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「分析」という言葉の語源
文字通りです。 「分析」という言葉は、元からある日本語ですか? いつ頃から使われるようになったのでしょう? それとも、外国語を取り込む際の造語でしょうか?
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再度、失礼致しますm(_"_)m No.2のdayoneです。 No.3のSamantabha様の御回答&御指摘もありましたので 改めて手元にある範囲で漢語系と仏教系の辞書を調べましたところ ◆『全訳(第二版)漢辞海/三省堂』の「分」項目の中の 「分析(ブンセキ)」欄の意味&出典によれば、 (1)分ける。区別する。(漢書・孔安国伝) (2)わかれる。(劉琨集・答盧諶詩幷書) (3)分家する。(旧唐書・劉君良伝) (4)物事や現象・概念を細かく分け、それらの本質を明らかにする。(後漢書・馬援伝) (5)[訴訟などで]弁明する。<…?出典なし?…> ◆『例文 仏教語大辞典/小学館』の 「分析(ブンシャク)」[「ブンジャク」とも]欄の意味&出典によれば、 (種々の角度から)観察すること。 (声字実相義・「又非極微集成色聚。但由覚慧分折(析カ)諸色、極量辺際分別・仮立、以為極微」) 参考URL 「漢書・孔安国伝」関連 http://hanji.sinica.edu.tw/cgi-bin/ftmsw3?ukey=505495579&tdb=%u4E8C%u5341%u4E94%u53F2&path=/3.5.61.24.1 「後漢書・馬援伝」関連 http://hanji.sinica.edu.tw/cgi-bin/ftmsw3?ukey=505495579&tdb=%u4E8C%u5341%u4E94%u53F2&path=/4.2.14.2.9.1 「声字実相義」(弘法大師)関連 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819282/268 以上のとおりですから 「分析」の言葉自体は、「漢書」の編者である班固(西暦32年~92年)&班昭(45年頃~117年頃)などの後漢時代には 既に存在していた様子で、 また「後漢書」の編者である范曄(西暦398年~445年)が西暦432年に「後漢書」の本記と列伝を著したことから 既に中国の南北朝時代には「物事や現象・概念を細かく分け、それらの本質を明らかにする。」意味で用いられていた様子です。 これらのことから、No.2で記したWikipediaの「造語」の表現には確かに疑問符が付きますが、 果たして宇田川榕庵が元々が漢籍である「分析」の言葉を当てて使用したのかどうかは謎です^^
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再度、失礼します。 語源を学術的に定義すべきか、ようするに日本語かということを、簡単に考えてしまいました。誠にあいすみません。 質問文より、外国語を取り込む際の、という文言がありましたため、化学用語として一般的に普及した時期を想定しました。 確かに、分析という漢字熟語がいつから存在したか、化学用語にいつ頃に適用されたかということは、他の回答者さんのおっしゃるあたりなんでしょうね。 まあ、物質を分けるというのは、砂浜から砂金を抽出することだって、分析と言えなくはないですけども。 学問体系として、分析概念があり、なおかつ一般人にまで広まったかという意味では、どうでしょう? とどのつまり、何事かを分けるという概念は、どんな時代・民族にでも、有り得たでしょうが、誰でも知り得る知識体系として準備されたかと言う意味では、近代化以降ではないかと、不肖な私目は、思う次第です、はい。
- Samantabha
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少なくとも、西洋の言葉を翻訳する時に初めて登場した語ではないと思います。 漢訳仏典や宋代の禅録などには、「分析」(読み方は「ぶんしゃく」)という語はよく出てきますから。 意味としては、「分けて解釈する」というような意味で、今使われている「分析」とさほど変わらないと思います。 ただ、仏典などに「分析」という語があってよく使われていた、ということを知った上で、化学などの西洋の学問を翻訳するにあたって「分析」という語を使ったのかということまでは分かりませんが。
- dayone
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WEB版大辞林の「分析」項目では、省略?されていますが、 電子辞書版大辞林の「分析」項目の解説の3番目には 物質に含まれている成分の種類や量を科学的・物質的に求めること。 [化学用語として「舎密開宗」(1837~47年)に載る。 「和英語林集成」(1867年)に訳語として analysis とある] と記載されています。 続いて『舎密開宗における現代化学用語/藤原鎭男・岡本有子/神奈川大学/年報'89:333-337』 http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/10487/1847/1/kana-16-3-0011.pdf によれば、 …「原書一巻を三篇とし、第一篇を元素の集合(物質)の記述、 第二篇、第三篇は試薬をもって雑合諸品(原文)を分析し薬品の真贋を明め」云々と記して、 第一篇を内篇、第二、第三篇を外篇とした。 上記の宇田川の記述する数行の中にすでに我々は宇田川の科学用語である 「試薬」と「分析」の二語を見出し、我が国の科学の歴史の沿革が古く長いことを察知させるのである。… と記されています。 また、Wikipedia「宇田川榕菴」の項目によれば http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E7%94%B0%E5%B7%9D%E6%A6%95%E8%8F%B4 宇田川榕菴(うだがわ ようあん) <1798年3月9日(寛政10年1月22日)~1846年6月22日(弘化3年5月29日)>は江戸時代後期の日本の蘭学者で、 日本で初めての近代化学を紹介する書となる『舎密開宗(せいみかいそう)』を 1837年(天保8年)から死後の1847年(弘化4年)にかけて出版。 舎密は化学を意味するオランダ語 Chemie の字訳。 宇田川榕菴はこれらの出版に際し、日本語のまだ存在しなかった学術用語に新しい造語を作って翻訳。 「酸素、水素、窒素、炭素、白金」といった元素名や「元素、酸化、還元、溶解、分析」といった化学用語、 「細胞、属」といった生物学用語は宇田川榕菴の造語。 と解説されています。
分析というのは、物資を成分比に分けることです。 明治期に福澤諭吉などが翻訳の際に用意した、造語です。