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個人、社会において幸福になるために重要なものとは?
ブータンなど幸福を追求する国や幸福度ランキングなどが近年注目を集めているので個人的に幸福に関して興味を持つようになりました。 そして個人、または社会全体において幸福度を上げるために最も重要なものとは何か考え始めました。 人それぞれそれは異なるのかもしれませんが、私は最近まで「やりがいのある労働」が幸福度を上げるために最も重要なものであると考えていました。それは労働時間が今の私の生活の中で多くの時間を占めるためです。 しかし、高齢化が進み退職後の人生も長くなったことから、「やりがいのある労働」が最も重要なものだとも限らなくなっているのかなと思いました。 皆様は個人、または社会全体において幸福度を上げるために最も重要なものとは何だと思いますか? 楽しい趣味?やりがいのある労働?良い人間関係?良い家族関係?良い社会政策?それともそれらすべてが重要なのでしょうか? 抽象的で難しい質問かもしれませんが、皆様のご意見をお聞かせください。 またこのことに関連する文献などもご存知でしたら教えてください。
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- in_go_landload
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> 個人、社会において幸福になるために重要なものとは? 目の当たりにする他人の不幸か、自分自身の経験した不幸な時代でしょう。 結局、幸・不幸なんて相対的なものでしかありません。他人の不幸(これも自分がそう考えているだけですが)や自分自身が不幸な時代を経験していれば、他人が何と言おうと「いま、幸福だ!」と言えるものです。 ですから、最も不幸な人は『不幸』とは縁もゆかりも無い生活を送ってきている人でしょう。そういう人は『幸福とは?』なんて考えだす。(笑) 幸福や不幸になんて確たる定義なんてあるはずもない。一生それを探して悩み続けることでしょう。私から見れば、無い柱を探して暗闇の部屋の中で手探りを続ける、これ以上の不幸はありませんね。
- dottimiti
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適度に帰れること、プライベートの時間を削ってこないことが自分的には良い条件だと思います。プライベートの時間にすることがない人は、大学のようなところで気軽に勉強できるといいんじゃないかなと思っています。 日本が豊かだとみんなが思っているときに、プラスアルファで「やりがい」が出てきたんでしょうけれど、今は仕事事態があるかどうかという状態で買い手市場になり、労働者側が「やりがい」を求めにくくなっています。待遇も含めて「やりがい」を求めること自体は日々の仕事や労働組合の活動によりできることなんじゃないかなあとは思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。
私が「あ~」と思った話を。 鬱病を治す手段として 「誰かのためにできることを2週間ずっと考え続ければ鬱病は治る」的なことをどこかで読んだことがあります。 (どこで見たかうろ覚えで内容もちょっと違っているかもしれないのですが…特に2週間の部分は、2ヶ月だったかもしれません) 当時精神的に参っている状態でしたが、これを見てすごく納得がいきました。 要は、他人の役に立っている状態が一番気持ちが満たされるのだなあと。 もちろん細かい部分で反論はありますが、基本的にこういうことじゃないでしょうか。 それと横レスになりますが、情報規制の部分は確かに私も思うところがあります。 ただ一般的な日本人も、気付かないだけである程度の情報規制はされているわけで、本当のことを知ったら軽いパニックになるっていうのは、知らないから想像できないだけで、あるんですよね。 話が戻りますが、質問者さんの言うところの「やりがいのある労働」の「やりがい」の部分を突き詰めてみるとご自身の幸せのありかが見える気がします。 人の役に立つからやりがいがあるのか。 高いお給料が出て生活が充実するからやりがいがあるのか。 あるいはその両方。もしくは別のこと。 ちなみに私が以前「非常にやりがいがあって一生続けたい」と思っていた仕事は、世間的にはブラック企業で人がどんどん辞めていきました。 私は会社に住んでもいいと思うくらいその仕事が好きだったので(事務所の責任者も同じことを言っていました)今でもブラックの筆頭に上がる職業ですが「なんでだろうなあ」と思っています。 ちなみに私が鬱になったのは仕事が原因でありません。念のため。 (鬱でも仕事は毎日行っていました)
お礼
ご回答ありがとうございます。
- o09080706o
