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あっ、ライオンの目の前にふくろうの雛が!
あっ、ライオンの目の前にふくろうの雛が! 今日のMSNのホームのトップニュースに載っていた写真のことです。 その記事の写真は、目の前のふくろうの雛に無関心なライオンの顔が。 それは動物園での出来事であったとか。 だからちょっと考えてしまいました。 動物園での出来事だった、と思うから。 皆様の“哲学的”ご意見、感想を聞かせてください。 よろしくお願いいたします。
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哲学っていえば法則性が必要なんですよね。法則性と仮定に基づいて考察をしていく、と 法則性でいえばタイの寺なんかでやっている、豚にトラをトラに豚を育てさせる試みが成功しています。小さい頃から共に育てばコミュニケーションが可能になり…豚からトラへの敵対心もなく、トラから豚へのエサという認識がなくなる。 それと似た法則で、動物園というエサに困らない限られた環境で育ったために、敵対心が育たずに理性が備わったと仮定します。 そこから…本能を満たせば人間以外も理性的になれると考えることができ…るかな? 以上 簡単哲学でした
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- rin00077
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ライオンはもともとは優しい動物ではなかろうか? ライオンからみれば、人間のほうが野蛮で、獰猛で、残酷な 生き物であることは間違いない。 ライオンはただ、生きていくために狩をするだけで、人間は それを欲のためにする場合がある。 今回のライオンの件は、ライオンにしてみれば普通の行為で、 雛が殺されると感じるのは、人間の偏見ではなかろうか。 ちなみに、ライオンの檻に子猫をいれると、そのライオンは 子猫を育てるという。 我が子と間違えているのかもしれないが。
お礼
回答を受けて、 もしかすると、すべての生物は、人間よりも、優しい生き物、なのかも知れない。 と、思いはじめました。 “残酷”という言葉は人間にのみ、当てはめられるのではないでしょうか。 その“因”に相当するのが「欲望」。 頼るべきは「理性」 ということになるのが、お決まりのパターン。 ほかに頼るものも無いし。 でもこの「理性」の頼りなきこと、はなはだしい。 と思いませんか・・・・・・。 途中ですが、お礼のコメントなのでここまでにしておきます。 ありがとうございました。
補足
質問を締め切るため、この欄をお借りします。 いただいた回答はどれも勉強になりました。ありがとうございました。締め切るためにポイントをあげなければなりません。今回は、哲学っぽい、という点に‘ぽい、んと’を差し上げることにしました。 ありがとうございました。
- AXIS_
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ライオンの記憶の中にフクロウが居らず、従って理解できず、反応出来なかったのでしょう。 では実際に野生、自然の中で遭遇した場合はどうでしょうか。 実際に遭遇することはないでしょうね。 では実際にお互いに共存しあうような環境を作り、関わらせ続けたらどうなるでしょうか。 フクロウはライオンの影響を受けるでしょうか。空を飛べるし、ライオンが活動しない夜に小動物などを捕食するし、ライオンから脅威を感じることもなく、影響を受けない、と考えられます。 一方、ライオンにとっては小動物が少なくなることで、それらを捕食する中動物も少なくなり、中動物を捕食するライオンは影響を受け、生き方を変えなければならなくなるかもしれません。 その結果、「様態」を変え、ライオンはライオンと呼べるようなものでなくなるでしょう。 さて、これは哲学的でしょうか。 何らかの動機が元になった質問であればそれに従っても良いですが、、、。
補足
この記事を簡単に説明すると、フクロウが動物園のライオンの檻の真上に巣をつくり、そこで育った雛が、ライオンの檻の中へ落ちてしまい、三日間ライオンと過ごした上、無事に育ち飛び立っていった、というものです。 そして記事の写真には、白っぽいフクロウが小さく写っていて、大きな顔のライオンが我関せずという表情をしているのです。 真意の程は分かりませんが、ライオンの表情が、哲学しているようで・・・・・・ (カテが哲学、なので生物学っぽくならないほうがいいかな、という程度の気持ちです)
お礼
法則性とは、演繹法、帰納法を指しているんでしょうか。 法則性が必要と言われて、ふと思いました。 すでに敷かれているレールに沿って進みなさい、と言われているようです。 哲学という乗り物に乗ること、それが哲学することなのだと。 そしてさらに思いつきました。 哲学って、道のないところを進んでゆくことなのではないかと。 言い換えれば、道を作っていく作業、これが哲学の仕事であると。 こんなことを思いながら、回答を読み返してみると、 法則性があるような、ないような。 “理性”を持ち出したところなど、考えの流れとしては法則性があるようですが、その“理性”をライオンに結びつけるところが、法則性から外れているようで。 ここが一番哲学っぽい感じがします。 ありがとうございました。