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程瀬?

程瀬? 寿岳文章訳、ダンテ神曲天国篇第二十四歌の冒頭に、次のようにありました。 「おお、御身たちの願い、常に満ちてある程瀬に御身たちを養う、 神の子羊の大いなる晩餐に、選ばれて請じ入れらるる同行たちよ、...」 この、「程瀬」とは何でしょうか。 あるいは、「程」と「瀬」は、実は切れた二つの語なのでしょうか。 (私の推測では、 程度をあらわす「ほど」に、なにか「せ」がついたものではないかとしました。) ご存知のかた、教えてください。

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  • Ganymede
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回答No.5

(1) 和訳で分からない所は英訳で読んだ方が早い 『神曲』の原文はトスカーナの方言(のちのイタリア語)だそうです。伊語-日本語よりも伊語-英語の方が当然関係が近いわけですから、下記のサイトで伊英対訳をご覧になるのが有益だろうと思います。 Princeton Dante Project http://etcweb.princeton.edu/dante/pdp/ これによりますと、天国篇の第二十四歌の冒頭部分の英訳は次の通りです。 〔引用開始〕 O company of the elect chosen to feast at the great supper of the blessèd Lamb, who feeds you so that your desire is ever satisfied, 〔引用終り〕 (2) 寿岳文章の言葉遊び 寿岳文章の和訳は次のようになっています。 〔引用開始〕 おお、お身たちの願い、常に満ちてある程瀬にお身たちを養う、神の羔の大いなる晩餐に、選ばれて請じ入れらるる同行たちよ、 〔引用終り〕 「程瀬」「羔」「同行」は、それぞれ「ほどせ」「こひつじ」「どうぎょう」とかなが振られています。 「程瀬」は「程」と「瀬」の間で切れて、「常に満ちてあるほど、せにお身たちを養う」となるでしょう。「瀬に」は、「狭に」を言葉遊びしてそう書いたと考えられます。この部分の意味は、「皆さまの願いが常に満たされているほど、いっぱいに食を(皆さまに)与える、神の羔の大いなる晩餐に、……」となります。これは、(1)の英訳、平川祐弘の訳(河出書房「世界文学全集」第2巻)、および(3)を参考にしました。なお、平川祐弘の訳を引用すると下記の通りです。「so A that B」構文は「とてもAなのでB」、「BするほどA」の二通りに訳せることは、受験英語の常識ですね。 〔引用開始〕 ああ、尊い羔の大いなる晩餐に選ばれた皆さま、この羔が皆さまに食を与え、それゆえ皆さまの願いは常に満たされているのでございます。 〔引用終り〕 寿岳の訳は1974-76年で、1968年の平川訳より後です。『神曲』に取り組み始めたのはどちらが先か、私は知りませんが、平川の平易な口語訳出版の後になって、寿岳はわざわざ古めかしい言葉遣いの訳文を上梓したのですから、一種の言葉遊びの性質を帯びていたであろうと思われます。すでに口語の時代になって久しかった1970年代、『神曲』の典雅な文章を古めかしい言葉遣いの日本語で写し取ろうとしたのでしょう。 「狭に」を「瀬に」と書くのは一般的とは思えず、それゆえ私は言葉遊びと言ったのですが、誤字ではなさそうです。日本最大の国語辞典『日本国語大辞典』(小学館)によると、「瀬」の語源説(6つ挙げられている)の一つに、「急にセマリテセバキ所をいうところから」があります。これを採用するなら、「瀬」は「狭」と同源となり、「狭に」を「瀬に」と書くのも可でしょう。 (3) 「狭に」の意味 『日本国語大辞典』(小学館)から抜粋します。 〔抜粋開始〕 せに【狭に】 (せまい状態を表わす名詞「せ(狭)」に助詞「に」の付いたもの) せ【狭】〈名〉 せまいこと。せまいさま。「…も狭に」の形で、…もせまくなるほどに、…もいっぱいにの意で用いられる。 万葉集(8C後)八・一四二八「山も世(せ)に咲ける馬酔木のあしからぬ君を何時しか往きてはや見む」 〔抜粋終り〕

multiphale
質問者

お礼

ありがとうございます。 冷や汗の出るご回答でした。 (1) 和訳で分からない所は英訳で読んだ方が早い 寿岳訳の日本語にこだわるあまり、ここをサボっていました。 恐縮です。 英語はシンタックスのとりやすい訳でわかりやすいですね。。 (2) 寿岳文章の言葉遊び 平川訳も平明でたいへんすばらしい訳なのだと思います。 寿岳訳の、古風な調子に惹かれて読んでおりますが、 「遊び」のわかるまでに読み込めていませんでした。 平川訳を意識しての、凝った調子があるのでしょうか。 古文の勉強も兼ねて、読み進めます。 (3) 「狭に」の意味 恥ずかしながら、「狭に」という表現を知らなかったため、 「瀬」とあてる面白さも味わえなかったようです。 音「セ」の持つ意味を、先の回答者様のご教授に加え、さらに開かれました。 大きな辞書にもあたろうと思います。 丁寧なご回答、まことにありがとうございました。

その他の回答 (4)

noname#116805
noname#116805
回答No.4

>神の子羊、が、主催する、大きな晩餐がある、ととればいいですね。 大意はそうです。

multiphale
質問者

お礼

シンタックスをそもそもとり間違えていました。 ご指摘くださってありがとうございます。

回答No.3

 ANo.1  この場合の“瀬”は“場”、“範域”、或いは“世界”という意味合いに私は受け取れるのではないかと存じましたが。  やはり厳密な追究では合格しないしろ物でしょうかね

multiphale
質問者

お礼

ありがとうございます。 「瀬」とは、川の流れに限定しない、広い意味で用いられていそうですね。

noname#116805
noname#116805
回答No.2

1.常に満ちてある程⇒常に水が豊かに流れているほどに(流れている程度まで) 2.瀬⇒川の浅瀬のようなところ・・・水が少ない 「常に満ちてある程瀬に御身たちを養う」これが「神の子羊(多分キリスト?)」にかかります。 そこのところを訳すると下のような意味になると思います。 水量の不十分な瀬に居るあなた達を、常に水が豊かに流れている程度まで満たして下さる神の子羊・・・

multiphale
質問者

お礼

ありがとうございます。 「瀬」とは、水量の少ないことなのですね。 それで、満ちてある程、との対になるのがわかりました。 神の子羊、が、主催する、大きな晩餐がある、ととればいいですね。 「瀬」の語の理解が不十分でした。 ご教授ありがとうございます。

回答No.1

 multiphale さん  私も“程瀬”って知らないので、辞書を引こうと思いましたが、出されている文章から解釈しようとすると、“ほど せ”って読むのでしょうね。   「おお、御身たちの願いは、常に満ちてある“まで いられる瀬”に御身たちを養う、 神の子羊の大いなる晩餐に、選ばれて請じ入れらるる同行たちよ、...」  ではないかと存じます、まぁ【身を捨てて 浮かぶ瀬もあり】などの“瀬”と“それほど”の“ほど”かなと理解できそうですね。  無論、原文を当たればよくわかるでしょうが。  なんだご理解できているのではないですか。後半のコメントでは。

multiphale
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 「程瀬」を、何々な程度の「瀬」、と切ると、いちおう意味がわかるのですが、 「瀬」に子羊を養うとはどういう意味なんだろう?と、新しい疑問がわきました。 他の訳や原文をあたるといいのですが、ひとまずこの訳文を納得したく思いました。

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