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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:今後の親友との関係について)

今後の親友との関係について

このQ&Aのポイント
  • 今後の親友との関係について考える際には、うつ病や不眠症、自傷癖などの症状についても考慮する必要があります。
  • 自分の状態や感情が追い込まれているなかで、彼女との関係に対する恐怖心や不安が強まっているようです。
  • 彼女との距離を取る方法を考える際には、彼女が傷つかないように配慮し、適切なコミュニケーションが重要です。

質問者が選んだベストアンサー

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  • Oruko000
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回答No.3

お返事遅くなり、すみませんでした。 また書き込みの時間に対するツッコミ頂きました。 私はロングスリープ派で、9時頃から寝てしまうと一度3時、4時に目が覚めてしまうので、その後の回答でした。 心配して下さりありがとうございます。 質問者さんのその後はいかがですか。 自分のための時間を過ごせていますでしょうか。 友人を「感化させている」と前回お話していましたが、依存は感化ではなく、もともと友人が持ち合わせていたものです。 そして依存のある人間はちゃんと選んで依存しています。 質問者さんの現状を把握することなく、自分の記憶に基づき、安心できる依存の形を維持したいだけなのだと思います。 ですから、それに質問者さんが触れることは「ノイローゼになりそうだ」と思うのが正しい感覚だと感じます。 本来なら「何故ここまでするんだろう」と友人本人が疑問に思ってよいところです。 この「何故ここまでするんだろう」は、私がかつて友人との関係に疑問を持ち、カウンセラーの方が私に投げ掛けた「何故、貴方はそこまでするんですか」という言葉の使い回しです。 私にも身に覚えがあることなので、理解には程遠いのですがとてもよく見えます。 それからまた私自身のお話しで申し訳ないのですが、私は自殺経験者です。 可笑しな言い回しですが、今も生きているのでそう表現しています。 私の若い頃はまだ心療内科など一般的ではなかったので、医者にかかった経験はありませんが、今思えば「うつ病」だったのかもしれません。 自覚しはじめたのは中学生の時で、自殺に至ったのは23歳の時、自傷行為は小学3年の時からでした。 死にたいは「生きたい」と渇望するのと同じことと気が付いた時は30歳手前になってました。 なんだか纏まらない文章ですが、長くなりましたのでここで区切らせて頂きます。 最近は寒暖の差が激しいですが、風邪などひかれませんように。

