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土佐と蘇我氏の関係は
土佐と蘇我氏の関係は 現在大学で蘇我氏について学んでいて、勢力争いをしていた大伴氏が瀬戸内ルートを確保していたため、対抗して日本海側ルートを蘇我氏が確保したというところまで学びました。 ですがその後、まとめとして土佐には蘇我氏や物部氏や秦氏の地名が多いと説明されたんですが、全くつながりが理解できません。なぜ高知県には蘇我氏の地名が多いんですか?
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土佐には蘇我氏や物部氏・秦氏をはじめとする、中央にも勢力を持つ氏が展開していた、という話を誤解されてしまった可能性はないでしょうか。 古代史料上に見える土佐国の蘇我氏関連地名といえば、和名抄の香美郡宗我郷と長岡郡宗部郷の二例だけだと思います。これを蘇我氏だけ特別多いと取るかどうかが問題です。 和名抄所載の宗我・曽我・宗部・宗我部・崇賀郷は、ほかに筑前国早良郡、肥後国玉名郡、丹波国多紀郡・天田郡・桑田郡、信濃国筑摩郡に見られます。丹波は土佐より多いですね。 全体的に見るならば、土佐は蘇我氏にとって特別な地域ではなく、部を置いて経済的基盤とした地域のひとつに過ぎないという理解も可能になると思うのですが、いかがでしょうか。 物部氏も土佐国香美郡に物部郷という地名を残しています。既出のとおり物部川流域が遺称地です。土佐国内で「地名」という縛りで見るならば、物部氏関連地名はここだけになります。 王権の勢力扶植から、土佐も免れることなく、他地域と同様に諸氏の展開があったということのように思います。 加藤謙吉氏の『蘇我氏と大和王権』(吉川弘文館 昭和58年)は読まれたでしょうか。 経済的基盤が弱い蘇我氏が、物部氏を打倒し、物部氏配下の土地・人民を収奪していった様子が考察されていて、土佐も一例として挙げられていました。参考になると思います。 物部氏が特定の地域に偏ることなく全国的に展開していったことについては、下のurlからご覧ください。 上記加藤氏の著作では、物部氏は四十四国九十一郡、秦氏は二十五国六十二郡、蘇我氏は二十国二十八郡に分布しているといいます。データが古いので、現在では木簡や墨書土器・漆紙文書等の出土資料によって数字が変わっているでしょうが、大勢としては同じはずです。 考古学カテゴリでの質問なのに、歴史学の話を紹介するだけになったことをお詫びいたします。
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- seastar3
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高知県安芸市の名前の由来である安芸氏の祖先が、壬申の乱で流罪となった蘇我赤兄であるとの伝承があります。赤兄の流罪地が不明のために伝承程度の信憑性のようです。 物部川という川が高知県香美市にあります。 幡多(はた)郡という群名が土佐清水市の近くにあります。 ほとんど受け売りですが、回答がつかないようなので挙げておきます。
お礼
そうなんですか。貴重な情報ありがとうございます。無事大学の試験を終えることができました。
お礼
お礼遅くなり申し訳ありません。とても分かりやすかったです。ありがとうございました。