこう言われました。「てめぇの飯も用意できない奴が剣を脇にさして、大きな志があるような風体で町を歩くな!悔しかったら剣で俺をさしてみな。出来ないなら俺の股をくぐれ」と。すると韓信はためらいもなく股をくぐりました。 韓信はその出来事から「股夫」と呼ばれ、大きな蔑みをうけ続けましたが、劉邦に抜擢されるやいなや、自分の真価を発揮して大きな国の王にまで上りつめました。その後、王になった韓信は自分の世話をしてくれた老人に大きな褒美を与えました。そして自分に股をくぐらせた男を捜し出してこう言いました。「今日の私があるのは、あのとき貴方が私に股をくぐらせてくれたからである。あの屈辱があったからこそ私は王になれた。」と。そして褒美を男にも与えました。 モチベ~ションの出所はどこでも構わないでしょう。韓信と同じ大きな志があるならば股をくぐる事を躊躇しないでしょう。目標が大きなものであれば、それを達成できた時に生まれるのは、王になった韓信の様に相手への感謝の念や、それを持てるだけの余裕だと思います。回答者は韓信ほどの志がないので、相手にいらつきますけどw
たまたまあなたが採ろうとしてる資格をその人が採っただけ だからあなたはあんなやつが採れたのだから あんなやつには負けたくない って頑張ることがいいと思います その人を憎むあまり負けたくない気持ちがそうさせたと感謝することはないです あくまでも憎い人が、あんなやつが採れたのだから俺が採れないなんてって 考えるだけでいいと思います そして実際にその資格が採れた時、あいつの存在があったからかもって 感謝じゃなくその人のおかげでなく 今までお前が俺にしてきたことのおかげで 俺は頑張れた ラッキーって思えばいいと思います
- k_kota
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いじめと勉強の例で説明しますか。 勉強をしたので成績は上がりました、これは勉強した結果です。 やつがいじめをしたので成績が上がりました。これは違います。 勉強しなかったら成績は上がりません。なので関係ないです。 次に、どのような結果になろうともいじめは悪です。 また、考え方によっては、勉強にすがらないといけないくらいに ひどいいじめであったという言い方もできます。 ストレスをバネにできるかどうかは個人の資質です。 いじめて相手にそのバネを強要するのはおかしいです。 そう思ったとしてもそれは都合のいい話です。 私も色々ありましたので、いじめを言い訳とか逃げ道にするのは否定する気はありません。 しかし、私はそのようにしない方が、楽しいし美しいし、そういう感情すら活かせる人間として成長するようになる方が良いと思って生きてきました。 それでよいと思っています。 ですので、あなたがどのように生きるのが良いのかはあなたが決めることです。 上記内容を無視しようが信じようがお任せですが、自分の未知は自分の力で、自分のために切り開いてください。
- rapi777
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私には、頭の良い従兄弟がおりました。 進学の時、精神的苦痛を受けていた同級生が自分よりも学力の高い高校に受かり、本人はランク下の高校に。 合格発表で吐いて立てない程追い詰められてました。 大学は絶対に奴よりランク上の大学へと、取り付かれたように学業に励んでました。 でも、自分の気持ちに負けてしまって、自ら命を絶ちました。 そんなに憎くまれなければいけない人間だったのでしょうか。 楽して受験に受かった訳ではないと思うんです。 努力していたと思うんです。ざまあみろと思った訳でも無いと思うんです。 その時、精神的苦痛にちゃんと立ち向かったんだろうか、苦しい思いの原因はその人間だけにあったのか疑問です あれから何年たっただろう、その人もその人の人生を歩んで来たと思います。 後悔した事もあったかもしれない、自分を恥じたかも知れない。 同じ人間ではもう無いかも知れない、過去の事は過去の事。 過去過ちを犯して、今一生懸命生きてる人間もいると思うのですよね。 その人の今を評価すべきでは。
- key00001
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> 一向に肝心の勉強が進まず手につきません。 「勉強が手につかない」と言うのは、ご自身のヤル気が無いだけです。 何かを言い訳にしちゃダメですヨ。 > 「自分を罵倒してきた人のおかげ」 それを言えば、足し算が出来るのは、小学校1年生の時の教師のおかげですね。 「教師」や「おかげ」は・・・経験ですかね? 「あんなヤツには負けだくない」って言う場合の「あんなヤツ」も、一つの経験です。 人間の経験てのは力なんですよ。 「負けたくない」の方は、経験から構築された自分の意思です。 分けて考えないと。 経験は、質問者様にとっては単なる踏み台です。 経験と言う踏み台を沢山持ってる人が、高い所に登れるんです。 今の質問者様は「この踏み台を使って良いのか?」って悩んでるワケ。 > 「何で俺はあんな人間にふりまわされなければならないんだ」 振り回されるって言うのは、相手に合せるコトです。 イヤな相手が関連する踏み台を、相手に合わせて「使わない」と判断することこそが、「ふりまわされる」の正体では? 経験は自分のモノですよ。 「あんな人間」と言う経験を、バネにするなど利用することこそが、自らの意思でしょう。
- 0358972
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いじめられたからって誰もがボクサーになれるわけでも ダイエットに成功するわけでもないですし… たいがいは嫌な思い出として心の奥にしまったままか その人格に卑屈な影を残すだけです。 嫌な人に苦しめられるというのは避けられない災難です。 要はそれを自分の中でどう昇華できるか? 傷付いたこと、苦しんだこと、憎しみも、 すべて糧にして行きましょう。 物事を長期的に見てください。結局のところ、幸せになったもん勝ちですよ。 愛の反対語は憎しみではなく無関心。 その憎い人を「踏み台にして」、難関資格を取った暁には すっかりその人のことを忘れてしまいましょう。 その時こそ、あなたがその人の呪縛から完全に逃れることが できる時です。 ボクサーになった人も、ダイエット成功した人も、 幸せになった今は、自分をいじめた奴のことなど 絶対に、どうでもよくなってると 私は思います。
嫌なやつを見返したいという動機であれ、そのことを実現するのは本人ですね。本人の努力が結果を生むのです。 ということは、きっかけがどうであれ、目標を設定し、達成するのは誰でもない自分。自分の努力を認めるだけで良いと思います。 今貴方が書き並べていることは、憎い相手のことを理由に何もしたくないと書いているだけです。 結局心の中をかき乱され、あなた自身成長できないということで、憎い相手の支配がまだ続いているということになるのでは。