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「人間にとっての幸福」「生きること」とはなんですか?
「人間にとっての幸福」「生きること」とはなんですか? 意見を聞きたいです。 自分が決めることとかはなしで、 思うままに答えてください。 (できるだけ年配の方の回答まってます。若い人 でもかまいません。)
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自分のためにだけ生きれば、死は全面敗北です。 しかし、社会性の十分発達した現在、あなたの生命は世界中の 人々の営為に支えられている=社会生命としての自覚を持ち、 助け合いとしての社会において、愛によって生きるならば、 死は自分を活かしきった結果(=満足)になります。 前提となる物理性がどうあれ、我々は自分の意識の中に生きており、 生きる真の目的は、物質的増殖ではなく精神的充足です。 それは人の認識の深まりにおいて、人生を通算した充足量の最大化 (物質的増殖×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロール する認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。 「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結する のではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を 兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、 それが最大充足でないのはご存知の通り)。 であるならば、人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、 精神的充足感のためであり、人が働くのは、お金をもらうためではなく、 助け合い=愛のためです。 しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、 どれほどいるでしょう? 人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という 虚構の価値であって。 原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の 社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン” で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。 お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な 意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので (社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために 嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。 本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食 のジャングルに変える、悪魔のツール。 要するに人は本来、死による充足量±0から、充足の増大を目指して生きて いるはずが、いつの間にかお金をもらうためにイヤイヤ働き、自己チューな 意識を縛る法規や権力による罰の苦痛から逃げる=マイナスを避けた結果の生 (≒±0)という、死人に等しい生に堕してしまっているのです。
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- orlea
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その質問に対して、自分が決めるのはなし、なんて条件つけたら絶対に答えなんてでないと思いますがね。 そこまでの一定の答えが必要なようですから、今考えて答えます。 幸福・・・幸福だなぁと感じるもの。 生きること・・・生きる意味が見つからない間はその意味を見つける事、生きる意味を見つけたあとはその意味を追究すること。 まぁ嘘はついてはいないですよ。
- macchan2
- ベストアンサー率18% (79/426)
ご飯を食べて、おいしいと感じることです。そしてそれに感謝できることです。
- bari_saku
- ベストアンサー率17% (1827/10268)
周囲が自分に感謝してくれて、自分が周囲に感謝できること。
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