「~である」という意味を表す日本語は、もともとは「~にあり」で、これが縮まった
ものが「~なり」です。
「で」というのは、古い日本語の中にはなかった比較的新しい言葉で、もともとは
「にて」という形から変化しました。
「~にあり」という形に「て」が挿入されて「~にてあり」になり、さらに「にて」が「で」に
変わるとともに、「あり」が連体形の「ある」と混同されるようになって、「~である」と
いう形が生まれました。
これがさらに短くなったものが「~だ」という形です。
現代語でも、「断定」の助動詞「だ」は「だろ・だっ/で/に・だ・な・なら」と活用すると
されていますが、これは一つの単語が変化したものというより、「~にあり/なり」と
「~である/だ」の2系統の活用形が混ざったものであることが分かると思います。
ここでドラマのセリフの話に戻りますが、「ございます」は「ある(あり)」の丁寧語です。
より詳しく言うなら、「ございます」は「ある」の丁寧語「ござる」に「ます(まする)」が
ついたものです。
「~でございます」は「~である」の丁寧語であり、「~にございます」は「~にあり」の
丁寧語ですから、どちらも「正しい」日本語です。
もちろん「~にございます」はあくまで歴史的な用法であり、現代語では使われません。
しかし、歴史小説や時代劇などでは、雰囲気を出すために、セリフなどは敢えて
古めかしい言い回しをよく使います。(必ずしもその当時使われていた日本語
そのままというわけではありませんが)
ちなみに今回の「~にございます」や、少し前に質問しておられた「しばし待たれよ」
「と申されますと」などは、時代劇では極めて頻繁に使われるごく普通の表現です。
現代語の基準に照らして「おかしい」「間違っている」などと考えず、これは昔の言葉
なのだ、と受け入れてそれも含めて楽しむ方がよいのではないかと思います。
お礼
丁寧な御返事ありがとうございます。大変勉強になりました。 日本語はむずかしいですね。がんばります。