55cat55sara
質問者

お礼

こんにちは、いつも私の心へ寄り添う温かな言葉とひとかたならぬお気遣いへ痛み入るばかりで懇切丁寧に一つ一つの質問や疑問へ回答を下さいまして本当にありがとうございます、私はかたじけ涙が零れそうです。 余りにもOruko000さまがお優しいので、やつがれは恋をしてしまいそうです(笑) じょ、冗談でございますとも・・・! 頃日は強迫性障害からくる強迫観念がことに強く、やや情緒が不安定ではありますが、押しなべて小康状態を維持しております。 くだんの友人の事になりますが、彼女をそうさせてしまうのは私に問題があるのだと自責の念を少なからず抱懐していたので、彼女自身が私を「依存する相手」として選定しているのであり、彼女を感化させてしまう私が悪いのだと苦悩する必要はないというそのお言葉だけで十年来悩み続けていた己心がようやっと救われた気が致しました。 相談を投稿してから半月が経過しましたが、Oruko000さまから拝戴した回答を幾度となく味読しては自分が非難されるべき理由はさほど無いのだと、励まし勇気付けられ、心許ない日々へ射す導きの綺羅星のごとく自分自身を守る護符のように拝誦しています。 「自殺経験者」とは言い得て妙ではありますが、おそらく自分も経験者と言えるのかも知れません。もっとも私の場合はひっ迫するほどの理由がある訳ではなく、幼少の頃から人の世へ在ることへ違和感を覚えており、にわかに「死」への想念が噴出すると自刃を衝動的にしてしまうという次第となりますが・・・。 13歳時の昔語りとなりますが、知識が浅薄だったが為に死に切れずに未遂となり医者へ一週間ほど世話となる羽目になりましたが、その頃から毎夜に夢魔が訪れるようになり、うなされて寝醒めることが怖くなり私は眠ることが出来なくなりました。学校生活はとても楽しく悩みがあった訳ではありませんが、ただ、その頃から自分は釈然とせぬ違和感を自分とその世界へ所感するようになりました。 自傷行為も9歳からありましたので、色合いこそ違えどその点ではOruko000さまと私は似ているのかも知れませんね。 自殺企図と自傷行為の線引きは私の中では明白にされており、自傷行為をするのは痛覚を得るためで、その痛みは自分を認識させるためであり、したたる血液は「生」」の知覚をして安心する為なのだと。 死への切望と等しく、そこへは生への執着がある。それらの相対する生と死をOruko000さまは誰にも触れられぬ孤独の中で底の無い闇を覗き、絶望と失望の剣路を辿りながら艱難辛苦を経験してこその絶対的な答えに他ならず、その答えには重く深い意味があるのだと思います。 僭越ではございますが、人を愛する才能を持つOruko000さまを苦労は多いのだろうと容易に拝察できますが、私とは決定的に違うそんなOruko000さまの人となりを好ましくもあり、とても羨ましく思います。 生きることへ何故わたしは違和感を覚えているのか。およそ自分が誰なのかが理解ができずに、まるで彩度の無い世界へ隔絶されて在るように感じるこの感覚は何であるものか。 生きる理由もなくば死する理由もなく、死に往く人へ羨望して嫉妬しながらも、世界へそして自身へも絶望し、常時謂われなき虚無へ苛まされていること。 うつ病へ罹患してからは以前とは全く別の死への念慮の明明白白な原因と理由を自覚できるようになりましたが、それまでの自殺願望には取り立てるほどの理由などありませんでした。 ただ、二十余年を生きると少なからず周囲にも自刃をする友人もおり、その中で私が理解したことは他者との繋がりを持つことで生まれた執着とどのつまり「情」が存在する限りは、自殺の理由には他人を納得させうる理由などはありはしないのだろうという事です。 本当はまだまだ不尽なのですが、下手の長談義となりいい加減にOruko000さまの迷惑になるだろう事が懸念されますので、このお礼を持ちまして相談箱を閉じさせて頂くことにしますが、Oruko000さまとの巡り合わせへ心からの謝意を述べさせて頂きます。 私の質問へ目を留めて対話を重ねて下さいまして、ほんとうにありがとうございました。不悉ではありますが爾後もこなたさまの心が穏やかでありますように、こなたさまの明日が無事に終わりますように、 そして、Oruko000さまとOruko000さまを巡る人たちが不断の笑みを湛えられますように、それだけはいついつまでも願っています。 少しだけ時期尚早とは思いますが、Oruko000さまの迎えるこれからの季節が、より一層と耀く素敵な夏となりますことを祈りまして、 本当にありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • Oruko000
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回答No.2

とても丁寧なお礼、拝見いたしました。 ありがとうございます。 また詳しい経緯や、気持ちなど話して頂けることも感謝いたします。 質問者さんがこれらの話しをされることは、辛い記憶や気持ちと向き合う、とてもストレスのかかることと思っております。 早速ですが、お礼文中にあった私が友人に対して気をつけていたこと、戸惑い等ですが、これは特にありませんでした。 その時思ったのは、友人が「私を選んで」話してくれていることと、心配する以外で私に「何が出来るのか」でした。 話しをする友人から流れてくる感情は、この病のことを話すことは拒絶されるかもしれない恐怖を伴うことと、誰にも理解されない、それでも「誰か!」と渇望する、今までどんなに孤独だったかというものでした。 私にはこの友人を入れて、4人のうつ病の友人がいます。 私の心の何かを察知してか、同じような心を持つ方が引き寄せられる、自然と集まる傾向があると感じます。 そして友人と私が大切にしていることは「距離」です。 今まで見てきた中で感じるのですが、この距離がないとどちらかがどちらかに「引きずられる」のです。 全てではありませんが、波長が合い集まる人の中に「引きずる」タイプの方がいます。 友好的な方、そうでない方様々ですが、そういった引きずるタイプの方に多いのが「予備軍(心の病の)」です。 お礼文を拝見して思ったのですが、質問者さんの友人は、過去私が出会った予備軍の要素を持つ方ではないかとお見受けします。 お医者さまでも、波長の合う患者さんは距離を気をつけるそうです。 質問者さんの場合は、友人に「引きずられている」と感じますが、いかがでしょうか。 友人に悪意が感じられないのは、本人に「引きずっている」自覚がないからだと思われます。 今、質問者さんが無理をすることは、完治が遅くなる、いつまで経っても会えないということを、友人にご理解頂きたいです。 友人のー 「何時なら会えるの? いつ会えるようになるのか今決めてくれるまで電話を切らない!」 この言葉、質問者さんは優柔不断で決められないと仰っていましたが、私はそうではなく、違和感を覚えました。 今は友人と距離を措かれてるとのことなので安心していますが、少しでも気持ちよく過ごすことを最優先してくださいね。 また質問者さんと友人の関係について、私の主観で話してしまいましたが、友人を全否定するものではありません。 心の回復ののち、また会えばいいと言うお話です。 まだ自殺、自傷行為についてもお話を聞いて頂きたいのですが、長くなりましたので今回はこれで失礼いたします。 質問者さんの回復を祈っております。 そして、どうかご自愛下さい。

