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「人間にとっての幸福」「生きること」とはなんですか?

「人間にとっての幸福」「生きること」とはなんですか? 意見を聞きたいです。 自分が決めることとかはなしで、 思うままに答えてください。 (できるだけ年配の方の回答まってます。若い人 でもかまいません。)

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.14

自分のためにだけ生きれば、死は全面敗北です。 しかし、社会性の十分発達した現在、あなたの生命は世界中の 人々の営為に支えられている=社会生命としての自覚を持ち、 助け合いとしての社会において、愛によって生きるならば、 死は自分を活かしきった結果(=満足)になります。 前提となる物理性がどうあれ、我々は自分の意識の中に生きており、 生きる真の目的は、物質的増殖ではなく精神的充足です。 それは人の認識の深まりにおいて、人生を通算した充足量の最大化 (物質的増殖×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロール する認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。 「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結する のではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を 兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、 それが最大充足でないのはご存知の通り)。 であるならば、人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、 精神的充足感のためであり、人が働くのは、お金をもらうためではなく、 助け合い=愛のためです。 しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、 どれほどいるでしょう? 人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という 虚構の価値であって。 原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の 社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン” で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。 お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な 意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので (社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために 嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。 本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食 のジャングルに変える、悪魔のツール。 要するに人は本来、死による充足量±0から、充足の増大を目指して生きて いるはずが、いつの間にかお金をもらうためにイヤイヤ働き、自己チューな 意識を縛る法規や権力による罰の苦痛から逃げる=マイナスを避けた結果の生 (≒±0)という、死人に等しい生に堕してしまっているのです。

その他の回答 (13)

  • cincinnati
  • ベストアンサー率46% (606/1293)
回答No.13

今よりもはるかに若い時には、学業で良い結果を残すことができれば幸福だろうと思いました。社会に出てからは仕事で良い結果を出し人々に認められることが幸福だろうと思いました。またその合間合間に異性との付き合いがうまく行けば幸福だろうと思いました。そのために人を押しのけて、時には嘘なども付き、自分の都合だけで何事も決断してきました。 しかしながらある時期から自分の内になにかよからぬものが存在するという自分に対する恐れが生じてきました。世の中でもっとも恐ろしいのは自分という認識はあまり気持ちのよい認識ではございません。自分を変えることができないだろうかと思っていたときに、家の近くにキリスト教会ができました。ある日その礼拝説教を聞いているときに自分の周りの世界が崩れ落ちるという内的な経験をしました。それはいままでの自分の生き方が間違っているという認識でした。つまり聖書によれば「あなたは罪びとです。」という意味が完璧に理解できたのです。 何かを語れば、その言葉の端々に罪の悪臭が立ち込めていましたし、何かをすればその行いは罪の汚れにまみれていました。自分が罪びとであるという意識が体中に張り付いてどうあがいても取れない生活が始まりました。無気力になり3年寝太郎のごとく無為に過ごすこと数年が経ちました。長い話になりますので、この程度で当時の現状を語るのはおしまいにします。あるとき重い足取りで無目的に町なかを歩いていましたが、突然「どのようなコストを支払ったとしても聖書の言っている人生を歩んで見よう」と決断したのでした。その決断の中には命も含まれていました。 すると突然この世では今までに経験したことのない歓喜が湧きおこってきたのです。その後私は幸福とは何かとか何のために生きるかという質問自体をすることがなくなりました。命をかけても悔いないほどの歓喜の原因が分かったからです。その後35年ほどが経ちましたが、聖書は変わることなく真実でありつづけました。

  • fujitapari
  • ベストアンサー率20% (240/1199)
回答No.12

たとえば、 面白い映画を見る。おいしい料理を食べる。楽しい音楽を聴く。 などの受け身の感激。 映画、料理を作る。音楽を演奏する。 などの人に与える感動。 たとえば、車を運転中に、割り込もうとする車がいたとき。 手で合図して道を譲り、お礼の会釈を貰ったときのような、満足感。 上手く割り込ませず、先に行けたときのような、勝利の快感。 大きく分けると、こんなものでしょうか。 「金持ちとは、お金をいっぱい使った人」という言葉があります。 人生の達人とは、「沢山感動した人、幸せにした人」ともいえるでしょう。 悩んでいるあなたに、一つアドバイス。 ここで回答している人は、みんな「あなたの役に立ちたい」と思っている人たちです。 嘘でもいいから、その人たちに、お礼をしてごらんなさい。 みんな喜んじゃいますから。 それがあなたのーーー。

