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過干渉について。

過干渉について。 先ほど、過干渉について、詳しく調べていたのですが…親から子への過干渉は、親に認識のない「心理的虐待」だと書いていました。 確かに、度の過ぎた、過干渉は駄目だと思いますが、本当に、心理的虐待に相当するのでしょうか?

みんなの回答

noname#181271
noname#181271
回答No.6

いくつになっても、子にとって親は親。いくつになっても、親にとって子は子ども。 それは確かです。 が、20歳過ぎたら、子供時代のような、自分の分身的扱いをしてる親は、子離れ出来ていない、子を自分の思い通りに管理出来なければ、そっと見守ることが出来ず、ならば勝手にしろ、出て行け、などは 親が大人になり切れていない未成熟な状態です。 子供には、子供の人生があり、20歳になれば、社会的責任を負いますし、世間体も、子供たちの生きるネットワークも出来ます。 その中で、親が子供のため、と言いつつ、 郵便物を勝手に開く、 経済的な管理をして自由にさせない、締め付ける、 過去の子供時代の終わったトラブルや事件を 他に相談したりして公表する 部屋に ペット監視用のカメラをつけ、未成年ではない子の監視をする 作家、表現者など、職業関係で、子供の存在自体、親にとって自分のヒストリーではあるものの、子供は思春期からプライバシーにズカズカ入り込まれたりすることを拒否し始めるのをわかっているはずですが、子供にも子供の世界があり、許可なく子供におきた出来事を他に話したりすると、人生の不意なとき、大切なとき、子供のライバル的存在や、妨害者に力を貸すことになるということがあるため、きちんと公私混同しないように、親が自立しないと、子供の人生の邪魔になる、肝心な時に足を引っ張る障害になってしまう ことというのが、多々あります。それも心理的虐待になり得ますね。 心理的虐待に値するのは、執拗な干渉や監視、管理です。 親だって、人の子ですから、自分の自由にならない親家族の中で、子供の立場でいた頃には、親からの小言や注意をうるさく感じたこと、自由に制限があるから、こそ、自立しないとならない、と考えたことは、どなたにもあるはず。 しかし、自分が愛する人と作った家庭の中では、子供の成長が楽しく、ずっとペットの観賞みたく愛する大切な者を見ていたいのは、愛された子供なら理解できますが、未成年まで。 成人後は、親の干渉、監視、見ること、アドバイス、世話焼きも、プライバシーの侵害、人権侵害になることが多々あります。 例えば、幼い頃の子供の失敗や恥ずかしい場面など、も、親にとっては楽しい思い出で何の悪気がなくとも、子供やその親が公表する他人との関係性遺憾では、子供にとって立場が悪くなること、嫌がることなどは、親も十分わかっているはずです。 必要以上に口出しする親がいる成人男性は、マザコンと言われたり、権力者の親のえじきになっている親の政略結婚しか出来ない人、と結婚相手候補に避けられることもあります。 娘だから心配と、親が干渉しすぎ自由がなければ、女性も婚期が遠くなったりします。 子供のために、、、と口癖に、懲らしめてやる、ためにわざとやる、それは心理的虐待以外に何者でもありません。 赤ちゃんだって、恥ずかしいこと、嫌な事、は学習しますし、子育てきちんとしているお母さんなら、してあげなきゃならないことは仕方なくとも、子供の嫌がることくらい、子育てスムーズに行かせるために、察して、見てみないふり、もしながら、愛する子のプライバシーに配慮するように親が成長するはずですよね。 年頃の男の子を持ったお母さんは、たとえ掃除してあげる、子供のため、といえ、子供の部屋に入るのを人権侵害という言葉がわからない思春期の男の子が我慢に限界が来て、暴力で嫌な事をするなと、訴えるケースだってありますね。 でも、お母さんの配慮がないせい、つまり、子供の暴力は、まず、親が何か配慮なく精神的暴力が先にある、解決の仕方がわからないのは親より子供の方が経験短いわけで、当たり前なのです。 親にどうしたらいいかわからないなら、子供には わからない、が前提。 成人した子供への干渉は、人権侵害になることもあります。 よく老化して介護の時期になった親が、ヘルパーさんや医療関係者にしてもらうことはOKでも、自分の子供に見られるのは嫌なこと、例えば下の世話など、ということがありますね。 きっと似たことかも知れません。 親しき仲にも礼儀あり、一定の距離感がないと、家族も、人間関係、人の集まる所には必ず、近すぎても、離れ過ぎても、諍いが耐えません。 ペット監視用カメラなどの無断設置や、メールなどの勝手な開封も、親であろうと、家族であろうと、違法行為には変わりません。 親でも子供に干渉されて嫌な事、ありますよね? 叱ろうと陰湿にされ続けたら、心理的虐待になる。精神壊れてしまう人も親子ともにいます。

