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精神障害者が完治して社会復帰した例は、どの位、珍しいですか?
精神障害者が完治して社会復帰した例は、どの位、珍しいですか? 1、2、3級、どのくらいの方が完治し、経済的に自立されているのでしょうか? 私はかつて精神障害者2級の手帳を持ち、20代前半から5年間ほど療養しておりました。 生活保護を受けて一人暮らしでした。 病名は4~5コありました。 あの手この手で、回復への道を辿り、現在はアルバイトながらも社会復帰させていただいております。 療養中に取った資格で、ほんの少しの期間ですが自営もやりました。 薬を止めてから2年が過ぎました。 私は病気当時、治療の励みとしても、また今後の参考にも、治った人の例が知りたくて探し回ったのですが、 少なくとも携帯のインターネットで見つけられたのはたった一人でした。 「必ず治してこれを良い経験にしよう」と始めた治療生活も、2年を過ぎると、「自分は本当に治るだろうか」と希望を失いがちになり、 私は治った方や、またそれに等しいくらいに病気と上手く付き合い社会復帰できた方の体験談を喉から手が出るほど欲していました。 あれから2年以上が過ぎ、最近、自分だからこそ出来ることは何だろうかと振り返った時 思ったことは、当時、空き缶を捨てることにさえ30分もかかった障害者2級から完治に至った自分の経験を誰かに生かすことではないかと考えました。 が、この経験はどの位、珍しいものなのでしょうか? 皆さんの周りで、精神障害者から完治し、無事社会復帰出来た方はいらっしゃいますか? また、現在、障害者の方、もしくはケアをする側の方、どちらでも構いません。 精神障害者を経験した人に聞きたいことはありますか? 自分の経験をどんな風に人様のお役に立たせたら良いかと考えております。 宜しくお願い致します。
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- tsubakisakura07
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こんばんは 質問者さまの質問内容に大変励まされました。 私は現在3級の障害者手帳を持っていて治療中です。 発病したのはいまから8年前の24歳でした。 現在32歳。独身です。 なかなか完治しなくて落ち込むことが多いです。 発病してからも29歳まで証券会社でフルタイムで働き、 日本舞踊や茶道の経験もあったので 少しの期間ですが、芸者として出ていたこともありました。 他の方の例を多く知っているわけではありませんが 私は現在障害者年金を、月に5万円弱いただきそれを 家賃に当てて、生活費は貯金や週に3回ほどのアルバイトで 得た収入でしのいでいます。 経済的に自立していた時期もありましたが 安定した収入はなかなか難しいとの思いがあります。 実家の両親は健在ですが、家族が病気の原因の一つで あったことから、実家へ戻るのはためらいがあります。 フルタイムでの仕事や芸者の仕事でも、病気で体力がないことなどから 10回は解雇されました。 いまでも頻繁に心が折れそうになることがあります。 治療や身の周りのことができない、思うように体が動かないつらさは 3級でも相当のものです。 お聞きしたことは山ほどありますが、 そうして完治した方がいらっしゃると知っただけでも 私はとても励みになりました。 病状があまり良くない状態で回答したので、 適切な回答か自信がありません(汗) ズレていたら申し訳ありません。
- 10311219
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こんばんわ先日の回答で 何回かご指摘のあった件について誤解が生じたら困るので お断りを入れておきます。 その昔、精神障害者とは座敷牢のような場所で家族が隠すようにして 養育していました。 精神障害者のことについて例えば統計を取ろうと誰かがするなら その統計は警察がとって個別に世帯の実態を訪問調査していたのです。 今は、時代が変わって精神障害者というひとくくりではなく 病状によっては社会復帰をする方もいるので、 複数の病名がつくような困難なケースでも 絶対希望を失ってはいけないと思います。 「3級で社会復帰する人が頻繁」という自分の発言は 職場における精神手帳3級取得者が多いので、そういう錯覚にとらわれているだけで 実際には頻繁というのは適切ではないかもしれず実際、驚かせたかもしれません。 1部の精神障害症状というのは 私は脳機能の中の伝達不足だと考えますので その機能を回復することが将来的にできる潜在的な人口 はかなりいるはずなんです。 でも質問者様の周りにいる方の例のように 治らないということで新たに仕事を探すことを諦めてしまったり 健常者でも仕事に就けない時代なのに 無理と、はなからきめてしまっている方は沢山いますし その方を責めることはできないと思います。 また、世間体等も邪魔して家族の理解を得られない方が思うより多く 本人の病状と実際の社会のストレスフルなことを理解せずに 家族が無理やり復職させようとしたり ということを日常的に見ておりまして大変複雑な思いです。 質問者さまのように社会復帰されたことは、 実に幸せなことであるのも感謝しつつ ご自分の努力でそこまでのぼりつめられたのですから 自信をもってみんなを励ましてあげてください、と今は思います。
