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最高裁判所の判事の選出は誰が何を基準に決めているのですか?
最高裁判所の判事の選出は誰が何を基準に決めているのですか? 司法試験合格が必須条件でないなら裁判員裁判、検察審査会のようにくじで選ばれた一般国民になってもらった方が公平性がたもてると思います。 最高裁判所は最後の司法判断をするところで、国賠、行政訴訟の最終判断も行われます。 司法試験に合格していない元外務事務次官の方がいらっしゃるとのことですが、司法試験に合格していなくてもOK、専門的知識なくてOKならば偏った判断がなされないためにも長い間行政機関で働いていた人は避けるべきではないでしょうか。
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ご質問ありがとう。うん、うん、うん、私も大賛成! 司法試験から上がっていくコースだと、裁判官はえ抜き、弁護士出身、検察官出身、の3コース。 裁判官はえ抜きの場合、最初は家裁や簡裁、次に地裁、と「出世」し、そこから先は上級の裁判所から「ひいき」された裁判官たちが高裁や最高裁へと抜擢されます。 この「ひいき」の基準は、一口に言えば「保守」ということ。例えば、 (1) 「疑わしきは罰せず」の原則など何のその、刑事容疑者は片っ端から有罪、重刑 (2) 行政訴訟では、行政側の勝訴、という結論先にありき (3) 民事なら、個人対個人なら社会的地位の高い者が勝訴、個人対企業なら企業が勝訴、企業対企業なら大きいほうの企業が勝訴 と言うように、要するに「強きを助け、弱きを憎む、TAKEちゃんマン」みたいな判決を多く出す裁判官(だけ)が出世します。(これに関する学術研究も多数。) 検察出身なら、もとから「権力側」です。 弁護士出身の場合も、人権派の起用は少なく、大企業弁護士みたいなのが多いようです。 他方、司法試験以外からの起用コースでは、ご指摘の通り行政官出身の「天下り」と言いますか、権力側の人たちが多いですね。 というわけで、ご質問者のおっしゃる通り、不偏不党なんてお題目だけ、実態は「権力側」の人材で練り固められている日本の最高裁人事。 しかも悪い事に、最高裁(だけでなく高裁も)の判決は、裁判官直筆ではなく、裁判所調査官という司法官僚、つまり行政官が起稿し、裁判官は単にそれを監修しているのみ。 これでは江戸時代の悪代官が偏向裁判を行なっていたのと、何ら変わりません。 日本の裁判は徹頭徹尾、権力側の意のまま。 「裁判を受ける権利」とは、万人に等しく保障されたもののはずですが、その裁判がここまで不公平では、「権利」の意味が無い、というのが悲しい現状です。 この意味で日本は、まだまだ後進国。ヨーロッパより500年、アメリカより200年遅れてます。
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- bokkinn-chinko
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15名中10名は要法曹資格。ずっと法曹界で生きてきた人間だけでも偏るかと 比率は↓みたくなってる http://loda.jp/uploader777/?id=1354 基地害判決出す奴は国民審査で罷免だあ メディアももっと国民が国民審査に参加するべく情報を与えるべき
お礼
どうもありがとうございます。 比率見ました。 >15名中10名は要法曹資格 この犯罪には懲役何年、という基本的な部分さえ間違えなければ、法曹資格者がその部分さえチェックすればあとは一般市民の感覚で裁定してもらっても良い様な気がします。 >メディアももっと国民が国民審査に参加するべく情報を与えるべき そう思います。司法は最後の砦、最高裁はその最後の最後の砦。 おかしな判決をする裁判官には×をつけなければいけません。そのためには、選挙前だけではなく最高裁の判決(最高裁まで行くということは議論の余地大有りですから)は日常的にもっと報道して欲しいです。裁判官の名前も。もちろん、みずからも関心を持ちインターネットその他で情報収集するよう心がけないといけないと思います。 最高裁の判決は国民全体が注視し、おかしな判決をした裁判官は次の国民審査で×をつけるぞというくらいの意気込みが必要です。