  • minimus
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回答No.5

身近に息子たちに過干渉してる人を知っています。 その人は母親ですが、とにかく子ども(息子2人)は自分の物だと思っているので、その息子たちの事は何でも知りたい、自分は親なんだから知る権利があると思い込んでいるのです。もちろん、子どもが小さいうちは子どもを守るために、必要な干渉もあるのでしょうが、彼らはもう大人(30歳以上)。銀行からの個人宛の手紙を心配だからって勝手に開けて見て言い訳ありません。 子どもの為を思って、、、というのが彼女の決まり文句ですが、結局は子どもの意思なんてまったく関係なく、自分の思い通りにしたいだけ。子どもの事を心配している自分、色々と子どもの世話をしていると周りに思われている自分が大好きなのです。(周りはいい加減に子どもを解放してあげなよって誰もが思っていますけど。)何を話し合っても自分の気に入らない方向に話が進むと、途端に耳を塞いでしまいます。 自分の母親に「自分」を受け入れてもらえない。一人の人間として認めてもらえない。これは本当に心が傷つくと思いますよ。しかも彼女は子どもを愛している自分を信じて止まないんですから、本当にタチが悪いです。 そんな母親を持つ息子達は現在、2人とも海外で親の干渉から逃れてのびのびと暮らしています。それが母親を憎まないで済む一番良い方法みたいです。子どもをいつまでも手元に置いておきたかった母親は、結局自分が子どもを遠い場所へおいやる原因になってしましましたが、彼女はやっぱり自分が原因だっていうことに気がついていないんです。

  • AIGOLP
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回答No.4

体罰=虐待と考える人もいれば、そうでない人もいるように 捉え方は人それぞれじゃないでしょうか。 私自身は、過干渉=心理的虐待といっても過言ではないと思います。 ディスカウントストアの「ディスカウント」という言葉がありますね。 もともと値引くという意味ですが、身体的虐待にしろ過干渉にしろ、 子どもが本来持つ価値を認めず値引いて(ディスカウントして)いる という点で両者は共通しています。 母親が過干渉で父親の影が薄い場合、子どもが不登校になりやすい という話が(本当かどうか知りませんが)あるくらいなので、 その負の影響の大きさを甘く見ない方がいいという警鐘として、 心理的虐待とまで言っているのかもしれませんね。 特に過干渉の場合、身体的虐待と違って親が無意識・無自覚の ことが多いと思いますので、警鐘はうるさいくらいでちょうどいい と個人的には思います。

