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"誰でも一人一票”の根拠
お世話になります。 選挙権というのは一定年齢に達すると能力も責任感も全く問われずに誰でも手に入りますが、この制度の積極的な根拠は何かあるのでしょうか。 資産や家柄による選別が不適当なのは当然わかりますが、個々人の意欲や社会への参加意識が全く勘案されないのも少し理想論過ぎるのではないでしょうか。政治のセの字にも関心がない人でも二十歳になれば自動的に一票、というシステムが、ひょっとすると意識の高い人の意欲をそいでしまっているということはないでしょうか。 能力はさておいても、社会に関わりたいと思う人にだけ選挙権を与えることは駄目なのでしょうか。つまり出自ではなくて意欲の有無によって選挙権を自覚的に手に入れるような制度です。申請で手に入るようにするだけでもかなり効果があるように思えますが。 誰か私を納得させてください。
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#3の続きです。 > 反面ノブレス・オブリージュということで自覚とプライドとも背中合わせだったと思うのです。要するに、権利が限定されていることと権利者の意識の高さに相関があったのでは、と。 制限選挙下で有権者の意識が(少なくともある時期まで)高かったのは事実ですが、逆は必ずしも真ではありません。「意識を高めるために権利を限るべきだ」としたら、我々は権利の大半を諦めなくてはならないでしょう。 また「権利を限れば、意識の高い人だけが残る」というのも、おそらくうそです。たまたま手元に、2000年衆院選でのある県の年代別投票率があるのですが、60歳以上では7~8割の人が投票した反面、20代~40代までの人は4割台です。これが物語っているのは、「若年層の政治意識の低下」という可能性のほかに、意識は高いのだけれども「仕事や子育てで忙しい世代と、引退して時間のある人たち」「ある組織(後援会や地域の団体)に属していない人たちとどっぷりつかっている人たち」の間で差が出た、といったさまざまな可能性があります。 議会がなぜスタートしたかというと、要は「自分の払った税金の使い道に口出しする権利」を具体化するためでした。今でもその機能は変わりません。その権利にとって、国会に議院が2つあることや、「政治」を知っているということはあまり本質的に重要な問題ではありません。要求する人(選挙民)がいて、その要求に全部は応じることができない政府があり、その利害を調整する場として議会がある。それが、ありていに言った「政治」そのものであり、「ノブレス・オブリージュ」があった時代でさえもこの現実に違いはありませんでした。 では、税金の額で区別をしていた時代が正しいのかというと、 > いま現在はそれなりに所得も平準化していて昔ほどの差がないわけだし、 という現実がありますし(笑)、国民の側が分裂することは、国家に対抗する上で好ましくなかったことが分かってきたからです。フランスにおける3部会は、身分=納税額に応じて議院が分かれる仕組みでしたが、これが各議院ごとの対立を生んで、王が付け入る隙を与えてしまい、結局具体的な決定や行動を何一つ行うことはできませんでした(だから革命が起きた)。 同じ理屈で、例えば納税額によってfaultlineさんは3票、lequeosは1票、○×は0票、となったら、3票を持つ人たちが合理的に行動すれば、既得権を守ろうとするのに対し、0票の人は、諦めて奴隷となるか、話し合いで解決できなければ革命を起こすか、のどちらかしかありません。それは、資格試験など、どのようなやり方をしても、必ず出てくる問題です。そこで、身分、出身、財産、人種などには目をつぶって、国民は国民としてひとつになって、強大な政府に対抗しましょう、という発想になりました。これがすなわち、平等権の根拠です。 その意味で、真の「ノブレス・オブリージュ」とは、政治意識が低い人と同じ一票に、あえて甘んじることをさすのではないか、と私は思っています。
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- cotiku