- kumap2010
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>検察審査会のようにくじで選ばれた一般国民になってもらった方が公平性がたもてると思います。 それ、世の中の裁判は全部一般市民がやれって言ってるようなもんですよ。 たった数人の国民に国家運営に関わるようなことを判断されたら とんでもないことになりかねません。 行政訴訟にも裁判員制度を導入するぐらいが限度でしょう。 裁判員制度も最終的な判断は裁判官によるものですし、 検察審査会は判決には何も影響していません。 >偏った判断がなされないためにも長い間行政機関で働いていた人は避けるべきではないでしょうか。 たしかにそれはあると思いますが、最高裁は複数人の裁判官により決定するので 半分以上が行政勤務者とかにならなければ偏った判断がなされることはまず無いです。
お礼
どうもありがとうございます。 >それ、世の中の裁判は全部一般市民がやれって言ってるようなもんですよ。 全部とは言いませんが、一般市民の普通の感覚、意見を広く聞く機会はあっても良い様に思います。殺人、窃盗の一般的な事件と違い、相手が国、行政、権力の場合、特に一般市民の意見が必要だと思います。長く行政機関にいる人に一般市民の感覚は理解しにくいと思います。 >行政訴訟にも裁判員制度を導入するぐらいが限度でしょう。 大賛成です。行政訴訟は一般市民だけで行っても良い位だと思います。 相手は権力をもっています。権力をもったところにとっちめられて、素手で戦うようなものです。それを一般市民の意見なしで裁くなんて現状は無茶苦茶なことを行っていると思います。無茶苦茶なことを行っているのにそれが「慣習」となり、慣れてしまってその異常さに気づかないのではないでしょうか。 戦争で最初の1人、2人の戦死者が出た時は注目し、考えさせられますがそれがやがて毎日毎日戦死者が出て、昨日は戦死者10人、今日は15人、、、など毎日となると感覚が麻痺するのと同じです。 慣習という名の下に実は意外な無茶苦茶なことが眠っているような気がします。 何か事件が起こって注目が集まりその際によく「慣習」として続いていたと言い訳されます。最近では鯨肉の事件で水産庁が慣習として行われていたとコメントしていました。機密費の問題もそうです。 政権交代したのですから、今までの慣習を疑ってみる絶好の機会なのに、慣習を検証するどころか、その慣習にそのまま乗っかっているように感じられる毎日です。 話がそれてしまいました。すみません。 >最高裁は複数人の裁判官により決定する 内訳をみました。元検察官、弁護士、大学教授、、、、、そして元外務事務次官の方。 確かに皆さん、頭が良くて専門知識豊富かもしれません。 けれども決定的に欠落している部分があります。一般的な市民感覚です。この方たちには専門知識があるがゆえに一般的な市民感覚がないのではないかと思います。
お礼
どうもありがとうございます。 >(1) 「疑わしきは罰せず」の原則など何のその、刑事容疑者は片っ端から有罪、重刑 刑事事件に限って言えば裁判官も、検察官もたくさんかかえて大変だと思います。 「疑わしきは罰せず」の原則は大切です。けれども犯罪者かもしれない人を野放しにするのも危険です。要するに事件、犯罪が起きないようにするのが一番ではないでしょうか。裁判官も検察官もたくさん事件をかかえなくてすみます。たくさんかかえなければ間違いも減ります。刑罰を重くしたらどうでしょう。中国なみに。 >(2) 行政訴訟では、行政側の勝訴、という結論先にありき そうです。それでたまに行政側敗訴などという判決にすると、その裁判官はその後、坂道を転げ落ちるように左遷街道まっしぐらになるらしいですね。もっとひどいケースでは数日後になぜか自殺したりします。本当に自殺なんでしょうか。 >(3) 民事なら、個人対個人なら社会的地位の高い者が勝訴、個人対企業なら企業が勝訴、企業対企業なら大きいほうの企業が勝訴 ですよね。私は法学部出身ではないのですが「法の下の平等」ってどういう意味なのでしょうか。正義の女神のテラミス、剣とはかりは持っていても目隠し取れているのではないでしょうか。