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最低な行為による子猫の悲劇
- 今日、私は子猫に関する悲劇的な出来事を経験しました。不意の事故で子猫を轢いてしまい、その後の出来事について反省しています。
- 子猫の状態や行動に心を痛めながらも、私はその場から逃げてしまいました。後悔の念にさいなまれています。
- 保健所に連絡しましたが、子猫が引き取られる前に姿が消えてしまいました。私は自分の非情さに罪悪感を感じています。
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質問者が選んだベストアンサー
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私は突然、身内の死に直面したことがあります。 今回は子猫ですが、たとえ動物の場合でも突然の死に直面すると冷静ではいられないはずです。 もしも冷静であったとしても、後々、これで本当に良かったのか、もっとほかにするべきことはなかったのか、などと自問自答することになると思います。 私の場合がそうでした。 そのときは精一杯やったつもりでも、今でも後悔することばかりです。 生き物の「最期を看取る」ということは、それだけ心に圧し掛かる出来事なのだと思います。 質問者様にとっても、子猫にとっても、今回の出来事は確かに不幸なことでした。 でも、死に至らせようと思ってしたことではありません。 不慮の事故というものです。 こんなときは気が動転していて当然のことです。 その場を立ち去った質問者様を誰も責めることはできないはずです。 質問者様にできることは、子猫の死を無駄にしないことだと思います。 この世に生を受け、命の限り精一杯生きた子猫。 質問者様は、その子猫に何かを教えられたのではないでしょうか。 それは何かと問われれば、下記の一文がその答えだと思います。 >これからは、このような悲惨な事故が起きないよう、安全確認を怠らないようにします この事件がなかったら、このようなことはお考えにならなかったかもしれませんよね。 子猫は、質問者様に安全運転をしてもらいたかった、それを教えるために自らの命を差し出したのかもしれません。 子猫の死を無駄にしないよう生きること、それが一番の供養になるのではないでしょうか。 お辛いお気持ちはお察ししますが、どうかあまりご自分のことを責めないでください。
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- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11113)
失敗は失敗として、大事なことは「同じ失敗をくり返さない」ということではないかなと思います。 今回の失敗の大事なところは、 「逃げているだろう」「近くにはいないだろう」 と、特に根拠もなく自分に都合の良い解釈を一方的にしてしまったということです。これは「あの角から車や自転車が出てくることはないだろう」「駐車場は親の目も行き届いているだろうから子供が飛び出してくることもないだろう」と解釈すると事故にもなりかねないということです。 今回は、一度エンジンをかけた後に一旦車を降りて見回せばまだそこにいたことが分かったはずです。そのときに「危ない!シーッ!」と声をかけて追い払えばこんなことにはならなかったと思います。 その子猫は身をもって今後の安全運転を教えてくれたと解釈しましょう。 それともうひとつ。改行しましょう。女性は興奮すると改行を全くせずに質問をアップするんですな。読みづらくてかなわんです。
お礼
読み辛い文章に最後まで、目を通して頂いた上、回答までして頂き、ありがとうございます。私の都合のいい解釈、身勝手な行為が引き起こした結果です。このような悲惨な出来事が二度と起らぬよう、この失敗を心に刻み、生きていきます。
- 2marin626
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今あなたができることは命を1つ救うこと。 考えるまでもなくいくらでもあるでしょう。 それがその子猫にとって存在した証で償いです。 行動に起こすか起こさないかは自分次第ですが、 ここに質問を書き込むあたりアドバイスするだけ無駄ですかね。 どのように思うか、どのように悔い改めるか、 そんなの他人の意志に関係ないでしょう。 今はただ、子猫のご冥福を祈ります。
お礼
そうですね。。自分がしてしまった罪に心苦しく、思わず投稿したのですが、身勝手ですよね。こんな質問に対し、厳しくもアドバイスして頂きありがとうございます。
- miirumatsu
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かわいそう・・・;;あなたが。 辛かったですね。 たった今まで生きていたものが、死んで命のなくなった瞬間、どうしてああも怖く、気味悪く、恐ろしく感じてしまうのでしょうね。 人間が、本能的に「死」を恐れる所以だと思います。 遺骸、いえ、ズバリ死体に触るのは、だれでも怖いです。 どうかすると、一緒に暮らしていた家族である人間に対してでも、ある種の薄気味悪さを感じるのを、泊められないことさえあると思います。 まして、飼っていたわけでもない猫の死体を見て、怖くなって逃げてしまったという、あなたの気持ちは、自然だし、だれにも責められる種類のものではないと思います。 これが人なら立派なひき逃げなのに、動物だったらいいのか、とか、そういう議論ではないと思うんです。 飼い猫だったら器物損壊罪に当たるのに、野良猫だったからいいのか、とか、それも違うと思うんです。 あなたは、自分のしたことの責任として、保健所に通報するという最大限の努力をされたと思います。 気にするなとか、忘れろとか、安易に励ますつもりはありませんが、子猫のために幾日か泣いてあげて、あなたの気の済むように、何かお供えとかお祈りとかお布施とかしてあげて、それから、ご自分を許してあげてください。 もしかしたら、いつか、子猫は、今度こそあなたに可愛がられ、あなたを許すために、別の生き物や植物に生まれ変わって、あなたの元に遣わされるかもしれません。 野良猫や野良犬、捨て猫などを見ても、悲しいことを思い出すから、と目をそむけたり見ないふりをしたりせず、慈悲の心を持ってやさしくしてあげてください。 子猫も成仏できると思います。
お礼
温かい、お言葉ありがとうございます。私がしてしまった事は、決して許される事では、ありませんが、そのように、考えて頂き、救われる思いです。この子猫の事は、決して忘れず、これからは、慈悲の心を持ち、生き物に接していきます。ありがとうございました。
お礼
レスありがとうございます。おっしゃる通りです。私の一番の供養は、子猫の死を無駄にしないよう安全運転、安全確認に心がけることです。子猫が命と代えて、私に大切な事を気付かせてくれたのですから。ありがとうございます。(涙)