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「潜在意識について」……「潜在意識とは、精神分析などで活動はしているが

「潜在意識について」……「潜在意識とは、精神分析などで活動はしているが自覚されない意識(辞典より」とありましたが、この解説からは重要性を感じないのに、一般人になぜ重要視されているのでしょうか? 私の疑問! 自覚されない意識とは、重要度が低いから意識されないのでは? 重要度が高いなら、無意識にあり、とうてい言語化できるものではないのでは?

みんなの回答

回答No.5

 nisekantさんは「重要性」という表現をどのような意味合いで使っているのでしょうか。  潜在意識は哲学する上で、重要な事ではない、といった思いなのでしょうか。  また一般人に潜在意識というものは重要視されているといっていますが、これは哲学する上で重要視されている、と言っているのでしょうか。  また、「私の疑問」以下の文章も意味不明です。  これまでの質疑応答を見ても、nisekantさんの質問の意図が分かりません。    この現実社会を生きていくうえで、意識できない潜在意識などあったとしても意味がない、役に立たない。無用なものだ、という思いなのでしょうか。   もう少し丁寧な説明(質問)をお願いします。

nisekant
質問者

お礼

疑問に対して「どういう疑問ですか?」と言う賢者を知りません。

回答No.4

自覚されている判断の根底には、過去の経験の蓄積における 潜在的な作用が働いているからです。 たとえば「色」という存在は、物理的には単なる連続的に変化 する可視光線の波長であって、「反対色」だの「暖色」といった ものは、実体を持ちません。 過去の経験の蓄積において、脳内で潜在的に行われる判断に 基づいています。 実は、こうした「潜在的判断」を除くと、“世界”は感受表面 での相互作用パターンに還元されるもので、潜在意識こそが 多彩な世界(時空的広がり)を生んでいるのです。 もちろん、「一般人になぜ重要視されないか」といえば、 彼らは経験的にそれらを潜入化しているからです。 (本質的・長期的に考える時に表出する問題)

nisekant
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 潜在意識こそが多彩な世界を生んでいる」を「無意識こそが多彩な世界を生んでいる」と自己解釈しましたが、「無意識に主軸を与えながら、何故、意識に主軸をあたえるのですか?」

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.3

「>重要度が低いから意識されない」場合もあるでしょうが、こと精神性に関しては、むしろ重要度が高いからこそ意識されない(しない)という場合が多いように思います。 社会生活の営みを制御しているのは自我ですが、自我によって重要度が低いと認定されたものは確かに意識されないでしょう。 ただ、人間の精神にとって、自我は言ってみれば嵐の海に浮かぶ一隻の手漕ぎボートのようなものであって、荒れ狂う波(エス=本能領域)や、それを制御しようとするオール(超自我)の動き(=要求)を調整しつつバランスを取る役割を果たしているにすぎません。 特にエスは海流そのものなので強いエネルギーを保持しており、いわゆる無意識は、この領域に格納されていることになります。(無意識の中に潜在意識も含まれますが、とりあえず無意識という表現を使います) 「自覚されない意識」とは、たとえば、ボートが嵐で波に揉まれていること自体を認めたくないために、嵐は起こっていないと認定するようなものです。 意識の上では嵐は起こっておらず、ボートも揺れていませんから、必死でオールを操作する必要からも解放されます。 いわゆる「抑圧」という防衛機制によって架空の静寂が訪れるわけですが、嵐自体が治まったわけではありません。 キャパシティを超えると精神性の崩壊につながりますから、そのための防衛機制です。 つまり、防衛機制を発動させなければならないほど「重要度が高い」と考えるのが自然なように思われます。 防衛機制を疾患症状と捉える向きもありますが、むしろ、その規制が無ければさらに重大な事態に至るという性質のものと考えるほうが適切でしょう。     

nisekant
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 申し訳ありませんが、「潜在意識」という表現においての「重要度」でありまして、「生存(飛ばし読み解釈」においての「重要度」でないことを補足させていただきます。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.2