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なにかに期待して、期待した状態に少しでも近づくと幸せを感じやすいのではないかと思います。 >皆様は個人、または社会全体において幸福度を上げるために最も重要なものとは何だと思いますか? >楽しい趣味?やりがいのある労働?良い人間関係?良い家族関係?良い社会政策?それともそれらすべてが重要なのでしょうか? 一応、すべてなんでしょうけれど、新たな不安を感じさせないために足りてない順に理想にちかづけていくこと、きちんとできているなら「できている」ということをきちんと広報していくことが大事だと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに「期待」と幸福は結びついてそうですよね。 あまり期待しすぎないことが幸福のために必要なのかもしれないと思いました。
- hekiyu
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ブータンなど幸福を追求する国や幸福度ランキングなどが 近年注目を集めているので個人的に幸福に関して興味を 持つようになりました。 ↑ 幸福度など、社会科学のこの種の調査がいかに 信用できないか、ということで注目されている モノです。 それにブータンなどは外国からの援助がなければ やっていけない国です。 そんな国が幸福度一番、なんてのは滑稽でしか ありません。 個人、または社会全体において幸福度を上げるために最も 重要なものとは何か考え始めました。 ↑ 2002年のノーベル 経済学賞を受賞した米国の心理学・ 行動経済学者ダニエル・カーネマンは、 数十年にわたって幸福を研究し、その結果 幸福とは、大切な人と共に時間を過ごすことだ、 と結論づけています。 皆様は個人、または社会全体において幸福度を上げるために 最も重要なものとは何だと思いますか? ↑ 個人的には頑張ることだと思います。 頑張った人生は、結果が出る出ないに関わらず 幸福感を得られると思います。 またこのことに関連する文献などもご存知でしたら教えてください。 ↑ 前述したダニエルカールマンなどはどうでしょう。 また、心理学でも幸福を扱っています。 ちなみに、心理学では、美味しいモノを食べた、なんて 一時的なモノは幸福には含まれず、 人生における満足を 幸福と定義している場合が多いです。 そして、これは私論ですが、頑張った人生をやっていると 人生における満足感を得られると考えています。
補足
ご回答ありがとうございます。 >>幸福度など、社会科学のこの種の調査がいかに 信用できないか、ということで注目されている モノです。 >>2002年のノーベル 経済学賞を受賞した米国の心理学・ 行動経済学者ダニエル・カーネマンは、 数十年にわたって幸福を研究し、その結果 幸福とは、大切な人と共に時間を過ごすことだ、 と結論づけています。 幸福を研究するには社会科学の調査ではなく、心理学や経済学の手法を用いた方が信用できるようになるのでしょうか? それとも分野に関係なく研究者によって信用できるかどうか決まるのでしょうか? お考えをお聞かせ下さい。
- eroero4649
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「幸せと感じる心」でしょうね。それがなければ、いくら客観的には幸福に思えても、実感することができませんから。 例えばブータン政府は、非常に鎖国的な政策をしていることで知られています。情報が国民に入らないようにしているそうです。インターネットが解禁されたのも、つい最近なのだそうです。「外国はこんなに豊かだ」ということを知らなければ「自分の国が一番幸せだ」と思う確率は飛躍的には高まると思いますよ。皮肉的な意見になりますけどね。 そもそも「日本人が望む幸せ」って、なんなんでしょうね?お金?とりあえずお金?そりゃお金は重要だけど、みんな「カネさえあればそれでええんや」ってほど拝金主義でもないでしょう?モノが欲しい?いやー、若者はむしろ全然モノを買わないですしね。じゃあ、愛かしら?でもその割にみんな恋愛に必死じゃないよね。だいたい愛なんて平等に手に入るものでもないですからね。世間には愛されなくて当然なやつらもいるわけで、そういう連中も愛が手に入るってなんか釈然としないでしょう?じゃあ、正義?間違ったやつは罰されて、正しい人は評価される。でも、罰されたやつは不幸になるでいいのだろうか?それってそもそも幸福の追求ではないわけですよね。 さて、僕らはなにを手に入れれば満足するのでしょうかね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに「幸せと感じる心」は大事ですよね。「幸せと感じる心」がないとどんなに客観的に恵まれていても幸せと感じれなくなくなりますよね。 「幸せと感じる心」を学校などで育むことが必要なのかもしれませんね。 しかし、情報規制をして幸福度を保とうとするとは本当に皮肉な話ですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。