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身内にエホバの証人がいます。私は宗教そのものが大嫌いで心底軽蔑してます
身内にエホバの証人がいます。私は宗教そのものが大嫌いで心底軽蔑してます。このGWに遊びにきて何回か食事しましたが、その都度食膳に「ブツブツブツブツブツ…アーメン」みたいなことをします。外食の際もおかまいなし。一度少なくとも俺がいる時ぐらいは祈る時間ずらすとかそういう配慮してくれん?と伝えたことはあるのですが、基本的にこういう宗教にぞっこんの連中というのは自分の宗教上の理由を最優先にする(宗教でいちばんムカつくところ)傾向があり言ってもムダでした。わけあって幼いころ私も集会に行っていたので若干かじってはいます。見ていればまだ言葉もまともに話せない一桁年齢の子供にも宗教を押し付けるなんてどういうつもりなんでしょう。正直そういった宗教にハマっている身内とは縁を切っちゃいたいです。実の両親・実の兄弟でももう会いたくありません。ハルマゲドンといのが来てその後に1000年王国というのが来るらしいのですが、そこで改心できないと楽園?(仏教だと天国?)で永遠に生きることはできないそうです。A(私)とはお別れだねぇ。とか平気で言うんですがどういうつもりなんでしょう。間違ってもお前らと永遠に生きるなんてことはこっちからお断りです。頼んでないし。とにかくストレスがたまって爆発しそうです。で、その身内の信者もちょっとずつ増えていってます。みなさんはこんな私をどう思われますか?というのが質問です。「なんだそりゃ」とか思う方はできればスルーでお願いします。
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- mugmugmug
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No.23です。 私はあなたの意見に反論したいのではなく、 考え方をかえれば楽になるというアドバイスを差し上げたのです。 あなたをはじめ、誰にも宗教に関する悩みを持ってほしくないのです。 >趣味の範囲でしょうか。 身元がばれますので詳しく話せませんが、 世間では「学者」とか「研究者」となるでしょうか。 「カウンセラー」の一面もあるかもしれません。 ただ、研究機関には属しておりません。出版物は書いておりますが。 決して趣味ではありませんが、それで食べているわけでもありません。 クリスマスだって祭りだって参加したいですが 若い頃にあなたのように宗教に対して怒りを持ってしまったために 引き返せない道を歩んでしまったのです。 >クワガタの観察のような感覚ですか。 夏休みの宿題の「クワガタの観察」なら違います。 生物学者の「クワガタの観察」でしたら同じ感覚なのかもしれません。 >なぜそこまで極端になってしまうのか疑問です >ありとあらゆる行動の原点を探って意識的に回避しようとする方もどうかと思います。 質問者様自身はが納得して行動されるのでしたら何の問題もありません。 ただ、こういう誰もが見る場所で言い切ってしまうことが 少々問題があるのではないかということだけです。かならず上げ足をとる者が出てきますので。 もちろん、どこかの宗教を肯定していて、ある一定の宗教を否定するのは自由ですが、 そういう場合にはすべての宗教を嫌っているのとは違い、僅かに許容できている部分があるのです。 「宗教のほとんどが嫌い」いうのであれば問題ないと思いますよ。 >普段お気づきにならないだけでそういった行動をとっていることもあるかもしれませんよね。 >で、新しく知識を得たらまたその行動を回避するように心がけているのですか ええ、若い頃は知らずのうちに宗教的行動をとっていたことは多々あります。 当然、知れば回避しています。 立場上、すべての宗教を公平な目で判断することを求められているので 何かひとつでも宗教的なことをすれば、その宗教だけを特別扱いすることになって 他の宗教に属する方から非難されてしまうのです。 