55cat55sara
質問者

お礼

前略、御免下さい。 重ね重ね丁重な回信を下さいましてありがとうございます。 ご意見を仰いでいるのはこちらなのですから、感謝それらへ準ずる謝意は私がすべき事ですし、気遣いの言葉などもどうか気になさらずにいて下さいませね。 此度は初めてオンラインにて相談をさせて頂きましたが、自分を既知の友人よりも気を張らずに相談ができるので、己心と向き合う事で生ずる葛藤や自己矛盾によるストレスなどは一切掛かっておりませんよ。 先に申し上げます・・先のお礼に疑問符を付けてしまい、知らずに回答を希求する内容を記載していた事は申し訳なかったなと。ごめんなさい。けれども、嬉しうございました! 昨今では生涯のうちで「うつ病」へ罹患する人は10人に1人は居るのだとか・・だとしても、Oruko000さまの周囲には大分多いと感じます。私の友人には摂食障害からうつ病を併発した子は居りますが、うつ病の型が私とは違うのでさほど同病相憐れむ、では無いものの適度な距離を保つことができています。友人はいわゆる新型うつ病と呼称されてある型で、日ごと時間帯などで感情の隆起および沈降があるようで、私は数カ月から年単位でのうつ状態と3カ月~半年程度の躁状態を繰りますが他の病状が顕在しているので主治医は判断をし兼ねているようです。現在はここ三年間の内ではとても安定しており、こうして思考することもできますから、どうかご思案なさいませぬように。 休題しまして、「波長」や「引きずる」とのお話へ妙に合点をしたと言いますか、得心してしまいました。確かに私は彼女の一挙手一投足へ振り回されてはいると思うものの、しかし引きずるのはむしろ私の方ではないのか、と感じております。彼女だけではなくそれは異性関係にも当該する心当たりがあるもので。彼女の場合は何につけ私と共に在らねばならぬ感覚で、私は内科疾患の持病があるので旅行を内科の主治医へ制限されており、学生時代は修学旅行などへ参加した経験がありませんが、彼女は私が不参加だから自分も行かない、と学校行事をすべて欠席していました。恋人にしても彼女と似た行動を取り、他者との一切の会話を禁じられ、支配的とも言えるやや独占欲の強い人が親友や恋人として在るのは事実です。彼女と私の恋人は反目するように互いを牽制しているような発言もしばし見られ、相互から絶縁を強要される状態でどう対応すれば良いのかを気を揉むこともありますが、やはり彼らに振り回されていると所感はしても、私のせいで彼女たちを感化させてしまっているのではないかと思います。それはOruko000さまの仰る通りに「波長」による専心する関係なのだと。正直に申し上げると、私は彼女たちとの関係へ疲弊しておりますが、それは私の心の許容範囲を超えて相手が踏み込み過ぎているのだとも言えるのかも知れませんね。私は彼女とは距離を置いて関係を続けている心づもりでしたが、私自身もうまく距離を保つことが出来ていないのでしょう。彼女と電話やメールをした際には必ず「あなたからも電話をしてね。絶対にメールをちょうだい!」と催促を受けますが、彼女は寂しがり屋であるがゆえに私の状況を把握していないと安心できないのかと今まで認識をしていたのですが、拝受した回信で私が長年求めていた純枠なる答えが見えた気がします。こんなに私が心安らかに誰かとお話しができたのは数年振りのことで、素直にこなさまの芳心へ嬉しく思いました。ありきたりで月並みの言葉しか私は知らないのですが、ほんとうに、本当にありがとうございました。 体調もここしばらく良好なので当分こちらの質問は締めずに置いておきますので、気が向いた時で構いませんからどうぞOruko000さまの生と死の対話、自殺と自傷行為へ関する思惟を教えて頂ければいいな、と思います。そして限りある時間を割いて連日の相談へ乗って下さいまして、その優しさと寛容さへは痛み入るばかりです。もののついでに稟申しますがこなさまの投稿の刻限が少し気掛かりではあります(笑) はてさてそては短眠か、はたまた職業が夜間であるものか。子育て中、或いは不眠ではと考えてしまいましたが無用な思考でしたら申し訳ないです。万が一にでも私へ回答をするが為に睡眠時間を削らせてしまいましたら重ねてお礼申し上げます。私はOruko000さまの一面しか存じ上げませんが、すべからく多数の人は無関係の相手に時間や労力を使うことは無いと思いますが、生き(行き)詰る人を捨て置くことの出来ない人となりであると、こなさまをお見受け致します。それでは御心が消耗しないかとも懸念されます。人なくしては人の存在意義や存在価値を問い、知ることは適わないのかも知れませんが、うまく折り合いを付けてOruko000さまはOruko000さまを一番に慈愛して頂ければと思います。

