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柳多瑠の川柳について以下の川柳の意味を教えてもらえないでしょうか?

柳多瑠の川柳について以下の川柳の意味を教えてもらえないでしょうか? 『女房のすねたは足を縄にない』 『恋むこが来てうす紙を引きはがし』 『神酒とくりきやたつの上でふつて見る』 『しわいやつあわれな酒に斗酔い』 おねがいします!

みんなの回答

  • debukuro
  • ベストアンサー率19% (3634/18947)
回答No.5

足を縄にない:縄ない、自分の両足を縄をなうように絡ませてすねてみせる、色っぽい仕草 薄紙を剥がすとは急に好転すること 恋婿が来たので急に機嫌が直った 酒はないよ しわい:どうしようもない ヘビークレーマーはしわい奴

  • cowc
  • ベストアンサー率60% (132/220)
回答No.4

ANo.1,3cyototu様 回答を投稿された方からご挨拶を戴きまして、初めての経験に驚き、恐縮に思っています。 これもご縁とは思いますが、今後一つの質問にあなたと私が同時に回答を寄せるようなことは、万に一つのことと思います。 お互いに国語、国文にも楽しみましょう。 ありがとうございます。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.3

cowc様、なるほどといろいろ教わりました。有り難う。

  • cowc
  • ベストアンサー率60% (132/220)
回答No.2

『女房のすねたは足を縄にない』 夫婦喧嘩をしてすねた(ふくれた、へそを曲げた)女房が左右の足首をしっかりと絡めて股を閉じ、亭主の夜の営みの誘いを拒否している有様です。 夫婦喧嘩の原因の多くは、第三者からみると他愛の無いものが多く、「喧嘩をしていても一晩寝れば仲直りができる」と世間ではいわれています。 しかし、女房は余程腹に据えかねることがあったのでしょう、断固亭主を拒否!!その意思の堅さが「足を縄にない」(足を縄を綯うようにしている)の語でおかしく表現しているのです。 『恋むこが来てうす紙を引きはがし』 一人娘が恋をして、恋患いにかかってしまった。 世話する人があって想うお方が婿に来てくれ、想いを遂げた娘は薄紙を剥ぐように少しずつよくなった、元気になった。 お婿さんが一番効く薬で、娘の病(恋患い)を治してくれた、つまり、薄紙を剥がしてくれた。 現代と違って、良家、大家では親が結婚相手を決めていたので、好きな人ができても親に打ち明けることができずに寝込んでしまう若旦那やお嬢様があり、これを「恋患い」「恋病い」といったのです。 「うす紙を引きはがし」とは、病気が少しずつよくなる様子を「薄紙を剥ぐようによくなる」と表現をするので、お婿さんが薄紙を剥がしてくれた、最もよく効く薬だったということです。 『神酒とくりきやたつの上でふつて見る』 亭主が酔っ払って夜中に帰ってきて、「オイ酒を出せ」女房「酒なんか無いよ」「なら買って来い」「今ごろ開いている酒屋なんか無いよ」というようなやりとりの挙句、神棚のお神酒徳利に目を付けた亭主が脚立を使って手に取り、酒が入っているかなと脚立から降りもしないで振ってみている。 または、独り者が酒を買う金が無く、神棚のお神酒徳利に目を付けた、とも想像ができますね。 いずれにしても、お一日(おついたち)にちゃんとお神酒やお榊をお供えするような連中でないことは確かなようです。 『しわいやつあわれな酒に斗酔い』 祝い事か、その逆か、振る舞い酒をしてはいるが、根がケチなため(しわいため)、開けた樽の酒をひととおりひしゃく(斗)で注ぎ廻ったら、二杯目、三杯目をなかなか勧めようとはしない。 樽になみなみと残っていて飲まれることの無い哀れな酒の表面に、斗(ひしゃく)だけが酔っ払ったように揺れ動いている。 そんな状況が目に浮かびます。 柳多留、正確には「誹風柳多留」を読むと、江戸後期の文化、社会、庶民の生活、人情などを知ることができ、失われつつある日本人の心に触れることができますね。 古典落語もその一つです。 それらを学問的にあれこれ探るのは、シャレを解説するようなもので、面白くもなんとも無い。 感覚的に受け止めた方が楽しめます。 学者先生方には申し訳ありませんが、私はそのように思っています。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.1

悲劇は人間の最も動物的な部分を刺激するので、何の教養がなくても、また、どんな駄作でも時代を超えて人が楽しめる。だから稚拙な悲劇でも名作として残される可能性がある。一方、喜劇はその時代背景が分からなくては楽しめず、また、動物を越えた人間としての高度な脳味噌の部分を刺激できなければ名喜劇作家の名を残せない。だから作家どもはみな低きに流れ、いつの時代でも悲劇作家ばかりが世の中に蔓延っているようですね。以下の川柳をわたし也に想像だけで解釈してみます。 『女房のすねたは足を縄にない』   畳の上で足を伸ばして座っている女房がすねて、その足を縄のようによじっている光景が浮かんで来ました。 『恋むこが来てうす紙を引きはがし』   昔の通い婚を想像してみました。恋むこがやって来たので、まだ初々しい新妻がふすまかなにかに張ってあった薄紙をひっぺがしているのでしょうか。 『神酒とくりきやたつの上でふつて見る』   神棚は天井に近いところにある。脚立を出してお供えの徳利を手に取り、その脚立の上で振っているのでしょうか。飲んべえの根性が見える微笑ましい情景が思い浮かびました。 『しわいやつあわれな酒に斗酔い』   「斗酔い」を「はかりよい」と読んでみました。吝い(しわい:けち)やつが酒の量をはかりながら酔っている、あわれな状況を笑っているのでしょう。    蘊蓄がなけりゃ笑えぬ野暮冗句 お後が宜しいようで。

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