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なぜ「勉強」は尊いのか?
- 「勉強ができる事」というのは重要視されすぎではないでしょうか?不細工であっても、勉強さえできれば認められ、性格の悪い人間でも勉強ができれば軽蔑されないと言われます。逆に、勉強ができない人間は顔や性格が良くても軽蔑されることがあります。
- 人を判断する上で一番重要なのは「勉強ができるかできないか?」です。勉強さえできれば他の欠点は克服できる可能性があるからです。
- なぜ勉強が尊いのか、一切勉強せずに思っていたことが理解できません。
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質問者が選んだベストアンサー
質問者さんは何歳くらいでしょうか そう思ってる人はあんまりいないんじゃないかな。 どこでそんな教育を受けたんでしょう 塾とかですか いずれにせよ子供のことを考えていないひどい大人ですね
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- Alkindus
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人による。
- kigurumi
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Aさん 顔がいい、Bさん 顔が悪い。 Bさんが周りの人に「これからこうなりますのでご協力ください」と言っても回りの人はブツブツ文句を言って、なかなか協力しなかった。 Aさんが同じことを周りの人に言うと「了解でーす」とみんな言われたことをやりだした。 同じことを言っても、容貌で相手に与える印象が違うから。 >どれだけ性格の悪い嫌な人間でも勉強が特段にできれば誰も彼のことを軽蔑できませんよね? いや ガリ勉で自分のことしか考えていない人って思います。 他人のことなどどうでもいいから手伝わない、なんて自己中心的なヤツだ って思いますけど。 >逆に、勉強ができない人間は顔がよくても、性格が良くても「彼は○○だ。でも勉強ができないしねえ…」と、ともすれば軽蔑されることになります。 いや、勉強ができなくても協調性があったり協力的で他人を手伝ったりする人で顔がいいと「なんていい人だ」って印象になる。 性格が欠点をカバーしているので、成績が悪くてもかわいがられる。 結局 他人の印象って、良い関係を保つかどうかで180度違ってくるんです。 自分の価値って誰が決めると思います? 自分以外の人です。 自分以外の人が あの人は良い人 嫌な人って思って、それで対応を変えているわけです。 ただ容貌が著しく悪いと、いるだけで不快感を与えてしまい、どんなに周りのために尽くしても評価されず、都合のいいときだけ優しくされ、普段助けているのに本人が困って助けを求めても「今いそがしいから」と友達とおしゃべりするのをやめなかったりされる。 勉強している人が評価されると思いがちですが、実際は世の中に貢献しないと評価されないんです。 学歴は一つの人を図るものさしですが、東京大学を出ても、ぜんぜん職場で仕事ができなければ、あたまでっかちで駄目人間とやがて評価が決まってしまいます。 逆に3流大学を出ていながら、企業に利益を与え続けていると、学歴などとりだたされず昇格していきます。
- AXIS_
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>私がこう思っていたのに一切勉強してこなかった意味がわからないのです。 他者に対しての判断としてはやはり期待や頼もしく想う気持ちがあったからでしょうね。 それは同時に人任せであり、頼っていたということになりますね。自分が勉強できなくても頭のいい一部の人たちがなんとかしてくれるだろうと思っていたと言う事ではないでしょうか。 自分へ当てはめればどうでしょう。死んでも残るものは知識ではなく知恵でしょうか。あるいはシュタイナーの言うような、思いの束だけでしょうか。技術は環境によって受け継がれているようにも見えます。その初端の原動力は何でしょうか。 いずれにせよ自分にとっても価値があることだと思っていれば、勉強をしたのでしょう。
尊いというより、道具や手段として得であるというところだと思います。 尊く感じるかは個人の価値観によるものだと思います。勉強すれば価値観は色々だと分かると思います。
- Mokuzo100nenn
