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遍歴とさ迷いはユダヤの民の行動を指すのか?
- 遍歴やさ迷いは、歴史的な出来事や文化において重要な要素です。
- 最近の質問では、モーゼが十戒を授かってからユダヤの民がシナイ半島をさまよっていたことが言及されました。
- ユダヤの民がシナイ半島でさ迷い続けた状況について詳しく教えてください。
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こんにちは、 これは旧約聖書のヒーローであるモーゼの生涯のほんの一部です。 心ならずも奴隷の身分に落とされたユダヤの民がエジプトを去ることが許されたのはBC1446年、カナーンの地から移住後ちょうど430年目のことでした。 男性だけで60,000人、それに女性と子供たちが加わります。家畜やエジプト人の召使も連れた大掛かりな旅でした。 ナイル河ぞいのラメシスという街を出て、まず紅海をめざします。そこで追ってきたエジプトの軍隊に追いつかれそうになってモーゼが海の水を真っ二つに割るシーンは映画でお馴染です。 その後モーゼはなぜか北にあるカナーンの地ではなく半島の先端にある(南側の)シナイ山に向かいます。まずシャー砂漠を横切り、水探しに苦労しながら旅を続け、エリムのオアシスでテントをはって一休みしてから”シナイの荒野”を放浪します。 人々が”こんなことならエジプトで死んだほうがましだった”と口々に言い合った苦しい旅でした。ここで神はマナを降らせ、ユダヤの人々を助けます。 ”シナイの荒野”を抜けたところはレフィディムで、キャンプを張ったユダヤの民にアマッレク人が襲い掛かります。一難去ってまた一難ですね。神の加護で危機を乗り越えた人々が最初の目的地であるシナイ山にたどり着いたのはエジプトを出てから2ヵ月後でした。ここでモーゼは十戒を授かります。 ここからユダヤの民はパランの荒野をつっきって約束の地であるカナーンを目指すのですが。ここからは神のお言葉と人々の抵抗のいたちごっこです。これでもか、これでもかという感じです。 荒野を渡り終えて、もうカナーンは目の前なのに、先住民との摩擦もあって、その後40年間もカナーンの周辺で放浪を続けます。いわゆるテント生活です。神が目に余る人々の不信心のため罰を与えたといわれています。 一代の英雄であったモーゼは結局約束の地に足を踏み入れることはありませんでした。 少しはイメージが摑めましたら幸いです。
お礼
ありがとう御座います。 合計十数万人の放浪ですね。 これは言葉に尽くせない労苦でしょう。マナという自然食屋さんや食堂がありましたが、神のめぐみだったのですか。 ユダヤの民のつらい放浪は創造を絶するものですね。 やはりさ迷いというか。放浪なんですね。WagHoustonさんがご回答を寄せていただき感謝申し上げます。