締め切り後の回答すみません。
昨日の深夜に質問を拝見し、時間がなかったもので…
セオドア・ルーズベルトの日露観を少し書いてみます。
日露戦争における日本の戦いを、英国の代理戦争とする見方がありますが、米西戦争以降、西太平洋にまで勢力圏を拡大していた米国にとっても、日本の戦いは代理戦争という側面を持っていました。
ルーズベルトはロシアの満州占領時に見せた傍若無人なやり方や、その専制政治にも反感をもっており、そのぶん日本よりの立場でした。
「日本は我々のゲームを行なっている」(1904/2/10)
「彼等(日本)は文明人のゲームを行なっている」(1904/7/26)
一方で、戦争の経過から日本の軍事力に対する警戒感を強め、日露の対立の持続こそが米国の国益であるとの考えも同時に持つようなります。
開戦一ヵ月後(1904/3)、
駐米ドイツ大使との会談でのルーズベルト発言の要約
日露が消耗し、講和後も日露の地理的摩擦面が除去されず、戦前同様に勢力範囲の境界で対立することが我々の利益である。このことは両国を絶えず戦時体制に置き、日露の他地域に対する野心を和らげる。日本は膠州湾でドイツを、フィリピンで米国を脅かすことはない。
この人の日本への同情と支援は「日本の勝利が奉天以北でない限りにのみ用意されていた」といいます。ロシアの圧勝はもちろん、日本の勝ちすぎも望んでいなかったのです。
ルーズベルトは【20世紀を通じて米国の外交理念となるウィルソン主義】に対立する考えの持主で、パワーポリティックスの「支持者」です、力のバランスには敏感であり、非情なまでに現実的です。
また彼の見解は一貫しています。開戦間もないときから、具体的に調停に乗り出したころ(1905/6)まで、認識に変化はありません。
(1905/6/16の発言)「露国の勝利は文明に対する打撃になる一方、東アジアの勢力として露国の崩壊もまた私の意見では不幸なことである。両国が相手に対して穏当な行動をとるように露国が日本に対して残るのが最も良い」
調停によって満州への発言権や影響力を確保したいという欲求は当然でしょうが、以上のようなルーズベルトの底意を、米国の動きの基底に見ておくと必要があると思います。
お礼
仲裁料と列強入り という2つの目的、、、 とくにモンロー外交から列強入りへと 軸足を移してきた背景がよく分かりました。