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>能力はさておいても、社会に関わりたいと思う人にだけ選挙権を・・ 行使しているから、現在の投票率なのでしょう。 全員強制投票にすれば何らかの問題が生じると思いますが、今の体制のままで害はないのではないでしょうか。 選別して投票権を与えるために公務を増やすとまた税金が上がります。選挙権を自覚的に手に入れる、高齢になったり専門の仕事に忙しくて興味がなくなったりするつど選挙権を返上したりすることには、無理があるので、自覚のある人が投票すればいいと思います。 ただ、徴兵や義務教育終了を資格とするということは可能かと思います。事務的にもさほど負担にならないかと。 高額納税者限定というのは、税金を納める励みになっていいと思います。戦前の貴族院ですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >今の体制のままで害はないのではないでしょうか 害の有無ということを必ずしも問題にしているわけではないんです。投票率もさしあたって関係ありません。 能力や知識、政治意識、意欲、納税額…クライテリアは何でも(複数でも)いいと思いますが、どうしてこういう指標と無関係に選挙権が平等に与えられるのか、その根拠を考えているわけです。 選挙民すべてが高い教養と意識と自覚を持てるような社会が理想なのは当然でしょうが、それははっきり言えば常に手の届かない幻想ではないかな、と。 >また税金が上がります もちろんわかります。けれどもコストは消極的理由ですよね。無条件に一人一票を与える積極的理由がわからないのでお尋ねしているつもりです。
- lequeos
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揚げ足を取るつもりは全くないので、あらかじめその点はご了解ください。 さて、 > 資産や家柄による選別が不適当なのは当然わかりますが、個々人の意欲や社会への参加意識が全く勘案されないのも少し理想論過ぎるのではないでしょうか。 資産や家柄と、意欲・参加意識は全く別のものではありません。つまり、資産がある人、出自の高い人は当然社会への参加意識が強く(むしろ主導するという意識でしょうが)、逆に日々の生活で汲々としている人は、社会への参加どころの騒ぎではありません。 従って、両者はある程度の相関関係があります。ゆえに、(意欲や意識をどう評価するという問題は別にして)意欲、意識を勘案するような制度は、かなりの確率で、家柄や資産による差別をすることになるでしょう。選挙権の平等は、意欲・意識を評価する難しさという技術的な問題と同時に、人間として生まれた以上、家柄、資産、人種、出身地などにかかわらず平等に扱われるという人権の基本的な性質に由来しています。 米国では、大統領選挙に限らず、自ら登録した有権者以外は選挙権を行使することはできないことにしている州が少なくありません。ですが登録していない人も選挙権そのものは持っています=登録さえすれば、直ちに選挙権を行使できる。しかし、これはもともとが黒人に投票をさせないために設けられていた登録制度であり、現在は登録すること自体に特別の費用などはかかりませんが、本来非民主的なものです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >意欲、意識を勘案するような制度は、かなりの確率で、家柄や資産による差別をすることになる 高額納税者に限られていたかつての選挙権は家柄や資産が条件でしたが、反面ノブレス・オブリージュということで自覚とプライドとも背中合わせだったと思うのです。要するに、権利が限定されていることと権利者の意識の高さに相関があったのでは、と。 いま現在はそれなりに所得も平準化していて昔ほどの差がないわけだし、家柄や資産の大小と政治意識はあまりリンクしないのではないでしょうか。経済力が低い人はそれなりに社会変革の意識が高い場合も多いでしょうし。 >人間として生まれた以上、家柄、資産、人種、出身地などにかかわらず平等に扱われる 私が疑問なのはここなんです。政治意識の深浅は別に人間性とは関係無いわけだし、自由権とは別に考えるべきなのでは、と。人間みな選挙権を持つべきなら子供にだって与えるべきでしょうし、二十歳以上という制約があるのはおかしいということになりませんか。そもそも現行の制度はある能力なり意欲を前提としているんじゃないでしょうか。それをもう少し徹底すれば、と思うだけなんです。
- hazenoki
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たしか、アメリカ大統領選挙は、選挙人登録しないと投票権が得られなかったと思います。 個人的な意見ですが、意識の低い人を選挙させないのでなく、選挙に行くように意識を高めるほうがいいと思います。登録制にすると、政治に関心のない人の関心度を一層低下させるような気がします。 また、政治的関心が高い人は、お金がからむ場合が多いので、選挙結果は特定の業界に利益誘導されそうですよね。「政治に関心を持つ人」=「政治を良くしたい人」という等式は必ずしも成り立ちません。
お礼
