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自己責任(再度)

こんにちは。 以前にもこの題で質問させていただきました。 そのときの回答者の方ありがとうございました。 自己責任と言う言葉は正式にはどう言うときに使われるのですか。マスコミ、政治家、役人の方や世間では何か失敗するとこの言葉が軽く出ますそれが正しいのかわかりません。WikiなどのURLのみの回答はお断りします。

みんなの回答

noname#29999
noname#29999
回答No.4

仰る通り自己責任とは、国であれ企業であれパワーを持つ側の責任回避であり、より多くの利益追求のための策です。 しかし、その理不尽な法の下で生きていかなければならない私たちはその法を良く理解して武装しなければなりません。 >今の日本は役所にしても普通の会社にしても十分な情報の >公開がなされているのだろうか。 大事なところだと思います。具体的な事が分からないので漠然とした答えになりますが、大体の契約は双方が利害関係で結ばれますが、その際、物やサービスを提供する側はその契約に伴う情報と起こりうると想定されるリスクに付いては説明責任があります。 それを怠っては相手に自己責任を問う事は出来ません。 一方、提供を受ける側は一旦契約のサインをした後、問題が発生した場合、情報が十分でなかったとか約款を読んでなかったとかという事は自己責任を回避する理由にはならないという事だと思います。 今迄はお客様は神様で何もしなくて良かったものが、利害を伴う契約に際してはすべてを知るという義務が伴う事になると同時に納得出来ない内容にはサインをしないという事が鉄則になります。 そこらへんを契約時にあやふやにしてしまうと裁判などという事もあり得ると思いますが、所詮は弱いものの負けでしょう。 大して理解していなくても、最悪の場合を予測する事の不得手な日本人は大事なところで「OK,OK」で次に進んでしまうので、海外ではずいぶんと酷い目にあっているようです。 強いものに利用されたり、軽く扱われないためにはこちらも細心の注意と犠牲を払わされる時代になったという事でしょうか。 またそのためのコストは惜しんではならないという事も言えるかもしれませんね。

gaisei
質問者

補足

再度回答ありがとうございました。 なにか自己責任というのは、弱いものに向けた用語みたいですね。 欧米(特にアメリカ)は、日本よりは自己責任に対してはきちんとしているのではないでしょうか。 それに比べると日本は法律が良い悪い決めてくれないとズート弱者のまんまで、年金の不備でも記録がないと自己責任みたいなことを言われいました。アメリカのように訴訟社会に発展しなければ自己責任から開放されないのでしょうか。国が法律でどのくらいまでカバーしてくれるのでしょうか。すいませんが再度回答をお願いします。

  • ota58
  • ベストアンサー率27% (219/796)
回答No.3

教えて! goo で質問したらアドバイスや回答がきた。 そのとおりしたら。 離婚してしまった 喧嘩別れになった パソコンが壊れた 余計な支出がでた 就職先の内定が取り消された 病気が悪化した 宿題が0点だった  税金が余計にとられた 回答者にはなんら責任はありません。 最終決断は(自己責任)で解決してください。 てな具合でしょう、自信ありで回答。

gaisei
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

noname#29999
noname#29999
回答No.2

自己責任って最近良く耳にする言葉で、日本ではまだ抵抗を感じる方もいるようです。 しかし、欧米社会(すべての国を知っているわけではありませんが)では一般的に広く行き渡っている考え方で、政治家、役人、特殊な職業の人間に限らず、常識的な家庭では子供の頃から教えられる一般的な考えです。 たとえば、 崖っぷちだとか、岩場など絶対に危険と思われる場所では 日本では[危険!立ち入り禁止] 欧米では[proceed at your own risk] 自分の責任に於いて進め、の立て札がありますが、日本と欧米にはこのような違いがあります。 つまり、いままでは日本では、危険やリスクを伴うものは国や社会がすべてシャットアウトして守ってくれていました。 それに比べ、欧米社会は禁止はしません。行くも戻るも個人の自由で決めますがその責任は個人が持ちなさいと言う考え方です。 この考え方はすべてに浸透していて、たとえば犯罪の被害者でもその被害を受けた一端の責任を問われる事があります。 日本のように被害者と言うだけで絶対的に保護されるというわけではありません。 私は海外で、このような考え方に初めて接した時はとうてい受け入れられず、カルチャーショックの連続でした。 この欧米式の考え方が最近徐々に日本にも入って来ているのだと思います。 この考え方の良い悪いは別に、日本でも民主主義、自由主義の社会でその権利を謳歌出来るその裏には個人の責任が強く問われる時代になって来たということではないでしょうか? ですから、この言葉が使われるのは、個人的にも社会的にも、自分が起こす行動すべてだと思います。 あらかじめ、社会人として知っていなければならない危険、回避出来るリスクなどは、社会や国、会社は責任を負ってくれないということでしょう。 長く続いたゼロ金利政策が個人を投信の方向へ向かわせている気配ですが、これなどは典型的な自己責任が問われる例ですね。

gaisei
質問者

補足

こんにちは。 いつも他のところでの回答を読ましていただいて大変参考になります。 この頃何をやっても自己責任がその人の行動についているみたいです。 自己責任は自分と相手があって成立し、相手の情報にもとづいて契約などを結ぶわけだと思う。しかし今の日本は役所にしても普通の会社にしても充分な情報の公開がなされているのだろうか。何か不十分な情報で責任を取らされているのではないかと思っております。もし、自己責任だから賠償金を払えなんて企業から言われたら裁判でしか戦う方法がなくなり、泣き寝入りになってしまうという状況が起きると思う。なにか強いものが弱いものを攻める一つの言葉の手段だと思う。だからなにか軽く使われているのではないでしょうか。これについてどう思われますか。

  • Rahiri
  • ベストアンサー率21% (32/151)
回答No.1

基本的には[自分が決断したこと]の結果は、全て自己責任と言えると思います。 大雑把に言ってしまえば[人生は全て自己責任]と言えなくもないと思います。 進学先の学校や就職先の企業を選ぶ時など全てそうですし、恋人を作ったり結婚することなどもそうですよね。 後で後悔したり『こんなはずでは ・・』と思ったとしても、そこからの人生の軌道修正は結局は自分でしなければなりませんよね。 ただ、現在の社会通念上は『それは自己責任で ・・』と言われれば、それを言った本人が『私には一切責任はありませんよ』という[念押し]で言っているということだろうと思います。

gaisei
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 すべての行動が自己責任なんですね。

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