この解説からは重要性を感じないのに、一般人になぜ重要視されているのでしょうか? ○広義の意味の潜在意識が理解できればわかる話かな。 意識と無意識、でわければ無意識のほうが多いのですね。例えば自動車にキーを入れ始動した状態であなたが運転するとしましょう。あなたはハンドルを握ってますがハンドルを放しても自動車は動いてますね。キーを切らない限り自動車は始動しているということですね。 さて、何をいいたいかがわかりましたでしょうか。つまり、あなたの意思に無関係にあなたの心臓もあなたの肉体も生きているということを言いたいのですね。昼になるとお腹がすく、走ればのどが渇く、これあなたの意思ですか? 誰しもお腹がすくのですね。水も必要ですね。こんなのは肉体が生きるために欲してるからですね。決してあなたの意思ではないでしょうね。つまりあなたの意思に無関係に働いているものがたくさん在るということですね。 あなた自身についても、おそらく好き嫌いがあるでしょう。好き嫌いなどロボットにはありませんし、後天的にいじめられない限り発生するわけがないのですが、自動車と同じようにみんなくせがあるのですね。ハンドルを放すとまっすぐ進む車、右に曲がる車、左に曲がる車、いろいろありますね。あなた自身もしっかり管理しないとどこへ進むかわからないのですね。それが潜在意識の作用ですね。 というように話すと、潜在意識は良くも悪くもみなにあることはわかりますね。でも現在のあなたの意識が全て管理すべきものなのですね。管理できない人が潜在意識に振り回されるので、精神科医が存在するのでしょうね。 つまり、さほど重要なものではないがちゃんと管理できないと振り回されるということなんです。 拒食症、過食症、アル中、好き嫌い、勉強嫌い、異性好き、などなど、こんなのみんなその類ですよ。

nisekant
質問者

お礼

ありがとうございます。 半分くらい読みました。 私は、行動において無意識に主軸を与えたのに、表現においては意識に主軸を与えてることが疑問なのです。

回答No.1

 こんにちは。  そのつもりもなかったこと 意識もしていなかったこと そのような考えがふと思い浮かんだり そのまま行動していたりすることがあるからだと考えます。   つまり 何もなかったところから現われたと見るよりは 潜在していたものが現われたと見るというものです。  ★ 自覚されない意識とは、重要度が低いから意識されないのでは?  ☆ 一般にそうだと思います。しかも 《潜在意識》から現われた意識で あぁこれは重要であったという場合があります。これは 数少ない場合なのですが ことの重要性にかんがみて この潜在という問題を取り上げるのかと思います。  《無意識にあれば とうてい言語化できない》というのは そのとおりでしょう。ふと思い浮かぶという《事件》を取り上げているようなのです。  感覚的に思うことは いわゆる責任のがれに用いられる場合があるのではないでしょうか?   《魔がさした》と言えば 自己を責めなくてもよいと感じられるでしょうし 被害を与えた相手に対して言い訳になるという感じがあるからということではないでしょうか?  《無意識》という言い方がいちばん たちがわるいと思います。《潜在意識》はまだ いくぶん大目に見ることができます。(間違いを犯したというときにも 罪が軽い感じを与えます)。というのも 《潜在していた》と言っているなら それは《わたし》の心つもりの中にあったと認めている部分があるからです。  よろしかったら 次の質疑応答を参照してみてください。  【Q:やっぱし無意識の概念は要らないのではないか?】   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5642976.html

nisekant
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「《無意識》という言い方がいちばん たちがわるいと思います。《潜在意識》はまだいくぶん大目に見ることができます。(間違いを犯したというときにも 罪が軽い感じを与えます)。というのも 《潜在していた》と言っているなら それは《わたし》の心つもりの中にあったと認めている部分があるからです。」 これは「人間は自由意志で行動している」という前提においてのみの有効な見解のようにみえますが。