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生きる意味はあるのですか?ないのですか?
生きる意味はあるのですか?ないのですか? 生きる義務は、あるのですか? 死ぬ権利はないのですか? この事を、明確に説明している本は、あるのですか?
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●生きる意味はあるのか? 生物的には生きてる意味(目的)はあります。 それは子孫を残して種を繁栄させる事です。 更に言うとよりその時代、次の時代で生存競争に勝てるより強く優秀な遺伝子 を残せる相手との子孫を残す事です。 人間は本能的にそうやってインプットされています。 世の中を勝ち抜くハングリーさを持ち資本主義社会で年収をたくさん稼げる男や 一般的に綺麗な女に惹かれる人が多いのもそれが関係してます。 そうやってもう何百万年も前から生存競争と種の淘汰が繰り返されその時代ごと 子孫を残していけた生物が残り今に至っています。 ただこれはあくまで生理的、生物的な側面であって。 倫理的には生きてる意味と言うものは自分が決めるものだと思います。 ある人によっては生きてる意味が仕事かもしれないし。 ある人によっては生きてる意味が家族や恋人かもしれません。 自分が生きてる意味がない、もしくは見つからないのであれば その時点では生きてる意味はないと思います。 ● 生きる義務はあるのか? 生きる義務は生物的に考えると何億年前も前から遺伝子を絶やさず繋いできた先祖の意思をついで次に つなげる事が義務かもしれません。 あと倫理的にもし子供とかいるのであれば、責任を持って18歳位まで育てるのは義務かもしれません。 あくまで人間社会での常識や個人的尺度です。 ● 死ぬ権利はあるのか? 死ぬ権利は自分達は望んでこの世界に生まれて来た訳ではなく勝手にうまれて来たから自分はないと思うと書こうと思ったのですが色んな側面や色んな考え方があると思うのでこれは実際のとこはわかりません。 この事を明確に説明してる本は知らないです。
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- maccha_neko
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うーん・・・別にそれほど大きな意味といえるほどのものは無いでしょうね. 地球にとって,そして宇宙からみて人間をはじめとする生命が存在している「意味」なんてものは無いでしょう?別に意味も無ければ義務でも権利でもなく,ただ「そこにいる」という以上のことはないでしょう.ただ,「そこに生命と称されるものがある」というだけですね. 人間以外の生物が「生きる意味」なんて考えませんよね?たまたま昔々からのいろいろな過程,紆余曲折を経て今そこに存在しているというだけのことです.ただ,人間のように頭でっかち(死語?)になると単にそれだけでは生きていき難いようで,そこに「生きる意味」なるものをなんとか与えようとしてきたのでしょう. 世界中どこでも宗教が生まれてくるというのもやはり何がしかの「意味」を求めているということでもあるのでは? まぁこうして掲示板などに書き込んであーだ,こーだと言えるのはとりあえず生きている間だけですし,とりあえず生きてみてりゃいいんじゃないかな?別に死ぬのはいつでもできますし,どうせ放っておいても人間誰しも確実に死ぬわけですから,別に急ぐこともないでしょう?
- hyuuma8579
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「その答えが存在しているがゆえに、あなたは問うている。」 生きる義務という言い方よりは、生きる責任と言った方がいいのでは・・・ 死ぬ権利はないが、生きるか死ぬかを選択する自由意志はある。 その答えが、簡単に見つからないのは、苦しみもがいたり、迷ったり、傷ついたり、死を考えたりのような修羅場を通過しないと見つからないようになっているからです。 そういう場所に隠さなければならないほど、それだけ、生きる意味が素晴らしい宝物のようなものだということです。 ですから、もし、生きる意味が、簡単にわかるなら、それはニセ物を意味します。 血反吐を何回も吐き、自らの死をも望むような、いわば地獄の底を貫いた時、かすかな光が差し込んでくるのです。 あなたもきっと誰よりもそこに近いと思います。 真実、素晴らしい意味があるからこそ、そこまでして探すだけの価値があるのです。 生きる責任とは、人を悲しませないことです。(積極的表現では、人を喜ばせることです。) 生きる責任とは、自分が幸せになった姿を親兄弟や周りの人に見せてあげることです。 自分が幸せになるには、先に人を幸せにする自分にならなければなりません。 自分を大切にすることができれば、人も大切にすることができるのです。 あなたの死を誰も喜ぶ人はいません。人を悲しませてはならないのです。 人の喜ぶ姿を見たいなら、あなたは、死んではならないのです。まして精神的に苦しんだあげく、死ぬようなことがあっては、絶対ならないのです。 もし、死が許されるケースがあるなら、そのことで、人が悲しまず心から喜ぶことができる場合のみです。しかし、そんなケースは、現実にはないといっていいでしょう。 あなたが、心の命ずるままに、本当に生きる意味を知りたいと思うなら、本だろうが人だろうが、直接だろうが間接だろうが、その答えは、あなたの前に必ず姿を見せることでしょう。
- am-0107
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私見です。 生きる意味=本人次第 生きる義務=義務はありません。権利はあります。 死ぬ権利=法律上はありません。生物としてはあるかもしれません。
- nobcha23
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生きる意味は大有りです。・・黙っていて何もしないと早かれ遅かれ絶対に死にます。それをなるべく避けて何とか生きるということでも意味あります。 生きる義務はあります。一応人間社会に迎えられたのです。あなたを迎えた社会はそれなりの犠牲を払っております。その分はこうけんしてもらわんと困ります。社会+家族に対してです。 死ぬ権利はあるようでない。生きて社会に貢献するために生まれてきているので、それを放棄するという言うことですが、それは社会へのはむかうということですね。 たとえば聖書などにはキリストを信じて、それを通じて生きる道についての様々な考え方事例が示されています。すべてが可能ではないですが。 たとえばお経などには社会のしがらみから脱して仏のもとで解脱するために唱える言葉が示されています。唱えているだけで仏になれるわけでもないですが。 人それぞれ事情もあるので貴方の条件にピンポンと正解灯が付くものはないでしょう。
- kimari14
