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アデナウアの功績について

アデナウアの功績について 戦後ドイツの歴史はナチスが余りにも非人間的犯罪をした為、 近隣諸国、周辺諸国や世界から敵意に満ちた 極めて厳しい状態でしたが、アデナウアは 初代西ドイツ首相として、どのように 過去と向き合い、西ドイツの復興させ、 経済大国ドイツの政治をしていったのでしょうか?

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  • zep19
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回答No.2

はじめまして 戦後ドイツの置かれた政治経済的状況は日本よりかなり苛酷でした 日本本土爆撃の11倍の爆弾を受け 何世紀も前から居住していた東欧諸国、ソ連・ポーランドに分割編入された東部ドイツ、ソ連軍占領下の中部ドイツ(後の東独)から 殆ど資産を奪われ逃げてきた多数の難民を受け入れ それ以上に苛酷だったのは産業水準化政策を元にした連合国の占領基本指令1067号で 重工業生産を戦前の50%に、生活水準を大恐慌下で最低になった1932年までに意図的に落とす 34万の国内特許、20万の国際特許、商船隊、在外資産、鉱山の全没収 大企業コンツェルン接収 ルール工業地帯をルール国際機関管理下とし 連合国は食料以外の援助をしないなどで 機械生産できず農業生産が追いつかず飢餓状態に陥いっていました アデナウアーはこの苛酷な状況を立て直すため 連合国、特に仏に追随し ひたすら自国は目立たない外交に終始したのがアデナウアー外交の特徴です 特にザールラントを占領地域から分離し併合しようとしていたぐらいの仏に対してはかなり妥協しました 後のEUの元になる欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)設立には ルール国際機関の機能を西独に返さず、ECSCに移管しましたし また仏のドゴールの我が儘でEECが機能不全に陥り、他の加盟諸国が仏非難をする中 アデナウアーはドゴールと単独で仏独協力条約を締結したほどです 幸い経済相に有能なエアフルトが就任し 伝統ある労使共同経営や政府から独立した強権ある連邦中央銀行設立を基礎に社会的市場経済体制を確立し、経済は発展しました 西独が主権国家として自己主張できるようになるのは国連加盟も果たした70年代以降です 長文失礼致しました

ishikawa-t
質問者

お礼

アデナウアは仏と組んだわけですね。 よく分かりました。ご回答、どうも、有難う。

その他の回答 (1)

  • Yelm
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回答No.1

ドイツはご存じのように大戦後、東西冷戦により国土を分断され、冷戦の最前線となったわけですが、アデナウアーはその状況をうまく逆手に取り「冷戦の最前線であるドイツの復興」に役立たせたのです。 そのためアデナウアーは西ドイツを明確に「西側の一員」と位置づけ、1956年には共産党を非合法化するなどナチスドイツ崩壊後に西欧諸国やアメリカの最大の脅威となった「東側」への対立姿勢を示すことにより「信頼出来る同盟国としての西ドイツ」を西側諸国にアピールしたのです。 また過去の問題については「一部のナチスが悪かったのであり、大多数のドイツ人は無実」という立場から政権獲得後僅か1年あまりで、進駐軍により公職追放されていた元ナチ関係者の公務員12万人の99%以上を復帰させ、また「戦犯」とされた人間の恩赦にも力を入れています。 ちなみにリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領の父親エルンスト・フォン・ヴァイツゼッカー(元外務次官)も戦犯として有罪となりつつ、このとき恩赦された人間の一人です。 この結果、当然ながら東側諸国からは非難され、ハンス・グロプケ(首相府長官)、ハンス・ゼーボーム(鉄道相)、テーオドーア・オーバーレンダー(難民相)など元ナチ関係者の政府首脳の存在や上述の共産党非合法化などを根拠にして「西ドイツではナチが復活しつつある」と言った非難キャンペーンが当時はよく行われていました。 更に「西側の一員」として軍の再建にも力を入れ、1952年には過去のドイツ軍人を英雄と称える演説を議会で行うなど、ドイツ軍の名誉回復にも力を入れました。 総じて言えばアデナウアーは「ナチス時代は異常な時代であった」「悪いのはごく一部のナチスだけ」という建前から「今の(西)ドイツこそが正当なドイツ」とした上で「西側の一員」という立場を明確にすることによりアメリカやイギリス、フランスなど西側諸国との関係を修復し西ドイツを再建したのです。 なお西ドイツが東側諸国とも関係を修復するのには、ヴィリー・ブラントの東方外交まで待たねばなりませんでした。

ishikawa-t
質問者

お礼

ドイツの苦しい立場がよく分かりました。 ご回答、どうも有難う。