宗教者たちは堅い方が多く、あなたみたいに柔軟に対応できないので大変残念なんです。 >自己主張を最優先にする自己中の方 私としては、宗教に悩んでいる他人を最優先なんですけどね。 私の詳しい活動内容を書けないので、内容からそういう見方をされても仕方ありません。 現に宗教を熱心に信仰し他が見えない方から必ずこうに言われていますので。 >実生活との違いを知ることも重要だと思いますがね。 はじめは親族内での熱心な一向宗徒と創価学会員の反発が原因で、 それを解決するために宗教学を学べる大学へ進んだことです。まさに身内の話です。 その他にもエホバの証人の大親友と、その人を好きになってしまった幼馴染。 カトリック教会にものすごい額の寄付をおこなってた知人。 統一教会から壺か何かを買うために、私の親に借金を申し込みに来た人。 その他世の中には宗教で悩んでいる人が多く、 こういう人たちを助けたくて、 自身の宗教観を捨てて宗教は何かを見極めようとしたのが始まりです。 >学問として学ぶ分には表面的な部分だけ観察できればそれでいいのかもしれませんがね。 学問として学んでいるのは「宗教」であって、その現実は十分に知っています。 エホバの証人信者の夫の同様のお悩みも存じておりますが 私のが申し上げた方法で、今では「勝手にやってれば」と笑って言える状態になっています。 あなたの苛立ちもなくしたかったのです。 >宗教に正しい知識なんてあるのでしょうかね。 >ほとんどの宗教が自分たちの知識・信仰こそが間違いのないものと信じ、 >回答者さんのように徹底的な自己主張が世界ではこの世の三悪の一つになっていると思うのですが。 仰る通りです。宗教の本質を理解されています。 知識と言うのは、宗教の善悪でなく、善の部分と悪の部分を知識として身につけることです。 それをみんな知ってしまえば、 不思議なことに自分のまわりのことが本の中のことのように感じられてくるのです。 >「身内」ではなく赤の他人」だった場合は物事の許容範囲は相当広いです。 質問者様が未婚という前提でした。違えば申し訳ありません。 未婚であれば、赤の他人が結婚を境に身内になるのです。 外国の人や外国暮らしの長い人と身内になる可能性も十分あり得るのです。 それまでに許容してあげられるだけの懐の広さを身につけていただきたいと思たのです。 >自分の食料さえあればOK!と言っているのと同じです。 逆です。食べられない人がいるから感謝するのです。 そういう地域にも活動で行っています。
- kigurumi
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>正しくは集会など行きたくもありませんでしたし聖書の勉強など >したくなかったのですが「無理やりやらされていただけ」です。 >状況すらまったくつかめない方でしたら常識的に回答そのものを遠慮していただければと思います。 随分前に「子供の頃から両親に宗教を押し付けられた。これは虐待だ。」という投稿を読んだことがあります。 その人の訴えを私は読んだ経験があるので、あなたの「状況すらまったっくつかめない」という私に対する認識は、現実とはちょっと違うと思います。 で、その随分前にあなたと同じことを言っていた人の相談を読んでいるうちに、私はその人が両親を憎んでいるのではなく、 <両親に振り向いて欲しがっている>と思えた。 両親を深く愛しているからだと思った。 その表現方法は不器用すぎて、両親にはわからないようだったが。 で、「ご両親が宗教にはまってしまったのは、何か大きな不幸があったからだと思う」という私の意見に対して、あなたは「イエス」って答えましたよね。 つまり、あなたは両親が何故宗教にはまったのか、それはちゃんと理解できている。 共感できている。 しかし、両親がこっちを向いてくれないことにイライラしている。 そればかりか「死んだら別々の世界に行くんだよね。」とひどいことを言われて、怒りとも悲しみともしれない そんな感情で苦しんでいる。 心のすれ違い。大不孝。 <なんて悲しい世界なんだ>と読んでいて思いました。 イエスの古文書というのがある。 イエスの実弟の書いた文章が発見され、それが真実であれば大々的に発表をしたいので、そのときは宣伝を担当して欲しいという依頼があったランダルさん。 彼の父親は牧師だけど、彼自身は無神論者。全く神など信じていない。 小さい頃から宗教教育を受けたが、牧師の父親に反発しずっと父親とは疎遠になっていた。 その彼が調査していくうち、発見された文章は本物だとわかった。 なんてこった、嘘だと思っていたが、イエスは実在の人物だった。 神は2000年前に地上に出現していたんだ! 偽者だと言っていたバチカンの高位の聖職者もついに本物だと認めた。 新しい聖書が発見されたことを知った途端、周りの人達が変わった。 素行不良の娘が改心したり、友人は不倫をした妻を許し不倫相手の子供の誕生を心から待ち望んだ。 でも、結局その文章は巧妙に作られた偽者だということをランダルは突き止めた。 作者がどうしてそんなことをしたのかもわかり、偽者である証拠も掴んだ。 ところがその証拠をバチカンの高位の聖職者の奪われ「この文章は本物です」と言われ、偽者であることを証明できるものが無くなった。 世の中は新しく発見された文章は本物だと信じ、改心する人達でいっぱいになっていった。 <これでいいんだ 真実を知っているのはこの世で自分ひとり。> <嘘を真実と思うことでみんなが幸せになるのなら、黙っているべき。> 父親は今まで信仰から遠ざかっていた息子に「私が長年信じてきたことが、ようやくここで実を結んだ。真実だとはわかっていたが。お前は真実であるとわからなかった。が私はわかっていた。その私がお前に言う。いいか よく聞くんだぞ」と父親はランダルに説教をした。 ランダルは「そうですね お父さん あなたは正しかった」と言った。 そしてまもなく父親が死に、ランダルは号泣した。 父親は最後までそれが偽者であることを知らずに他界した。 それでいいんだと思ったランダルだが荒れた。 彼の恋人は敬虔な信者だけど、ランダルが神の存在を信じている・信じていないなど関係なく愛していると言った。 それがどうしてわからないのと訴えた。 ランダルはその意味がよくわからなかった。 そしてランダルはようやく恋人が言った意味がわかったとき立ち直った。 ダビデが巨人に立ち向かったように、偽者であることを公表する決意をした。 何故なら人を愛していたから。恋人がそうであるように自分もそうだから。 愛とは普遍。 <信仰しているから愛する>という条件つきの愛には普遍性が無い。 普遍の愛に条件は無い。 あなたの彼らに対する普遍の愛に彼らが気づけばいいんですけどね。 知ってました? あなたは彼らを愛しているからこそ、腹をたてているんだって。 愛していなければ無関心なはずでしょ?
お礼
大変長らくお待たせして申し訳ありません。もうお忘れかもしれませんが、こちらに返信させていただきます。No.21,13,8で回答をいただいた方ですね。 ランダルさんのお話はありがとうございました。私みたいな頭でもおっしゃりたいことは理解できたつもりです。 こちらからの記載させていただいたないようによりNo.21の文末では私を否定され、今回は肯定されているように感じます。 >愛していなければ無関心なはずでしょ? どうなのでしょう。自分でそのように考えたことはありませんが生きていく上でかかわりたくないというのが正直なとこです。 確かに赤の他人の場合はどんな宗教だろうが自分が何か危害・損害を受けない限り気にもなりませんね。 おっしゃるとおりだと思います。 だからといって実際その身内を愛しているのかということですとそれも疑問です。 回答ありがとうございました。
補足
レスが予想より大幅に伸びています。 しばらく時間が取れそうにありませんのでまた後日回答させていただきます。
- mugmugmug
- ベストアンサー率26% (24/90)
