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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:余命いくばくもない時、例えば英単語を覚える気になりますか?)

余命いくばくもない時、英単語を覚える気になりますか?

このQ&Aのポイント
  • 余命いくばくもない時に英単語を覚える意義や必要性について考えます。
  • 年齢を重ねても知識欲や好奇心は衰えないという考えから、英語学習の楽しみを述べます。
  • 英単語やイディオムを覚える行為の意味や優先度について考察します。

質問者が選んだベストアンサー

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  • cherry77_
  • ベストアンサー率23% (291/1261)
回答No.3

私にとっては夕涼みの為に下駄を特注して履くことが 夕涼みそのものよりも楽しかったりもします。そういう考え方の方が、楽しみも増えて人生をエンジョイできるんじゃないでしょうか? 英語を学ぶ人の大部分は目標がもっとも大事ですが、学習のプロセス自体を楽しむ余裕があってもいいとは思います。でもねえ、一定のレベルまで到達すると もはやこれから先は純粋に語学としての英語の勉強じゃなくなってくるんですよ。法律とか科学とか専門用語を覚える段階になると、これは英語の勉強よりも英語を介して 法律とか科学の学習になってしまうんですよね。 私の場合は、やはり初・中級段階の純粋に語学としての英語の勉強が楽しかったので、上級レベルまで達したら 語学としての面白みが薄れてきてしまい、それで 色んな外国語を手をつけてきました。 ところで本題の「余命いくばくもない時、例えば英単語を覚える気になりますか? 」 の答えですが、そうですね、私なら 冥土に行っても役立つ時が来るかもしれないという気持ちで勉強し続けるかもしれません。

oozora2000
質問者

お礼

>私にとっては夕涼みの為に下駄を特注して履くことが 夕涼みそのものよりも楽しかったりもします。>そういう考え方の方が、楽しみも増えて人生をエンジョイできるんじゃないでしょうか? そうなんですよ。私も全く同感です。やれ資格試験や就職のためだとか、仕事で外国人と接するから已むを得ずとか、そういう目的のために、手段として英語を学ぶというのは、非常に「目的合理的」であって理にかなったことだと思うのですが、そういう目的のための手段のためだけに何かに取り組む、という人生を私は好きになれないんです。「目的」と「手段」を取り違えてはいけない、といきまく人も多いし、そちらの方が正しいとも思うのですが、私はそういう割り切った考え方に反旗を翻したいといつも思っています。ものごとを「役に立つか」どうかではなく、それ自体を「目的」或いは「楽しみ」と考えた方が、あなたの言われる通り、楽しい人生になるのではないかと考えます。 そして、「一定のレベルまで到達すると もはやこれから先は純粋に語学としての英語の勉強じゃなくなってきて、英語を介して 法律とか科学の学習になってしまう。」というのもよくわかるんです。 SPS700さんが「手段」と言われたのもこれで納得です。 最後の 「冥土に行っても役立つ時が来るかもしれないという気持ちで勉強し続けるかもしれません。」というユーモアにあふれるお気持ちの吐露も含め、色んな思いをうまく納得いくようにブレンドして頂き、腑に落ちる思いです。どうも有難うございました。

その他の回答 (3)

  • love_pet2
  • ベストアンサー率21% (176/826)
回答No.4

えらい難しいことを考えてますね。 最後に書いてあるように「語学習得」は「目的」でも「手段」でも「楽しみ」でも、その人にとっての「それ」でよいと思います。 これは語学習得に限ったことではありません。 私は今年がんが発見され、精密検査までの日々いろんなことを考えました。 幸い手術できれいにとれたので、今ではぴんぴんしてますが…。 でもその時、「死ぬまでに何をしよう」と思いました。 役に立つとか立たないとか関係なく、自分が限りなく思い残すことを少なくするには何をしよう…と考えました。 根本に「何故生きるのか?」があるとして、「生きる意味を考える」より「死なないことを考える」と誰かがテレビで言ってました。 どうせ死ぬので、生きている間の旅を楽しくするのがいいと思います。そうするために自分にとって必要なことは自然と出てきてやらないよりやる方が楽しいことがわかります。 語学もそのいっかんではないでしょうか? 人生を楽しいものにする材料の1つだと思います。

oozora2000
質問者

お礼

役に立つとか立たないとか関係なく、自分が限りなく思い残すことを少なくするには何をしよう…と考えられた由、そして自分にとって必要で楽しくなることをしようと考えられた由・・・私もそのお考え方を手本にし、精進していきたいと思います。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.2

 僕は言葉は使うもので、知識習得の道具と考えています。言わば履物です。 >>煎じつめれば、「あなたにとって語学取得は、『目的』か、それとも『手段』や単純な『人生の楽しみ』か?」ということになろうかと思います。  ですからこういうご質問の回答にはならないかもしれませんが、知識習得の前に、外国語の語彙は知っておかないと役に立たないと思います。   いわば浴衣を着て、花火を見に行く前に、下駄は用意しておきたい、と思います。僕にとって、下駄は『目的』でも『人生の楽しみ』でもなく、夏の夕涼みの必需品です。  

oozora2000
質問者

お礼

SPS700さん、私の質問への3つ目(もっと?)のご回答有難うございます。 SPS700さんによると、語学の習得は、他の知識を得るための『手段』だということですね。 最も支持の多い妥当な回答と思われますが、私はへそ曲がりなので、それ自体を目的乃至楽しみに考え、たとえ使われることがなくても、楽しみのために勉強している色彩が強いです。英語はそれ自体その音声(発音)が美しく、物事の表現にも向いた言語で、それに触れることに無上の喜びを感じます。それで、あたかも「雑学」の習得のように、「無駄な知識」に終わる可能性が強くても、それ自体を楽しみにしている非効率な部分があります。しかし、人生の時間が限られている中で、やはり、もっと「目的合理的」な習得をしなければならないのではないか、という疑問に突き当たり、この質問を出しました。

oozora2000
質問者

補足

No.3さんへのお礼でも触れましたが、SPS700さんの言われる「履物」或いは「下駄」は、色んな他の物事を学ぶための「手段」であって、それこそ有意義な利用方法だと思いました。

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.1

>余命いくばくもない時、例えば英単語を覚える気になりますか?     ↓ 深刻な事態・病状に成って見ないと分りませんが・・・宣告されたら、悩み苦しむでしょうが、落ち着き冷静に考える心理状態に成ったら。 好奇心・向上心が人生のエンジンだと思いますので、それが英単語かどうかは別として、何がしらの生きる目的・励みを見つけ出し、取り組み&挑戦すると思います。 そして、人生最後の大仕事として、死ぬと言う大切な最後の仕事に、有終の美を探求したいと思います。

oozora2000
質問者

お礼

好奇心・向上心が人生のエンジンなので、たとえその知識を実際に使うことがなくても、覚えようとされるのですね。うーん!そこまでの気持ちになれるのかな?

oozora2000
質問者

補足

お礼で疑問を投げかけた形になりましたが、基本的に考え方は同じです。ただ、回答者様ほど徹底していない自分です。

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