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中3歴史の平安時代について質問です
平将門の乱 藤原純友の乱 保元の乱 平治の乱 この4つの乱について 簡潔かつ解りやすく 解説していただけませんか? よろしくお願いします。
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- mappy0213
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将門の乱と藤原純友の乱 承平の乱。天慶の乱とまとめて承平天慶の乱とも呼ばれてます。 平安時代中期の西暦935年に始まるとされる関東地方の戦乱。が、939年までは平氏の私闘とされ、将門は何度も朝廷に弁明し赦免されている。 935年は京から帰ってきた将門が、父の領地が叔父の平国香?に奪われていたのを知り力ずくで奪還し国香を殺したのが始まり。 939年にかくまっていた藤原玄明?の追捕撤回を求めたところ、官軍の攻撃を受け反撃しついに朝敵となってしまう。その後は各国府を攻めてついに関八州を勢力下に治め、自らを「新皇」(新しい天皇の意)と号し独立政権を作ろうとした。 しかし940年に藤原秀郷、平貞盛らによって討ち取られてしまった。未遂に終わったが、これは武士階級が起こしたはじめてのクーデター事件です。 保元の乱 皇位継承問題や摂関家の内紛により朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分裂し、双方の武力衝突に至った政変 平治の乱 保元の乱のときに平清盛さんと源義朝は味方同士で後白河天皇とともに崇徳上皇と戦ってました っがその清盛さんと義朝さんがやりあったのが平治の乱 保元の乱鎮圧の恩賞に不満を抱く源義朝と藤原信西に反感を持つ公家がクーデターを起こすんですよ その頃清盛が一族を引き連れて熊野詣に向かった隙をついての義朝らは、天皇・上皇を幽閉して内裏を占拠。 藤原信西も殺害しクーデターは成功に終わる。 かに思えたんですが 清盛さん急遽都に引き返し、密かに天皇・上皇を脱出させ取り戻すことに成功する。 これにて状況は一転し、源義朝らは朝敵として追討される立場に立たされることになる。 その後一進一退を繰り返し結果は内通者が出たことにより源氏は総崩れとなって源氏がケチョンケチョンに負けます