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人間はどこまでの治療をもって生きるべきなのか

人間はどこまでの治療をもって生きるべきなのか 人それぞれ価値観・人生観が違うのですが 何か参考になる線引きを教えて下さい。

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回答No.6

 ANo.2です    猫も19年居ました。お利口さんで、何でもわかる、分っている子でした。ただ自分が猫だということが分らず、人間だと思っていました。  そして窓から雀達をみて、枝の雀と同じように鳴いていました。  おや風邪引いたかなとみていたら、雀と話をしていました。  哺乳類って死んでいくのはたいへんですね。  一ヶ月ほど体調を崩して、朝、家内の布団で家内の腕の中で大きく呼吸を吐いて、出て行きました。  私も仰せの70を相当すぎています。老人でしょうね。  薬は30年ほど何も飲んでいません。  無論46年大学にいましたので保健証というのですか、ありますが使っていません。  ただ多くの人の末期には立ち会いました。  末期医療はクライエントのためのものにはなっていないことを痛感しました。  わたしは末期医療を断りたいのですが、そのための有効な方法が分りませんので、最後の最後まで頑張り、そしてある日死んでいたいと思います。  小学校低学年時代は病気がちでしたが、何か病気をしなくなりました。どう死ぬか、今、考える時代になりました。仰せの70をずいぶんすぎましたので。どうか教えてください。

isidajyun
質問者

お礼

薬を飲まず、保険証を使わない! まさに私の歩みたい人生を過ごしたわけですね。 そして、最後の考える時にきたんですか。 私は教える立場ではなく、あなたに教えてもらう立場です。 強いて言わせていただけるならば、私でしたら同様今のままの「薬を飲まず、保険証を使わない」 を通し末期医療にかからず、最後を迎えたいと思います。 私も同じようにこれからの人生を歩みたいと思います。 とても70までもつかはわかりませんが、その時はそれが私の与えられた運命だと思っています。 ありがとうございました。

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  • Alkindus
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回答No.5

装置が外せなくなったら死ぬべき。

isidajyun
質問者

お礼

まあ最低限、自分はそうしたいと思っています。 でももっと前の段階の薬で線引きしたいです。 ありがとうございました。

回答No.4

問題の定義を変えませんか? 人間はどこまでの治療を他人の負担で受けるべきか? まず、前提として自分で貯めた貯金が有って、その貯金を使って自由診療をすることに対して制限はくわえられないでしょう。 ですから、国民健康保険など現役世代の負担や納税者からの補填で成り立っている制度での治療に限定して議論しませんか? 以下に拙者の考えを述べます。 他人の負担で受けるべきでない治療 1.生活習慣病への加療 2.昏睡状態後二日以上の延命治療 3.美容と健康増進の為の薬剤・栄養分投与 4.臓器移植、人工臓器によるサイボーグ化 5.その他QOL向上の為の加療やリハビリ 他人の負担でも受けるべき治療 1.伝染病の検査・治療・隔離 2.事故による怪我の措置 3.激痛の緩和医療 年齢によって基準に差をつけるのではなく、現役世代でもこの分野は自由診療ですよという考えを社会的な共通認識にしないといけないでしょうね。

isidajyun
質問者

お礼

まさにおっしゃる通り! そう言う事ですよね。 どこまでの治療を自腹でするかと言ったら 出来ないし、しないですよね。 分け方の基準は、私の頭の中に漠然としていたものを 個条書きにわかりやすくしていただいた通りです。 でも制度を変えるには 認識を変えなければいけないし それは、人それぞれ価値観人生観が違うので無理なんでしょうね。 私とあなたとで政権を握れれば良いですが・・・ 大体無理ですよ。 そもそも福祉や医療に対して、その無駄な事をする事は論議する以前で 誰も当たり前と思ってるんじゃないですかね。 1億人中、多分私とあなたと他ぱらぱらぐらいですよ。 ありがとうございました。

noname#123390
noname#123390
回答No.3

社会コストを最小にする死に方というものが可能だとお考えでしょうか。また、それをある程度社会が強制できると思われますか。 ずっと健康で、介護も不要な人間がある日寝付き、一週間ほどして死ぬというパターンが私の祖父、そして義父の死に方でした。いわゆるぽっくり死、大往生というのは言い過ぎかもしれませんが、そのあたりが私の理想とする死に方です。基本的には85歳近辺か?と考えていますが、そういった死に方が積極的に出来るようにする生き方を今の医学が真剣に研究しているようにも思えませんが、もちろん強制するのでなく、そういった死に方の社会倫理を普及させていくというのもこれから検討するべきだと思います。 単なる延命治療は少なくも年齢を制限し、たとえば80歳以上は社会保険使用を絞り、それ以外の自己負担で治療費をまかなうというような法律を作るのは憲法違反なのかもしれませんが、ある程度社会の支持は得られるのではないでしょうか。 シニアへの延命的な多くの施薬、健康保持のための検査入院などは、それをおろそかにすれば、実際には大病の発生につながり、逆に莫大な治療費がかかる可能性が増すという一面もありますので難しいところです。 各人の死に方は社会のリードも必要かもですが賛否両論が出るでしょうし、結局人それぞれの哲学と判断に任せるより仕方がないのでしょう。

isidajyun
質問者

お礼

そうなんですよ。 まさに、「いわゆるぽっくり死、大往生」 これが自分も望みます。 <実際には大病の発生につながり、 の時は治療をしない方法があれば良いのすが。 ありがとうございました。

回答No.2

 ご質問は、おぅ私はもぅここで死を受け入れよう。  医療はもういい、という見極めの付け方でしょうか?  だからって自分の苦しさを周り見せているのも、自死も許されないですよね。  その時が来るのを待つしかないですよね。  要は、どう待つかでしょうね。

isidajyun
質問者

お礼

ありがとうございます。 まあ最後の段階での医療はもういいというのもありますが。 70近くを過ぎた年寄りを見ていると ほとんどが血圧の薬やなんだかんだの薬を当たり前のように飲んでいます。 最近、それすらがどうなのか思うようになりました。 そんなのを飲み続けなかったら、死にのならばそれが寿命なのだから 死ぬのが当然。と思うのですが・・・ でも突発的な病気や怪我で、入院したり手術したりの治療はしかたないと思ったり。 漠然と自分の頭の中では線引きされてるのですが、人には説明できないし言葉では表せません。

  • Yooskay
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回答No.1

その人が、満足できるかどうか、 また、その逆のことが、自分に、帰って来たときに、絶えられるかどうか、考えて、治療をしたほうが、いいと思います。

isidajyun
質問者

お礼

ありがとうございます。