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古文
九月二十日のころを現代語訳していて思ったんですが、これは恋の話ですか? 夜遅くにふらっと会いに行く相手が異性で、一緒に行動する人を待たせてまで会いたい人 っていうところでそう思ったんですが、 それと、女の人が住んでいる家の様子もなんだか忍んで隠れて住んでいるような雰囲気を感じます。 ほんとのとこどうなんでしょうか?
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こんにちは。 恋の話、といえば恋の話でしょうかね。 吉田兼好はある偉い人と夜に月を見に出ていたわけです。その時偉い人が、ちょっと寄りたい家があるというのですが、偉い人は適当なところでさってしまいます。兼好はその家の人の様子が気になり、残ってものかげから覗いていたところ、その家の人も月を見ていました。そして、その家の人は最近亡くなられた、というお話です。 さて、このお話には矛盾があって、この文章のままなら、兼好は夜明けまで一緒に月を見たはずの「ある人」が尋ねた家で、「ある人」の用事が終わるまで待っていながらも、「ある人」が帰るのをほったらかしにして、物陰からその家の主人である「その人」の様子を覗いていたという事になるんです。 そこで前段のつながりから考えると、兼好法師とその人は少なからず相手に好意を抱いていたのかもしれません。けれど、兼好法師は僧、女の人は世間体もあります。素直に恋の話には出来なかったのでしょうね。