どうもありがとうございます。 >登録制にすると、政治に関心のない人の関心度を一層低下させる >政治的関心が高い人は、お金がからむ場合が多いので よくわかります。その危険性は高そうですね。 私の本心は、選挙権に意欲というより「能力」をもう少し勘案できないものか、というところにあるんです。政治関心より、政治的能力で判別してもいいんじゃないかと。コストの問題はとりあえず措きますが。
- XLsuke
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最近は特にそういうことを考えなければならない時代になってきたと思います。 “人類皆平等”みたいなものは日本が戦後アメリカのアイデアの元に焼け野原の何も無いところからがんばっていくために必要だったロマンチックな合言葉だったような気がします。アメリカは王朝とかありませんでしたからやはり国家を築く上で同じようなコピーが必要だったのでしょう。それが民主化という多数決国家を作り上げたわけです。ですが、民主化イコール自由経済みたいなものも何十年と続くとやはり差が生まれてきて、結局昔の士農工商のような考えが芽生えます。いわゆるカースト制度です。たぶん今の日本はこの辺にきているのではないでしょうか。代議士の息子は代議士になり、歌手の娘は歌手など。 ですが社会にかかわらなくてよい人なんていないと思います。といいますか逆に、人がかかわりたい社会の形成こそが望ましいと思います。現代の日本人が政治にそれほど関心を持たなくなっているのは報道や国会の古い体制にあるのだと私は考えています。やはり人がかかわりたくなる社会を形成しないと立派な国会や政治は誕生しません。だれも代議士になろうなって思いませんから。 大体、普段見かけない人を選挙で投票するのはおかしいです。やっぱり実際メディアなどで活発に訴えかけている人や感銘をうける人間に投票したいものです。この選挙の方法が派閥の体制を認めているようなものだと私は考えています。 実際選挙権をもっていても投票しない人が多いので、それはやはり自覚的に権利を手に入れているのと同様の効果があると思います。ですが、私なんか地域に投票したいような人間が現れませんからだいたい共産党の方に投票します。共産党の思想を完全に指示しているわけではありませんが、共産党には現代でも通用するような理念があり自民党政治に唯一論理的な刺激を与えられる要素を含んでいると考えているからです。 意識の高い人は発言の自由を理由に人を動かし訴えていけばよいわけです。意識の高さはなかなか測れないので票を増やすわけには行かないと思いますが人を何人か動かせばその分同意見賛同者が増えます。 結局のところ私は、国を分けるべきだと考えております。政治に興味の無い国民はまずいし、いつまでも多数決制ではマイノリティがむくわれません。
お礼
早々のご回答どうもありがとうございます。 >実際選挙権をもっていても投票しない人が多いので、それはやはり自覚的に権利を手に入れているのと同様の効果がある 少しこれには疑問を感じるんです。 ひとつは、選ばれているわけではないのでモラルや自覚の高さに結びつきにくいのでは、ということ。あくまで結果的にそうなっているだけであって、いい方を換えれば「やりたい人だけやっている」状態では、か細い自覚も消えて行きかねない、というのが現状ではないかと。 それに、自覚のある一票でも自覚のない一票が仮に行使されたらそれでチャラですね。税が争点の選挙で、税体系を知り尽くした人がそれなりに将来を考えたうえでの一票も、「顔がきらい」という人の反対票も同価値なのは、見過ごせる問題なのでしょうか。
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お礼
再度ありがとうございます。丁寧に対応して頂いて御礼申し上げます。 >0票の人は、諦めて奴隷となるか、話し合いで解決できなければ革命を起こすか そもそも民主主義自体が「小規模かつ均質な社会」を前提にしていますね(確かルソーもそんなことを書いていました)。現代の豊かさはその反対で成り立っているのだとしたら、民主主義が難しいのは当り前のことなのでしょうか。 政治によって生まれた豊かさが逆に政治に対する無関心を生んでいますね、「どうせどう転んでもそんなにひどくならないだろうから関係ない」というような。つまり豊かである限りにおいて政治的自覚も参加も面倒臭い、という意識を持つ人たちは、自分で奴隷状態を選んでいるわけですが、そのつけは一体どこに回されるのか、ちょっと不安を感じてしまいます。 >真の「ノブレス・オブリージュ」とは、政治意識が低い人と同じ一票に、あえて甘んじることをさすのではないか これはなかなか考えさせられるご意見ですね。権利を有する者が権利のない者の立場をあえて慮ることという風に思っていましたが。