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義務? これは少しある 君のことを何より大切におもうひとがいるなら ある 感じるかどうかではなく 義務? として ぽっんとある。 死ぬ権利? 権利としては ない 生きる意味? 君が火葬場の釜のなかに横たわって 釜人に火をつけられる時に 探す行為として ある 明確な本? ない 本を探すより 下向いて オロオロ 良い運といものが 転がってないか キョロキョロ したほうが よっぽど ええんじゃないの
貴方が。 知らない人に拉致されて。 ボッコボコにされて。 血まみれになって。 今までいきたい人生が走馬灯の様に頭によぎった時。もう死んでしまうかもって時。 『生きていたいなぁ』って必ず思うと思う。 だから。 『生きている』って、本能だと思う。
- bigseamoon
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No5のpsytexさんの回答に共感してしまいました。この回答に現在の社会問題の原因が明確に書かれています。薬物汚染が進行する理由や自己チューが多い理由も分かり易いです。進化には大量絶滅が伴います。恐竜は大量死滅することで鳥へと進化しました。「無目的=エントロピー増大」は淘汰!う~ん、納得!
あなたが社会との関わりが一切無ければ生きる義務は無いです。 しかし人間どうしても関わりを捨て去ることは無理で、家族の絆、友だちの絆、仕事であてにされるなど、また第三者的にはあなたがこれまで成長するために医療費、学費など様々な税金が投入されてきましたから、死ぬ前にたっぷり税金納めて、シートバランスとってからにしてよと言いたい。 死ぬ権利はありますけど、列車に飛び込めば利用者は大迷惑、部屋でガス自殺なら巻き込まれる人もいるし、賃貸なら大家は次の方に貸せないので生活がかかってくる、海や山で死のうとしても万が一誰かが見つければ地元の消防団や警察がかり出され税金の無駄、要するに誰にも迷惑掛けず死ぬためには病院のベッドの上で大往生するしかないですから、せいぜい延命治療はやめて欲しいと意思表示するくらいですね。 今の日本では死ぬためには相当のお金が必要で、はっきり言えば「貧乏人(私もですけど)は寿命まで生きてくれ」そういうことで、お金をたっぷり持っている人は生き死に自由です、死ぬ権利を行使したければ、数億円稼いで、それを社会に還元して収支バランスを取って、アフリカか中東、中南米など誰も行けないような未開の奥地でこっそり死ぬしかないですね。 生きる意味ですか? そんなものは無いです、明日があるからとりあえず今日を生きてみる、その積み重ねで、私は10年先20年先など考えたことも無いです、今日が必死ですから意味など考える暇ないです。
- 雪中庵(@psytex)
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物質に「目的」はありません。 しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に 進化を導きます。 「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、 生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質と なる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。 一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、 「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及 という方向性から逃れることはできません。 生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大 ×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力 ×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。 「精神的充足のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、 最大限の大きな目的、最大限の愛と認識深まりを兼備したものになるのです (短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。 ならば、人が生きるのは物質的豊かさのためではなく、精神的充足感のため であり、働くのはお金をもらうためではなく、助け合い=愛のためです。 生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命=助け合う ために集まっているものとしては、働くことが生きること。 今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人がどれほどいるでしょう? 人がとらわれているのは“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構であって。 原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の 社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、 他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。 お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な 意識のまま社会行動をとらせるための矯正具として発達したものなので (社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために 嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。 本来それは、分業=助け合いに於ける“感謝のしるし”であるにもかかわらず、 いつの間にかそれを奪い合い、お金をもらうために仕方なく働くようになって しまっているのです。 (その錯覚の端的な例が、取引きに於いて、役に立つものをもらう=助けられて いる方ではなく、手あかで汚れた紙切れ(お札)をもらう方が、お礼を言う奇妙) その結果としての“自己チュー”な意識において、死は絶対的な敗北となり、 人生は必ず敗北に尽きるものになってしまう。
事実として生物は子孫を残してきましたので、今の貴方が存在します。 もちろん一対のつがいだけでは種として生きるのは難しいので、 多くの同種の生物が協力しあって連綿と命を紡いできました。 例えばあなたの3世代前、10世代前、あるいは100世代前の先祖の一人でも 子供を作る前に亡くなっていたら今の貴方はいないわけです。 100世代分の愛とロマンスの結晶として貴方がここに居る訳です。 貴方個人がどう思おうが勝手ですが、客観的にはそういうことです。 そこに意味があるのかどうかは分かりません。 貴方のお母さんは貴方を育てるのに意味などなく育てたのでしょうか?
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