回答No.11

生きる事・・・生きる意味。 それは、幸せに成る事。 幸せとは(幸せに成るとは)、「幸せを感じる心」を養う事。 人生最後の死ぬ瞬間に、笑って死ねる人生を歩む事。 春夏秋冬、季節の移り変わりの中で森羅万象を感じ、今の全てに「満足」をする事。 希望は持っても、己の欲望は捨て去る事。 物でお金で、幸せは買えません。 幾ばくかの手助けにはなりますが。 逆に不幸とは、他人と比較し、持たざる者が持とうとすると不幸の始まりです。 あれが欲しい・これも欲しい・「人の欲望には際限が無い」 物で、お金だけで幸せを感じる事はありません。 いくら有っても心が満たされない「餓鬼」に陥ります。 どうせ人間なんて、長く生きても精々100年。 明日死ぬかもしれぬ命なら、正々堂々生きればよい。 世の為、人の為に命を捧げるなら、それは本望。 野辺に咲く名も無き花を、綺麗と感じられるか否か。 全ては心しだい。 >自分が決めることとかはなしで< しかしながら・・・ 自分の心が、自分の思いが、全て自分の幸せ(基準)を決めているのです。 お金だけ貯めて、孤独死する人。 大会社の社長でも、家庭に、友人に恵まれない人。 物は豊富でも無気力な、どこぞの国の人。 一方、インフラも整備されていない未開の地で、人間らしく笑いのある暮らしをする人。 独裁者に怯えながら暮らす人。 拝金主義でお金にさえな成れば、どんな嘘でも平気で行う国の人。 いつ、テロに巻き込まれるか解らない国の人。 上を見たら限りはなく、下をみても限りなし。 羨むなかれ、蔑むなかれ。 <結論> 今、現状の全てに満足しながら、未来に希望を持って生きる事が幸せ、となるでしょう。

  • morinosa11
  • ベストアンサー率15% (199/1253)
回答No.10

人生を楽しむことです。 そして 自分の能力をもって 人のお役にたてること。

回答No.9

悲しい事、辛い事があっても、その何倍も楽しく過ごせたらいいかな。 そして自分と一緒に、家族、友人、同僚、周りの人もみんなが笑顔になれるような環境にしたい。 そうなれば仕事、家事、遊び等が張り切って出来る気がするし、生きてるって実感がする。 時々立ち止まったり、走ったりの繰り返しで自分の進む道がわかってくるのかも。

  • 246z-goo
  • ベストアンサー率41% (194/473)
回答No.8

人間って欲な生き物です。幸福を感じる時って何かに満されたり 何もかもが思い通りに事が運んだり、 物事を達成した時は達成感という幸福感が持たされたりします。 しかしながら何も満たされない時や思い通りに事が運ばなかったり 何も満たされない時は逆に物凄く不幸って思ったりします。 確かにそれらの幸福って思えるのは凄く良いのですが 達成感にしろ何にしろ その次はもっと上の達成感を望んだりもします。 達成感のレベルアップとでも言いましょうか。 いろいろな刺激的なことと同じで次から次へとレベルアップしてしまうのです。 追求し続けていけばそれはそれで幸福感をもたらし幸福だと思うのでしょう。 その幸福感をいつも求めて人間は生きていくのでしょう。 しかしながら本当の幸福ってそんなものなのでしょうか? むしろ何も感じない 幸福だとか不幸だとかと感じないことが もしかして本当の幸せなのかもしれないとも思えます。 今その時 その時が幸せって思うことより 何事も思うことなく一生懸命生きてきて  人生を振り返ってみた時に幸せだったんじゃないかなって思うことが 本当の幸福感なのかなって思ったりもします。

  • takasi23
  • ベストアンサー率13% (53/383)
回答No.7

生きるとは、ご飯を食べて活動を続けること、またそのために働いてお金を稼いだりすることです。 幸福とは、ギャンブルに勝つことであり、お寿司を食べることであり、可愛い女の子と遊ぶことであり、つまり欲しいものを手に入れること・自分の欲望を満たすこと、である。 あなたが悩むのは恐らく、自分の欲しいものが手に入らないから、ただそれだけ。

noname#114777
noname#114777
回答No.6

生きている事に意味を見いだそうとするのは無益だ 一生懸命働いて、お金を稼いで、異性、友人と遊ぶ それ以外に何が有る 生きている意味を欲しがるというのは、 意味が無い事はしたく無いと言う事 意味がある、無いは誰が決めている? お金?女?親?上司?自分? なぜそんなに普遍的な意味を求めたがる? 何に対して疎外を感じている? 自分を縛るものが全て取り去られた状態が幸福と言うのならば 縛られない様に努力すればいい 能力があれば皆に与えられる 縛ってるだけでお金を稼いでる人達には適当にあわせてあげて儲けさせてあげればいいんじゃないか

  • ueue3131
  • ベストアンサー率51% (208/405)
回答No.5

「人のために少しでも役立てた」  「自分を必要とされた」  「自分を必要としている人がいる」 と、実感できることです。 働く人なら 自分の仕事によって 誰かを幸せにできること 家庭をもつ人なら 大切な人を 守るために 家事をしたり 子育てをしたり お金を稼いだりすること そして 誰かに「ありがとう」って言われること 誰かを笑顔にできること だと思います。  

回答No.4

常に何かをしてること、ですかね。 余計なことを考えると負のスパイラルに陥りやすいので。 それに比べたら何でもいいからとりあえず何かしてたほうが楽しいですよね。

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