  • Oruko000
  • ベストアンサー率31% (335/1079)
回答No.1

しばらく連絡やメールをお休みすることは出来ますか。 人を傷付けてしまったり、弾みで言い過ぎてしまったりは誰にでもあることだとは思いますが、私が文章から感じたことは質問者さんは言い過ぎていないということと、質問者さんの言葉を友人が受け止めていないことです。 友人は自分に対する言葉には繊細に傷付きますが、質問者さんに対する言葉にはデリカシーが感じられません。 自分に対する痛みに敏感すぎる方は、周りに対して鈍感な方が多いと思っています。 質問者さんの最優先は、まず心と体の安定を取り戻すことですよね。 お医者さまに依っては、治療の妨げになる場合人との接触を少なくして下さいと言われるそうですが、相談はしてみられましたか。 私はこの質問文のままを友人に見て貰っても良いくらいだと思っていますが、質問者さんは出来ない方ですよね。 文面から友人を思っているのが伝わってきます。 ただ「うつ病」という認識が友人の中では、まだ気分でどうにかなるものだ、と捉えているように感じます。 ここは質問者さんご自身のためにも「治療に専念します。元気になったらこちらから連絡します」とメールを送って、距離を作るのが良いと思いますがいかがでしょうか。 また質問者さんが迷っておられる友人の言葉ですが ―「誰よりも心配してあげているよ」 私が友人に言葉をかけるなら「いつも心配しています」と言います。 「あげる」とは言わないです。 質問者さんの友人に対して悪く言うつもりはなかったのですが、言葉がキツいところはご容赦下さいね。 私の友人もうつ病から拒食症になり30キロ台の体重の時がありました。 私は友人を見て泣けました。そして心から失いたくないと思いました。 少し質問者さんとダブってしまい感情的になってしまいました。