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素晴らしい回答が続いていますね。 失礼ながらmmkyという名前、「まったくもって空気が読めない」の略語かと思っていましたが、訂正しますよ。 >年老いて残るのは学んだ知識だけですよ。 これ金言ですね。 付け加えれば、長い人生で色々なことを勉強する機会が有ったにもかかわらず、会社の仕事に関係することなどばかり勉強して時間を使ってしまうことの馬鹿らしさを強調しなくちゃなりませんね。 私は財務会計と管理会計の違いや、良い人事管理と悪い人事管理のことなど、会社の仕事の必要があって随分と勉強しましたが、こういうのは、「年老いて全く役に立たない知識」ですよね。 会社を退職すれば管理する金は無いし、部下が居なくなれば人事管理も無用。 で、人生の秋(=収穫の秋)を実り多きものにするためには、会社(=生業)の必要とする知識ばかり勉強してちゃいけないんですね。 やはり、歴史と哲学と自然科学を勉強しなくちゃ実り多き人生にはならねえ。 これに付け加えて外国語などを二三覚えておくともっと良いかな。 もう一つ下で回答してくれているCyototu先生もすごいよ。 >そのことを理解している人といない人では雲泥の差 これをまさに自覚・実践してきたんだな。 先生やってるぐらいだから、きっと学校の勉強だってそこそこやったでしょう。そして論文なんかも審査員が気に入る程度の内容を纏めあげたりしてきたと思いますよ。でも、これは物理学者としての生活に必要なことですから、大工が釘の種類と使い方を覚えるのと同じようなもので、そこまでは「並み」だな。 重要な違いはね、物理を生業としている人間にとって柳田國男とか南方熊楠なんて何の必要も無い。 この何の必要も無いことにものすごい精力を費やして勉強されたから、面白い人間になられた。 若いうちにこのことを教えてもらっておれば、大工だってもっと哲学とか歴史の勉強をしたんだけどな。 質問者さんは幸せもんだよ。 まだ、若いんでしょう。 学校の勉強などはそこそこでよいから、歴史と哲学と自然科学と、それから好きな外国語を二三選んで、勉強しておきなよ。 他人の評価なんて気にする事は無いんだからね。
- mmky
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なぜ勉強はこんなにまで尊いのでしょうか? ○日本社会においての、勉強による差別の意味でしょうか。勉強による差別が肯定される理由は、ご指摘にもあるように「身分、家柄、身体特徴など」に一切無関係に評価できるからですね。 江戸時代から戦前までは、貴族社会が残っていましたから勉強の出来ではなく身分・家柄により差別があったのですね。いくら勉強が出来ても身分や家柄に左右された時代があったわけです。戦後はそれを全て壊してしまいましたので、評価基準が「勉強の出来具合」で決まるようになったのですね。 このことは決してわるいことじゃないですね。自由はそのまま差別と訳せますから、差別はみんな平等の試験の結果で決めましょうということですね。それが現代の評価基準ということなんですね。 じゃ、勉強できないものはどうすりゃ良いんだ。と言うことになりますが、勉強と言う価値基準は「公務員、一般企業」のサラリーマン用の基準ですから、そんなレベルに甘んじる必要はないのですね。 企業家、でも自由人でも、冒険かでも、百姓でも自身の価値基準にあった場所で精一杯羽ばたけばいいだけですね。 ただ、一言付け加えますとね。年老いて残るのは学んだ知識だけですよ。仲間も会社も家も財産も家族さえとも縁がなくなりますからね。その意味では、学問による評価などどうでも良くて、勉強は死ぬまでやるものですよ。 「学ばずして死ぬことほど恥ずかしいことはない。吉田松陰」ですからね。
- cyototu
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あんた何か考え違いしているね。誰も勉強が貴いなんて考えている人いないですよ。 貴いのは、国語の知識のお陰できちっとした日本語が話せたり書けたり出来る事が貴いのであり、社会の仕組みが分かっている事が貴いのであり、数学的に論理的に考えることが出来るのが貴いのであり、歴史を知っているお陰で、自分が何故このような文化の中でこの自分という個性を持っているかを知ることが出来る事が貴いのであり、自然界の仕組みが理解出来ているので、自分たちの生活環境を住み良くする方法を知るようになれるから貴いのであり、英語を使って外国の人と情報の交換ができるから貴いのであり、、、と、そう言う事が貴いのであって、勉強だから貴いわけじゃないですね。 どれもこれも、貴方が幸せな人生を全うする為に必要な事ばかりですね。勿論、上の事を理解したからと言って、あなたの幸せが保証される訳ではありません。しかし、そのことを理解している人といない人では雲泥の差で理解している人の方が幸せになれるチャンスがあります。だから、皆は勉強するのですね。 たまたま、マスコミに乗れたり、運動能力が抜きん出ていたりしていたお陰で、表向き幸せになれるような方も、ウン十万人に一人ぐらいはいるでしょう。でも、貴方がその幸運に恵まれている確率は限りなくゼロに近い。ところが、上の知識は、努力さえ厭わなければ、ほとんどの人に手に入る知識です。だから、まともな親だったら、勉強しなくて良いから球遊びしていろとか、泳いだり取っ組み合いだけしていれば良いなんて言わず、上で述べた知識を手に入れろ、と言っているのですね。
