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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:津波の心配はありません。)
地震と津波の心配に関する疑問
このQ&Aのポイント
- 地震が起きたとき、「この地震による津波の心配はありません。」という表現がよく使われますが、これが「ヘンな日本語」だと感じる理由について考えます。
- 個人の感情によって、「心配する人」と「心配しない人」が発生するため、地震が起きたときの津波の心配については個人差があると言えます。
- 「心配」は「ある、ない」ではなく、「する、しない」という表現がより正確だと思われます。しかし、アナウンサーが使う表現は一般的であり、場の雰囲気を考慮したものと考えられます。
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#5です。 お礼欄拝見しました。質問文も、もう一度読み直しました。 >心配」は「ある、ない」ではなく「する、しない」が正しい(より正確)と 思いませんか?人の感情だからです。 :とおっしゃっていたので、「心配」の語法についての質問かと思って回答したのですが、おっしゃりたいことは、 >「心配する、しない」は個人の勝手だから、 >「正しい日本語」という観点からはこの表現はオカシイ :ということのほうに力点が置かれているようですね。 しかし、そうすると、地震が起きたこと自体に関しても、同じことが言えると思うのですがどうでしょうか。地域限定の場合が殆んどですから、 >同じ現象について、人によって「心配する人」と「心配しない人」が発生する :ことになりますよね。また、たとえばですが、 「今年のインフルエンザは大流行の心配はありません」 などという表現にも違和感を覚えられるのでしょうか。 こう書いてきて思ったのですが、「この放送を自分自身は厳密に受け止めなければならない」という、几帳面なご性格なのかもしれませんね。 厳密に受け止めようと思うと、自分に当てはまらない事柄に関しては、「個人の勝手」という印象を受けるのでしょう。 「そうか、津波の心配をしている人もいるだろうから、その人たちに対して、その心配をする必要はありませんよ」と呼びかけているのだな、とお考えになることはそう難しいことではないと思いますし、正しくない日本語とは言えないように思います。 国語の問題というよりは、単なる感覚の問題でしょうね、こうなってくると。
補足
ごめんなさい。言葉足らずだったかな? 「あり、なし」を問題にしているのではなく、 個人の感情の「心配のある、なし」を強制しているような感じが しませんか?という意味の質問なんですが。