- 10311219
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知人に双極性障害で2級で、社会復帰とは言わないまでもかなりフルタイムに近い仕事をしています。 16,7歳で発病してから高校を中退し、うつとの診断でしばらく家を全く出られすに受診できなくて、その後、今度は躁転したので転院し、医師と非常に相性が良かったので双極性1型として治療に専念できました。 彼も一時自営業をしていましたが、その自営とは祖母、両親が彼を思いやって手伝い、彼を社長として据えたので厳密にいえば自営業の個人事業主とは少し違うんですが、自信がついたのもよかったし、会社員と違って、人間関係にもまれることもなかったのです。 どのくらい珍しいかといわれても3級なら社会復帰ができるかたは頻繁に見ます。 、こればっかりはあせらせてもいけないので、最終的に働いて自活することを目標としていても闘病生活のなか、精神科に通院もしないといけないし経済的にも行き詰る恐れがありますので すごく恵まれたかたという気はします。ただそれを同じような境遇にある患者さんに話すことで 「頑張って回復した人がいるし、自分も頑張らなくっちゃ」という負担になったり、 その情報をみて家族が「ほら、見てこんな人もいるのに貴方は、、」 と責められることになるのでは? なので、あまり言わないで静かに過ごされるのがいいかなとは思います。
- 畑山 隆志(@deltalon)
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ぜひご自身でサイトを立ち上げて、これまでの経験を、医学情報と組み合わせて教えていただきたい。実名がしんどいようでしたら、この「おしえてgoo」のサイトなどで回答者として、ぜひよきアドバイスをお願いしたい。上手くいけば、アドバイザーとして自立できるかもしれません。よろしくお願いしたい。
お礼
deltalon様 早速の温かいご回答をありがとうございます。 (*^-^) 当時も携帯用のメンタル情報サイトを運営していたため、サイトの立ち上げというところまでは、考えにあるのですが 治って2年、ピークの地獄時代からは3~4年が経つため、 ・当時の療養生活のコツにおいて、かなり記憶が薄れている点 ・たとえ同じ病名の方がいても他に何を併発されてるかによって対策が異なる点 ・障害者手帳も、療養記録手帳も処分してしまい、写真公開も出来ない点 などなどから、 経験を生かしたいと思う半面、果たしてどこまで何が出来るだろう?と思う事もありました。 それでも、この経験がやはり珍しいもの、病気と闘う方々にとって価値の高いものであるならば、 経験談だけでも書き上げ、冊子やサイトにしてみたい考えがあります。 治ったばかりの頃は、歩ける素晴らしさや働ける素晴らしさに感動していましたものの、 これだけ時が経つと、何だか自分が知らないだけで、完治してる人なんていくらでもいて、 記憶の薄れた自分の体験談なんて大して役に立たないのでは?という思いもあって投稿に至った次第です。 経験談レベルであっても需要が高いなら、実名を明かしても構わないので、むしろ これから治っていく人達に役立つようなサービス作りなんかにも後々は繋げられたら、とも考えております。
お礼
10311219様 貴重なお話、ご丁寧に有り難うございます。 なんと言っても驚いたのは「3級なら社会復帰ができるかたは頻繁に」です。 凄いですね。 10311219様は福祉関係の方なのでしょうか。 当時の私の周りには、3級でいつおみかけしても、自分よりもずっとお元気で社会復帰にとても近く見えるのに [障害者をして仕事をしない]というところに一生いるつもりの、もう障害があるんだから仕方ないと諦めてしまった方ばかりで ましてや2級など、人としてまともな生活を送ることさえ少しは諦めないといけないようなムードでした。 その中で孤立してでも、障害者の友達と上手くいかなくなっても、治ることが信じられなくても無理にでも治ると信じ唱え続けてやった結果です。 私を見て「治る人、いるんだね。希望が持てる、会えて良かった、有り難う。」と言って下さった方もいます。 ただやはり、人によって、毒にも薬にもなる話だ、ということでしょうね。 実際に、私が治すためにやったことは、カンタンに「真似して」と言えるような内容ではありません。 それ相当の覚悟と勇気と継続が必要だったと思います。 病気完治に限らず夢を叶えるってそういうものかもしれませんが。 だからこそ、あまり人に話してきませんでした。 貴重なお話とご意見、本当に有り難うございました。 大変参考になりました。 m(*__)m