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あっ、ライオンの目の前にふくろうの雛が!
あっ、ライオンの目の前にふくろうの雛が! 今日のMSNのホームのトップニュースに載っていた写真のことです。 その記事の写真は、目の前のふくろうの雛に無関心なライオンの顔が。 それは動物園での出来事であったとか。 だからちょっと考えてしまいました。 動物園での出来事だった、と思うから。 皆様の“哲学的”ご意見、感想を聞かせてください。 よろしくお願いいたします。
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あっ、ライオンの目の前にふくろうの雛が! 今日のMSNのホームのトップニュースに載っていた写真のことです。 その記事の写真は、目の前のふくろうの雛に無関心なライオンの顔が。 それは動物園での出来事であったとか。 だからちょっと考えてしまいました。 動物園での出来事だった、と思うから。 皆様の“哲学的”ご意見、感想を聞かせてください。 よろしくお願いいたします。
お礼
法則性とは、演繹法、帰納法を指しているんでしょうか。 法則性が必要と言われて、ふと思いました。 すでに敷かれているレールに沿って進みなさい、と言われているようです。 哲学という乗り物に乗ること、それが哲学することなのだと。 そしてさらに思いつきました。 哲学って、道のないところを進んでゆくことなのではないかと。 言い換えれば、道を作っていく作業、これが哲学の仕事であると。 こんなことを思いながら、回答を読み返してみると、 法則性があるような、ないような。 “理性”を持ち出したところなど、考えの流れとしては法則性があるようですが、その“理性”をライオンに結びつけるところが、法則性から外れているようで。 ここが一番哲学っぽい感じがします。 ありがとうございました。