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マスコミや評論家が使う「説明責任をはたしてない」って言葉は、
マスコミや評論家が使う「説明責任をはたしてない」って言葉は、 例えると、いくら政治家が否定や説明しても、お前は絶対にしたんだろ、やったと言うまで、叩き続けるからなっていうマスコミや評論家の意思表明に思えるんですが、どうなんでしょうか?
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ご質問者様がご指摘の通り、お馬鹿なマスコミやその御用評論家が「説明責任」という言葉を使う理由は、特定の人物を叩くために大衆を扇動しやすいからです。 では、大衆を扇動するキーワードがなぜ「説明責任」なのかを考えてみますと、「政権交代」や「政治主導」などのように4文字熟語が日本人にとって受け入れられやすい言葉であることが主因と考えます。 4文字熟語は、もともと四面楚歌や波乱万丈など4つの文字が強く結びついて一つの意味を成す、いわゆる、慣用句に用いられる言葉ですが、すべて音読みで日本人にとって耳に馴染みやすく、名前でも4文字の方が多いように昔から日本人にとって身近な存在であることは、ご質問者様もお気づきではないかと存じます。 本来、「説明責任」とは、公に尽す者、あるいは、ある一定の社会的地位を持つ者がその権威をかざすことなく、公正な立場をもって真実を語ることがその意味ですが、大衆を扇動するキーワードであることに多くの方が気付いておりません。 それだけ、現代社会は新聞やテレビに毒されています。しかしながら、ご質問者様におかれましては、少なからず問題意識をお持ちのようで何よりです。今後ともご自身で真実を見抜かれる力を養われて頂ければと存じます。
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- pupurr
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違います。 わがままばっかりやりやがって、納得いく説明もできないだろ。」ということです。 国民から権力を頼まれてるにもかかわらず、自分たちの票のために使ってんじゃねぇよ。」と言うことで、 国民のための権力ですから、国民が納得しない使い方なら、次には一票入れませんということです。 政治家は国民の下僕なんです。本来は。 だから「てめえら、国民のためだけに働け。」ということで責任追及するんです。 国民に対して無責任すぎるから。 今の日本はIMFから警告が入ってきてますが、ギリシャのように破綻寸前です。 政治の責任です。 回避するために現政権や民主を変えないととんでもないことになりますよ。 1ドル4倍の400円になったらどうしますか? IMFが入ったら、強制的になりますよ。 警告が入ってると言うのは相当やばいところにきてますね。
お礼
ありがとうございました。
- yama3nande
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まず、小沢氏の一件を事例に挙げるならば、記者会見をし、実際に検察の事情聴取にも応じたし、政倫審への出席を拒んでいる訳ではありません。それでも執拗に「説明が足りない」というのは、明らかに「やったと言うまで、叩き続けるからな」という意思表示に違いありません。 他方、鳩山氏の一件を例に挙げるならば、ほどほどのところで巻く引きを行ったという感じです。 もっといえば、件の官房機密費問題や、日米密約問題を巡っては、前政権の「説明責任」が果たされたとはまったくいい難い状況ですが、なんの追求もありません。 従って、「説明責任」というカードはマスコミに非常に恣意的に使われている、ということは全くの事実です。 本来、「説明責任」は納税者である国民が、行政に対して、その税金の使い道について、説明を求めるという流れで登場してきたものです。つまり権力を監視する国民の権利拡大、行政の情報公開、国民主権という流れの上にあるものです。 当然、この「説明責任」は政治家にも適用されますが、小沢の一件も、鳩山の一件も、実は、「説明責任」が問われているのは政治家の側だけではありません。捜査権を行使している「検察」も強大な権力を保持しているのであって、彼らにも「説明責任」があります。しかも政治家は選挙によって有権者の洗礼を浴びますが、検察=官僚は、そのような国民による洗礼を受けることはありません。そうである以上、政治家以上に検察の説明責任を求めることが重要です。実際、検察の暴走によって、鈴木宗男、村上正邦といった有能な政治家が無実の罪に問われてきたのです。 ところが、マスコミは公平・中立という報道の原則をかなぐり捨てて「検察リーク」には一切の疑問を挟まず、一方的に政治家のみを攻撃します。つまり、検察=官僚の方が、政治家よりも強大な権力を持っているのであって、マスコミは権力監視という点では、むしろ権力に加担しているのです。 私は本来、権力を監視するために生まれた「説明責任」という言葉が、むしろ権力強化の道具と化しているところに最大の疑問を感じます。 しかし問題ばかりでもありません。そのようなマスコミの矛盾した態度によって、権力の実態が透けてみえたことによって、私たちは単に「説明責任」を問うだけではダメで、私たち自身が行政を担うことが必要だということに気付かせてくれたように思います。そしておそらくマスコミ自身も私たち自身が作り直していく時代に入ったのだと思います。
お礼
ありがとうございました。
- ryuken_dec
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説明責任とはアカウンタビリティの訳語であり、ただ説明をすればいいものではない。 日本のほとんどの政治家は説明責任を果たしていないのは事実。 >いくら政治家が否定や説明しても、 何十時間説明しても説明責任を果たしていなければ論外。 政治家の説明責任は、組織の長として事態を把握してしっかりと根拠に基づいて説明することが説明責任。 「秘書に任せていて私は把握していません。だから私は関わっていません。」では説明責任にならない。例え、組織の構成員のやったことであっても、それを束ねるものとして事態を把握して説明する責任がある。 民間企業トップでも、一部社員の不祥事について調査をして調べて説明をしている。社長が一部社員の行動など把握しているはずも無いが、その社員がどういう行動をしたのかを調査させ、社長自らが説明する。これが説明責任。 こういう説明が無いから、いくら否定しても、説明責任を果たしたことにならない。
お礼
ありがとうございました。
- pureadesu555
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アメリカ支配層や自民党や創価学会公明党に支配された御用マスコミや評論屋は、自民党議員や公明党議員なら、追求しないことを、徹底的に追及しまくっているわけです。自民党や公明党の誰が、国民が納得する説明責任を果たしましたか。
お礼
ありがとうございました。
- cznut9
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あなたの説には根拠がありません。 その言葉が使われるのは 実際説明が足りない場合なので 「いくら説明しても」ではありません。
お礼
それも根拠がないと思いますが…… 例が極端すぎましたね…説明責任っていう言葉が正しく使われてると思う時もありますよ。 主観がからむ問題ですから難しいですよね、ありがとうございました。
- fedotov
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例えば、国会議員の場合、否定するにしても、 発言する場所が問題になります。 原則非公開で偽証しても罪に問われない衆院の 政治倫理審査会では言ってもいいけれど、 公開で嘘を言ったら偽証罪に問われる国会の 証人喚問や参考人招致では言いたくない。 いくら否定や説明しても、 偽証罪に問われる場所では言わない、 言葉の真偽の責任を取らないのであれば、 信憑性を疑われても仕方がないので、 説明責任を果たしたとは言えません。
お礼
ありがとうございました。
- mojitto
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だいぶ、ひねくれた見方ですね。 (事実上はそうなのかもしれませんが…) 不明な部分があり、かつそれを説明する必要があるにも関わらず、説明しないことを「説明責任を果たしていない」言います。 そして説明を果たした後、場合によっては社会的、刑事的責任を問われることになります。 別に「やった」と言えという意味ではありません。 納得できるだけの「やっていない」説明をすることも「説明責任を果たす」ことになります。
お礼
ありがとうございました。
- debukuro
- ベストアンサー率19% (3634/18947)
いくらかせびるつもりかもw ですね そんな気がします
お礼
ありがとうございました。
お礼
ありがとうございました。