noname#132422
noname#132422
回答No.3

NO1です。  あの後 気になって過保護と過干渉の違いを調べました・・ 一応載せておきます、よろしければ読んで見てください♪  「過保護・過干渉」と一緒に語られる事が多いこの2つですが、実は過保護と過干渉は反対の意味合いがあります。 保護とは、親が子の安全を守る以外にも、子がひとりでは実現困難で「適当な/相応な」望みや欲求を、親が叶えてあげる事も含まれます。 例えば、まだひとりでトイレに行けない子のトイレを親が介助するとか、人ごみで見たくても見れない花火を見せてあげるために抱っこしてあげる等です。 過保護とは、子がひとりで実現可能な望みや欲求や、「不適当な/不相応な」な望みや欲求を、親が叶えてあげると言う事になるでしょう。 例えば、自分でくつ下を履けるのに履かせてあげるとか、1台あれば十分使えるパソコンを欲しがる度に何台も買い与える等です。 また子の安全に関して過剰に心配し、子の望みや欲求を制限する等も過保護の範疇に入るでしょう。 例えば、危ないから一切外で遊ばせないとか、転んで怪我をするといけないから絶対自転車には乗せない等です。 子が自分で出来る物事も親が率先してやってあげると、自発性に欠け、依存的な子に育つ傾向があります。 それだけでなく、自発的な行動によって生じる成功体験や挫折体験の機会が少ないため、挫折や失敗に弱く、やる気を持って物事に取り組む事や最後まで取り組む事等が難しい傾向もあります。(後に述べる過干渉も同様の特徴があります。) さらに、子が成長し、自分でやらなければならない物事でも、「やりたくない」欲求があれば親がそれを叶えてしまうため、責任を持たなければいけない状況でも逃避、或いは他人に押し付ける場合があります。 また、望むものを何でも叶えてあげると、欲求が叶わない経験の機会が少なくなり、思い通りにならないと強いストレスや精神的な動揺を感じやすくなります。 このように、子の意思を尊重し過ぎ、子の望みを叶え過ぎるのが過保護です。 反対に、子の意思を尊重せず、子が望んでいない事をやり過ぎる、或いはやらせ過ぎるのが過干渉です。 過干渉とは、子の意思や思考等の個性を認めず、親の価値観や思考や観念、時には趣味や親の世代の事柄などを子に押し付けるもので、支配やコントロールとも言えます。 学校(学歴・成績)、習い事、交友関係、趣味、生活態度、果ては会社(職種・実績)や恋愛・結婚等に対して、親が「我が子はこうであって欲しい」と細かく介入します。 過干渉で顕著に見られるものとして、部屋の引き出しの中、携帯電話の履歴やメール、パソコンに保存されているファイルやネット閲覧履歴、日記、個人宛の郵便物、写真、通帳等を本人には無断で調べたり見たりします。 プライベートな事柄まで干渉するのは、「望み通りの子」にするための監視や管理のためで、親が不愉快に思うものは子から排除しようとします。 例えば、写真の中に一緒に写る友人を見て不快に思った親が「この子とは遊んではいけません」と交友関係を絶たせようとするなどです。 親自身は「子の幸せを願うからこそ」或いは「子のためのしつけ」等と考え、過干渉に気付いていない場合が多いです。 過保護と過干渉の違いを間違えて覚えている人も多いそうですよ~ 私も少し勘違いがあったかも知れないです・・   参考までに♪

  • gtx456gtx
  • ベストアンサー率18% (194/1035)
回答No.2

50代 男、高校生の子供2人居ます。 >確かに、度の過ぎた、過干渉は駄目だと思いますが、本当に、心理的虐待に相当 言葉遊びのような気がしてなりません。 子供の年齢に合わせて子供への注意の仕方を変えれば、それで良いと思います。 極端な話、言葉の分からない幼児へは、過干渉と言われ様が、子供が泣き叫ぼうが危ないことは断固として止めさせないと、子供の生命にも関わることあります。 しかし、親と話してお互いに意思疎通ができるようになれば、まずは話して理解させることができると思います。 ということで「過干渉」という表現が、どのようなケースに該当するかは、親、子供、その場の状況に於いて変化することなので「確かに、度の過ぎた、過干渉は駄目だと・・・」というのは単なる言葉遊びに聞こえます。

noname#132422
noname#132422
回答No.1

はじめまして! 三人の男の子の母です。(中学 小学4 4歳)  虐待になるでしょうね・・ 過保護とは違い 子供の意思や思想 好み 興味をすべて親の思想で押し込んでしまいますからね・・  子供を一人の人間と見ないで操り人形のようにしてしまうんですから・・ 親が死んだ時に子供は自分の足で人生を歩めるでしょうか?  今まで子供の行く道をすべて親が決め 子供には考える力を与えず親の意見のまま動かすのですから、歩めないですよね?  親の役目とは子供が大人になり巣立つ事を考えて育てるのでは?って思います。 子供が大人になり親が先に死んでも立派に社会に立ち自分の人生に責任を持って歩むのが親の役目では?って私は思って子育てしています。  お母さんやお父さんが作ったレールの上に無理やり乗せ 子供の意思を摘み取り意見も言わせず乗せるのは子供の人格を無視していますよね?  子供は子供の人生があり 親はアドバイス程度で良いのでは?って思っています。 心理的虐待って言われたら将来子供が大きくなった時に社会に適応できなくなるのである意味虐待なのでは?って思いますよ。    でも 私もそういう虐待とかに詳しくはないので絶対虐待だ!って肯定は出来ないけど・・(笑) 私的には虐待と同じなのでは?って思います。  体に傷を作るだけが虐待ではないと思っていますので・・・

yui0118
質問者

お礼

そうですね。心は傷つきますから、虐待に相当しますね・・・ 解答ありがとうございます☆

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