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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:世界史B ペロポネソス戦争)

ペロポネソス戦争とは?

このQ&Aのポイント
  • ペロポネソス戦争は、アテネとスパルタを中心とした都市国家同士の戦争です。
  • ペリクレス時代におけるアテネの民主政の完成と繁栄が戦争の背景となりました。
  • アテネがデロス同盟の資金を流用したことにより、他のポリスが激怒し、ペロポネソス戦争が勃発しました。

質問者が選んだベストアンサー

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  • zep19
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回答No.2

はじめまして ペロポネソス戦争のきっかけはアテネ(アテーナイ)のデロス同盟の資金流用というよりは アテネの膨張主義的、帝国主義的な政策によるスパルタを中心とするペロポネソス同盟に対する挑発が直接的原因になったと思われます ・アテネのイオニア海(ギリシア西方の海)進出の拠点として ペロポネソス半島北西の対岸のナウパクトスに海軍拠点を設置したことにより ペロポネソス同盟のメンバーであり、ヘラス(古典ギリシア全体の総称)第二の海軍国でコリントスに脅威を与えた ・アテネに反発してデロス同盟から離脱したメガラに対し アテネはメガラ禁令という経済封鎖政策を取った ペロポネソス同盟が仲介のため禁令解除を要求したが、アテネが全く応じなかった ・イオニア海のコルキュラはエピダムノスをめぐってペロポネソス同盟のコリントスと紛争を起こしていたが アテネはイオニア海進出の思惑からコルキュラを公然と援助しコリントスと敵対した ・トラキアの植民市ポテイダイア(現在のサロニカの南方)がマケドニア支援下デロス同盟を離脱しようとしたが アテネが懲罰軍を送ってきたためペロポネソス同盟に援助を求めた ・アテネの経済的急成長により民主制が勃興し広めたため 多くのポリスで旧来のスパルタと同じような寡頭制と民主制の内紛が起きた →432年ペロポネソス同盟会議でアテネの度重なる挑発に耐えかねたコリントスがアテネに対する開戦を強く主張 スパルタは大地震などで人口を減らしていて軍事行動に不安を覚えたが ここに至って開戦を決意をせざるを得なかった ということです 長文失礼致しました

その他の回答 (1)

回答No.1

ペロポネソス戦争は、いまのアルバニア共和国にあったエピダムノスという港湾都市国家の人々が、おもに裕福な人々と貧しい人々のあいだで対立して市街戦となりましたが決着がつかず、海外に援軍を頼んだことが発端です。これ対して、二つのギリシア本土の有力な都市国家(コルキュラとコリントス)が援軍を送りましたが、それでも決着がつきません。そこにまた、当時の二大国の一方で海軍が強かったアテネがコルキュラの支援の要請に応えて援軍を送ったのがペロポネソス戦争の発端です。 コリントスという都市国家は、スパルタを盟主とするペロポネソス同盟の有力な都市国家ですし、デロス同盟の盟主としてアテネの強大化を恐れていた当時の大国のもう一方のスパルタが、強壮な陸軍でもって陸からアテネに侵攻してきました。 ですから、デロス同盟の有力都市が、アテネの公金横領に怒って反乱を起こしたのがペロポネソス戦争の発端ではありません。 ペロポネソス戦争それ自体は27年間も続いたのですが、この戦争の記録をトゥキュディデスという人が『歴史』(あるいは『戦史』)という本に、政治家や軍人の演説や、兵士達の残虐行為も詳しく書いています。 どうかいつかはご自分でトゥキュディデスの本をお読みなるように祈ります。

fiftydearsign
質問者

補足

簡単に言えば ある都市国家の富裕層と貧民層の争いが援軍によって、大規模化し、結果デロス同盟とペロポネソス同盟の争いへと発展したということですね しかもスパルタにとってアテネの強大化を止める格好のチャンスだった といった感じですかね では塾で習った アテネがデロス同盟の資金流用が原因した ってのは間違いなのでしょうか…