※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:戦時中の北京大学との関係は?)
戦時中の北京大学との関係は?
このQ&Aのポイント
戦時中の北京大学との関係が円満だった理由について質問します。
北京大学と教員の関係や学術活動について調査しました。
戦時中に日本人教員が北京大学で指導を続けることができた背景を探ります。
戦時中の北京大学との関係は?
手元の書物には昭和16年に北京大学理学院へ教員として赴任した学者の話が出てきます。
この学者は和気藹々のうちに中国人学生を指導し、八路軍の襲撃に備えるための兵士に守られながら野外実習に出かけたりもしています(兵士は関東軍なのか国民党軍なのか記載なし)。
この学者は間も無く関東軍の要請で井戸の水脈探しに従事したようですが、終戦とともに北京大学へ戻り、21年5月に指導の継続を乞われながらも本人の希望によって帰国しています。
また、他にも同大学農学部で教授を務めていた日本人も登場しています。
さて、質問です。
これでみると、戦時中にも拘らず北京大学との関係が随分と円満で、意外です。北京大学へ送り出す恩師にも送り出される本人にも中国が敵国である不安が少しも見られません。何故、こういうことが可能だったのですか。
よろしくお願いします。
お礼
南京の汪兆銘政権のことは「何かあったな」程度のことは知っていましたが、北京に中華民国臨時政府があったなんてことは全く知りませんでした。 日中戦争勃発後には八路軍と一時の南京政府を除いて、蒋介石の下で一枚岩に纏まっていたのだとばかり思っていました。 認識が改まりました。ありがとうございました。 21時までにNO.2以下がなければ締め切ろうと思います(19:00記)