55cat55sara
質問者

お礼

Oruko000さまへ 早速のこと懇切丁寧な回答を下さって、本当にありがとうございました。 仰って下さったように現在は彼女と連絡を取らないようにしていますが、イベント好きの彼女は誕生日を含め、バレンタインには友チョコなどのプレゼントの交換をしなくてはならず、調子の良い時こそ内職で日銭を稼いではいるものの、二十歳以降から現在まで無収入のために貯金も底を尽き、常時すかんぴん状態なので私の病状が回復して就職するまでは経済的に厳しいからプレゼントの交換はできない旨を伝え、毎年それらの交換を固辞してはいるのですが、「貰えると嬉しいから」と言う彼女には一時、関係を休止とするのは少し難しいかも知れません・・というのも精神的に辛いのでしばらく会えないと伝えた時も「何時なら会えるの? いつ会えるようになるのか今決めてくれるまで電話を切らない!」と、なあなあにできず・・何年も先の視えぬ不安ばかりの日々を送る自分には、この疾病がいつ治癒するのかが分からず、彼女の問いへ閉口してしまい明確な日時を確約できない優柔不断な私の性格にも問題があると思いますが、彼女とは小学生から高校が同窓で、クラスも中学三年生から高校三年生までの四年間同じ上に、元から人付き合いの苦手な私には友人も少なく、かつそれらの友人知人が彼女と私の共通の顔見知りとなるので、前に他の友人達に話したところ「どちらが悪い訳でも無いけれども、どちらにも責任がある」「心配してくれているんだよ、感謝しなきゃね」と困惑しているであろう返答ばかりゆえ、私の言い分では偏ってしまう事を承知で私たち共通の友人以外の客観的なご意見を聞かせて頂きたく、相談した次第であります。彼女に悪意は無いのですが、今の私には何かを期待されること自体が辛くて・・・。 Oruko000さまは、ご友人が「うつ病」へ罹患した事を告白された時に、その方の接し方への当惑や戸惑いはございましたか? 今でこそ「うつ病」たる名称は世間一般で市民権を得、うつ病の人には「頑張れ」などの叱咤激励をしてはならぬと言われており対象者への言葉の選定は慎重にしなくてはならず、その周囲の人へとても心理的負担が掛かるものだと私は思います。己の抱える問題を他者へ告白すると言うことは、その相手にも等しく負担を掛けるものだと。それが容易には目には見えぬ心の内の問題ならば尚のこと。 僭越な物言いになってしまいますが、Oruko000さまのご友人のかたを羨ましく思ってしまいました。「心から失いたくない」と想うほど大切な存在、そう強く願ってくれる誰かが傍へ在るだけで生きる曙光と足り得る気がします。実は体重が27kgまでに落ちた当時の私は自分が「死」へ確実に向かっているのだと意識していました。身体を起こす事もできなくなった私の姿へ母は涕涙しましたが、誰の言葉にも私が生きる値打ちを見出す術が見付からずに、私の死への憧憬はますます募るばかりでしたが、その折に大学生の弟が亡くなり、特に溺愛していた長男の自刃へ私の両親は酷く惑乱し、涙を見せたことのない父ですら慟哭していました。弟の死が「私は生きなくてはならない」と思う契機となり、弟の葬儀の参列こそできませんでしたが、両親をこれ以上悲しませられないと考え直し、体重を増やし、自傷行為である市販薬などの大量服薬を我慢して今に至ります。しかし私にはまだ死への執着があり、なぜ自己を殺める事がだめなのか分からないままです。弟が身罷って一年余りになりますが、葬儀の翌日から私は世捨て人さながらに風呂にも4カ月近く入らずに、毎日天井を見つめていました。一周忌を迎えるまでは毎夜のように弟が夢路を辿り、まるで友人のように愉しく遊ぶ私たちは生前、毎日のように取っ組み合いのケンカをしていた事が嘘のようで、いまだに弟が欠けてしまった事への実感が湧かず、失ってから気付く存在の大切さや悔恨の念。それらの体験をしてもなお私には自得できる答えは出せていません。 なのでOruko000さまの手離すことでその存在の大切さを知るのではなく、人は援け補い合うものなのだと想像で理解できる聡さへ敬服するばかりです。自尊心の高さではなく、物事を相手の視線で見られる心の貴さが私にも欲しいです。見ず知らずの私の心へ寄り添った優しいお返事をありがとうございました。くだんのご友人はその後はいかがでしょうか。願わくばOruko000さまとそのご友人の心が穏やかで健やかな日々が続きますよう。礼にはならぬとんちんかんなお返しになってしまいますが、貴重な答えを享受させて頂きました。本当にありがとうございました。

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