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石井裕之氏の文章からは「なんとなく」という印象を受けるが、直感とは繰り返し考えることによって養われる
- 石井裕之氏の文章には、「お金持ちの人の潜在意識がお金持ちである事を維持しようとして「なんとなく選んだ仕事が大きな儲けにつながる」と申している」という印象を受ける。
- しかし、「なんとなく」という表現は気になる。直感や決断の速さは「繰り返し、繰り返し考え、本当に分かったというレベルまでもっていくこと」で育まれるという。
- 石井氏の文章からは、その判断方法に対して疑問が生じるが、正しい判断をするためには継続的に考える必要があると感じる。
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お金持ちには、お金が入ってくる原因が分っています。貧乏から抜け出せない人は貧乏から抜け出す原因が分っていません。その原因とは世の中を貫いている原理原則です。それは同じものを見た場合でも違うように見えているはずです。 『この「なんとなく」というのが気になります。』実は此処がみそになっています。人間の意識は『無意識』からの情報を基にして感じたり、考えたりしています。処がその情報は『言葉ではないために』如何様にも自我意識には解釈出来ます。 本当は物を見た時に『自我意識に送られてくる情報』は同じものです。現実を見たままにそのままの情報が送られてきています。処が『自我意識』の解釈の仕方が違ってきます。 この違いから、同じ物を見た時に、違う事を頭に作り出します。その作り出されたものが『その人の生き方』となっています。 人間の脳の構造上の問題からこの違いになっています。人間の感情が湧き上がるシステムを書いてみます。自我意識は左脳に存在する意識です。この意識は『合理的で、論理的で、明快な答えを求めています、そうして計算したり分析したりして答えを出しています』 従って左脳の自我意識は『割り切れる問題が専門の脳』という言い方が出来ます。その最たるものが『言葉』を持っている事です。そうして言葉に置き換えないと理解出来ないようになっています。割り切れる問題しか計算出来ない=言葉でしか理解できない、この事から導かれる事は、自我意識には永遠とか無限とかの概念でさえ『理解出来ない』言い方を替えたなら『有限の壁は越えられない意識=脳』と言えます。 何故ならば、割り切れる事=有限と言う定義が有るからです。又言葉にも限界が有るという意味になります。従って自我意識がどうあがいてみたところで、有限の壁にはねつけられる、或いは永遠は手に出来ない事を意味しています。自我意識は有限と言う枠にはめられた機能しか持っていないと言う意味になります。 処が右脳にも意識が在ります。この意識は、自我意識は意識出来ないようになっています。何故ならば『無意識の意識』として働いているからです。無意識の中に封印された形で存在しているからです。そうして無意識を働かせている他に、命そのものも働かせています。心臓の早さも、呼吸の数も、自律神経も、ホルモンの調節も、その場その場の環境に合わせて『適切に』調節しています。 この意識は命そのものの意思として、無意識の意識として働いています。この意識は『言葉を持っていません』この意識の事を、仏教では仏性と言っています。西洋では神と呼んでいます。この意識が書かせたものが『禅問答』という事になります。 禅問答とは左脳の自我意識と、右脳の命そのものの働き(無意識を働かせている)と言う者が出合うためのテキストという事になります。命の働きは『永遠や宗教』で出来ています。 その者は世の中を『欲と得やその外の先入観』等ではない『真実の目』を持って観ています。その者が観た情報は脳梁を通して自我意識に伝えられます。その情報を自我意識は受け取っています。 その受け取り方が、分かれ道になるからです。その情報を素直に受け取れる事を『平常心』と言います。ひねくって受け取った場合が『人間の障害』になります。 心と言う観点でひねくって受け取った場合が『心を病む』と言う現象になっています。その情報は本人にとっての大切な情報として送られているからです。薬で感じなくさせていますが、薬とはその情報を悪いものとしています。心のケアとは反対の事をしている事になります。寛解が限度のはずです。 健康と言う観点からひねくって受け取る場合が、病因で検査をしたけれども何処も悪くない場合です。自律神経失調症や心身症や、心臓や胃腸などその他何処でも『意識して』異常と感じている状態です。 自分がする行動を通してひねくって受け取る場合が、吃音や書けいや上がり症等になっています。 世の中でのお金に関してひねくって受け取った場合が、貧乏から抜け出す原因が分らない場合です。その情報を素直に、何の疑いも無く受け取った時に世の中の原理原則が分ったという事になります。 何故なら『心の矛盾』が解消されているからです。澄み切った心で世の中が見えるようになっているからです。二つ在る心を一つにして世の中が見えているからです。 ひねくった見方とは『二つ在る心が矛盾や対立や分裂』を起していて、現実を素直に認められないからです。現実に在る事が見えなくて、頭の中に在る架空の世界が本当の世界と見誤っているからです。 他の人が感じていない事でさえ、ストレスとして感じて、そこには無い不安を自分で作ってしまう場合と言えるかも知れません。生きる力を内部の抗争で使い果たしている事が、心を病む事になっています。
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- h_bopper2002
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>石井氏の文章からは、主観的な印象ですが「これまで、金持ちだったから今後も金持ちでいられる」とか、「潜在意識による直感的な判断にゆだねろ」的な印象を受けます。 おそらく石井氏が言いたいのはこれらより前の状態、つまり潜在意識を変えること自体が重要だといっているのだとおもいます。お金持ちの人の潜在意識を持つことで、結果的に直感でもうまくいくということです。 >直感や決断の速さというのは、北島康介にアドバイスをしたことで有名な林 成之氏いわく「繰り返し、繰り返し考え、本当に分かったというレベルまでもっていくこと」で養われるそうです。 本人が「分かった」と認識できる潜在していない意識の範囲でレベルアップしていくという意味で、石井氏の潜在意識の主張とは異なりますね。どちらが本当に正しいのかは分かりません。 いづれにしても、石井氏の主張には「意識を変えれば良いことばかり起こる」というような飛躍した内容もあったりして、個人的には鵜呑みにするのは危険な気がしています。面白いとはおもいますけどね。
お礼
確かに、おもしろいですよね。 ただ、なんかハリーポッターを読んでいる様な気分がしてしまいます。 つまり、石井氏独自の世界に引き込まれる感じがして、実際は、問題の解決になっていない感じが・・・ ま、ニアリーな意見の人がいたことは、うれしいです。
お礼
長文ご苦労様でした。 繰り返し読むことで理解し役立てたいと思います!!