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法要の際のお金の包み方
先日、法要をした際に法事はしなかったのですが、来てくださった方に食事と手みやげを準備をして、無事法要を終わらせたのですが、その時、皆さんから香典を頂きました。 その中に、とても立派な黒水引のついた厚手の封筒に一と書いて 中身は千円をテッシュに包んで入ってました。 普通 金額に合わせて封筒を選ぶし、お金もテッシュに包まないと思いますが、どんな意味があると思いますか?
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- michael-m
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多分、幾らか包まねばと思った人が、家にあった不祝儀袋を持ってきたが、イザお金を入れようとしたら中袋が見つからない。直接言えるのは良くないと思ってティッシュに包んだ。 或いは袋を忘れた人が慌ててコンビニか店で買い求めたが、上等のものしかなかった。内袋に住所などを書き込もうとしたら間違えてしまって、仕方なくティッシュに包んだ。 そんなところじゃないですかね。 確かに貰った方にしてみると不可思議な行動をする人が増えています。 中年になると、表の体裁やいい加減な知識のマナーばかりが先にたって、細かな部分がないがしろになり易いです。 でも、近年では若い人も、かなりいい加減なマナーや常識にこだわっていますけど、殆どは自分本位だったり似非マナー通の根拠のないものばかりです。国民全体がが中年化しているんでしょうね。 今回のような場合は、厚意と受け取って、黙って納めておけばいいです。 法事というのは本来不祝儀ではなく、故人が仏の世界で一つの修行を終えた「節(せつ)」です。つまり慶事なんです。元来日本の仏教はこの世は修行の一部であって、魂は仏の世界に解き放たれたという思想があり、死によって別たれる事は悲しいが、喪が明ければ、魂の修行を応援するという考えがありました。でも、仏教思想が薄れたお陰で、逆にいつまで経っても故人を思って悲しむのが普通になってしまったのです。 (故人の魂が真の解脱に向って一歩前進し、次のステップの応援が法要です。そんな本来慶事である催しに出席した人に対しては厚意で来てくれていると受け取るのが当然でしょう。) それがいつの間にやら、寺=不祝儀という間違った常識が出来、禅宗のしきたりから質素な服=黒い服=喪服となり、本来は白黒のネクタイも黒で間に合わせられるようになって、葬式の延長のようになってしまっています。 今でも一部の地方では法事袋は白黒か黄色の水引きを使います。
- Gletscher
- ベストアンサー率23% (1525/6504)
その人が無知なだけではないでしょうか? それとも、そのようにするのが当然の宗派とか?
補足
実は、故人の弟からだったので何か意味があるのかなと思いまして・・・・・・・・ あまり仲が良くなく、法要にきても話をするわけでもなく 家族はこのまま送り返したらともいいます。 意地悪でわざとでしょうか?
補足
故人の弟からだったので、金額はいくらでもいいのですが、包み方が普通ではなく 家族がこのまま送り返したらろいうものですから、どうしたらよいかと・・・・・ 気持ちがすっきりしなくて、投稿してみました。