一般的にはアカウンタビリティの訳語、とされています。
じゃあ、アカウンタビリティってなんじゃい?というと、やはり説明責任。
語源はラテン語のAccomptare(数を数える)で、英語の会計学(accounting)と
関わりの深い言葉でもあります。そして近代以降の会計学は、株式会社の
公正な評価に苦心しているわけです。
株式、というと市場の人たちが勝手に価値があると思い込めば高くなり、
価値が無いと思い込めば安くなるもので、まったくのギャンブル。
"実体経済"とは違うんだ、なんて批判を聞いたことがあるかと思います。
実はこれって300年遅れくらいの見当違いな批判なんです。
もちろん近代のヨーロッパでも同様の考え方をしていた時代がありました。
実際に仕事をしていない会社でも、株式だけを高くすることは可能だと。
この発想の元に市場の価値が膨らんだ結果、やはりバブルの崩壊が起きてしまったんです。
結果、戦争以上の大損害と死者(自殺者)が出てしまった。
そこで調査委員会が設置され、その原因が探られました。
アカウンタビリティはこの頃から発展してきた考え方です。
バブルの崩壊は、信用不安によって拡大していきます。
では、信用不安というのは何故起こるか?
調査委員会はその原因を「説明しないからだ」としたんです。
相手が騙しているかもしれない。ウソをついているかもしれない。
あるいは正直であっても、経営者の能力の不足や思い違いによって、こちらに
損害があるかもしれない。これらは人間が生きる限り、当然起こりうる事態です。
憶測が憶測を生み、信用不安というのは際限なく拡大していきます。
これを防ぐためには?ウソや誤解を招く人間の口ではなく、
検証可能な資料で証明すればいいんです。
そしてきちんとその正当性を権利者へ説明することに意義があります。
相手の経営の状態を、あるいは政治家の資金の状態を広く公開する。
これによって、その経営が公正で妥当であることを証明できます。
経営の状態(帳簿)が相手にわかっていれば、ウソはすぐにバレる。
また、無能な経営者は帳簿を見れば、その能力の無さがすぐにバレる。
例えば、フランスで設定された世界最初の商法では帳簿にウソを書いていたら死刑、
という厳しいものでもありました。イギリスの発想では買方注意(悪いものを買ったほうが悪い)
から売方注意(売るときに説明しなかったほうが悪い)に改められ、より行為者に
責任を求めるものでもありました。
こういった情報公開(ディスクロージャー)と説明責任(アカウンタビリティ)は
現代では組織を維持し、人間社会を維持するための大前提にもなっています。
一方日本ではどうでしょうか。バブルの負債をごまかし続けて、
とんでもない状態まで放置する。ウソの帳簿を書く。解りにくい表記にして
追求されないようにする。これが日常茶飯事です。
しかし、こういった行為は形式犯などという生易しいものではなく
社会に対する重大な背信行為なのです。まず、それを自覚するところから始めないと
やはり300年遅れのままではないかと、信用不安が起きてしまうのではないでしょうか。
お礼
遅くなりましたが、回答ありがとうございました。