- AXIS_
- ベストアンサー率12% (9/71)
>なぜ勉強はこんなにまで尊いのでしょうか? 頼もしく思う。自分自身の生活環境並びに社会に対して、維持存続もっと言えば進歩発展させることが出来る存在だと思うからかな。 その人がお金を稼げるであろう、という事実?もあるだろうし。いずれにしても物質社会でより多く、よりたくさんのモノを生産し、モノやお金を持つことに価値があるとされているからでしょうか。 しかしガリ勉じゃなく純粋に頭の良い人を好ましく思う、あるいは尊敬するというケースもあるでしょうね。
- pupurr
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何を信じていいかわからない。混乱している状態に見えます。 勉強で何がどうなるのか? その理由を明確に教えてもらってないのでしょうね。 まず、二十歳以下では脳の神経を作るのに役立ってます。 知識とは、昔は「人間はかわる存在」として認識されました。 人間は1つでも知れば、もう昔と今とでは、自分が変わってる。成長した。と認識するもので、それは間違ってません。 しかし、勉強で幸せになるかといえば、はなはだ疑問です。 だからといって、必要ではない。とはなりません。 必要ですが、全体の一部ということです。 学歴偏重という歴史がありましたが、迷信でした。 今は 勉強して、本から知った伝聞知識を知ってるということが勉強できるという錯覚。 これは、TV見ていろいろ知ってると同じレベルです。 しかし、今の経済は高度で、車1つ治す整備でも学校で勉強しないとできないレベルということです。 つまり、知識がないとできない。 できないとその仕事にもつけない。 つまり、将来の投資です。 現実に必要なのは、勉強より、心がある人格のほうが重要です。 人の心を創造する練習でしか、これは身につきませんが、こちらのほうが重要です。 勉強できても、人のことを助けられないなら、知識は無駄です。 人が困ってるのに助けられないような、勉強できる人は無意味です。 しかし、勉強して何かを手に入れていかないと、成長できません。 1番必要なのはたくさんあります。 脳科学からいえば、賢いと馬鹿の比較ができず、基準もない。一般的に言われてるのは、社会適応能力のこと。これを賢いと読んでるらしいということです。 ですから、社会の適応面から考えて、勉強ができないのは、ある適応の部分の話。 まぁ、勉強しなくて、いっぱい給料がほしいというのは、空想ということです。 医者でも、弁護士でも、飛行機を飛ばすのも、今は、ちょっとした事故で生命の危機を招くほどの高度なものです。 その知識と実力があるから、その対価がもらえます。 誰でもできる肉体労働は対価が安いわけです。 結局、できる人かできない人かという違いに変わり、将来性に変わってきます。 ですから、将来の投資ではあっても、かならず心のある幸福が作れるという保障ほどではないです。 お金持ちで心が不幸な人はいっぱいいるといいます。 いつも怒ってる、苦しい心で苦しく生きてる人もいます。 幸福から考えれば、勉強は、その1つの要素ではあるが、すべてではない。 その補完には、心や人格が必要でもあるということです。
- Mokuzo100nenn
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意外な観測ですね。 私から見ると、テレビや新聞などで取り上げられ称賛されている子供といえば、サッカーが上手だとかゴルフが上手だとか、ピンポンが上手だとか柔道が強いとか、そのような勉強と関係ない部分で褒められていますね。勉強しない子供たちがやがて国会議員になって国の行方を決めてゆく世の中に見えますよ。 もう少し勉強することの大切さを強調し、また評価してあげないと、子供たちが皆、ゴルファーとサッカーとピンポンに精を出して、だれも勉強しない国になってしまうのじゃないかと危機感を抱くほどです。
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