私は完全無宗教・完全無神論を徹底しているもので さまざまな宗教を学問として学んでいるものです。 当然、世の中の宗教が関連するものすべてを排除しています。 身内や会社関連の葬式すらも焼香や献花は一切しません。 若い頃は恋人とのクリスマスのイベントも一切なくプレゼントはあげませんでした。 初詣も行かず、新年のあいさつもしません。 年賀状は来た人にお礼の手紙を書くのみです。 また、地域の祭りにも一切参加しませんので、 近所からも「変わった人」と思われています。 質問者様も宗教がお嫌いとのことですので このように完全に宗教から切り離しておられますでしょうか? そういう立場に立ってはじめて「宗教が嫌い」と言うことができると思うのです。 まあ、文面からして本当にお嫌いなようですので この点はクリアできているとお察しします。 その前提でのお話になります。 私が宗教を学び初めもう二十数年になるでしょうか。 大学で専門教育も受けましたし、さまざまな宗教者と話をしてきました。 でも、私としてはまだまだ学びきれていないと感じるのですが、 近所の大抵の宗教団体は、すでにその地域の長と同等の知識を持っているため もう私と話もしてくれなくなってしまいました。 そんな中、いつでも私の相手をしてくれて、 次から次へと新しいことを教えてくれて、 私の意見を頭から否定することなく話をしてくれるのが エホバの証人の方です。 こんな関係ですので、勉強のため集会も何度か出席しています。 記念式にも毎年見学に行っています。 あくまでも見学なのでパンとワインは私の所はスルーさせてもらっています。 質問者様も昔は集会に出席しておられたそうですので、詳しい理屈は説明しませんが、 他のキリスト教系(聖書を元にしているものを便宜上こう設定します)と比べ やっていることは極端ですが、どれも理にかなっていると思います。 むしろ聖書に一番忠実なのではないかと思うほどです。お金にもクリーンですしね。 たしかに未信者の身内は鬱陶しいと思ったり、 自分が阻害されている感があるとは思いますが、 その他の人にあまり迷惑をかけていないのもまた事実です。 エホバの証人を毛嫌いしている人は結構いますが、 そういう人に、どんなふうに迷惑なのか聞くと、 何度も勧誘にくるといった点以外は、何もないのが現実でした。 この勧誘の点は、すべてのケースがきちんと断らず曖昧にかわしているためだったので 「迷惑だからもう来ないで」と言うと来ないよとアドバイスすると、 全員が来なくなったと言っていましたので、この辺もきちんとできているようです。 あと、最近は信者の子供に押し付けることはないようですよ。 たしかに生まれた時からそういう環境に育ちますので、 自然に学習を始めるようですが、 最近では中高生ぐらいに疑問を感じて辞める方は多いようです。 私がお話を聞いている会衆には、若い二世の方は極端に少ないです。 ただ、そういう頃に途中で辞められた方とお話しすると、 今時の若い方よりきちんと話ができたり、礼儀正しいという印象ですので、 悪いことばかりでもないかもしれませんよ。 近所のお寺は、息子に仏教的なしつけや教育をしないで、 将来は宗教に縛られず自由にやってほしいと願って育てたら、 チンピラ以上ヤクザ未満という感じのが出来上がりましたので・・・。 私が思うに、たぶん質問者様は子供のころに無理やり連れて行かれたことが エホバの証人を、そして宗教を毛嫌いする原因であると推測いたしますが、 各宗教を理解した上で信じなくなれば、何も気にならなくなります。 むしろエホバの証人は結構まともな方だという印象すら受けると思います。 現に私は、エホバの証人であろうと創価学会であろうと、 完全に他人事、言わば物語の世界ですので、一切気になりません。 質問者様も一度こうやって学んでみると、 「宗教が嫌い」から「宗教は自分とは別世界」と考えるようになり こういう腹立ちに無駄なエネルギーを使うこともなく、楽になりますよ。 ただ、自分の意思もないくせに平気で宗教非難をするような低俗なサイトを見るのは、 正しい学習とは言いませんので、 正しい知識をつけた後で参考程度に見るだけにしてください。 最後に、質問者様がおっしゃる食事前の祈りですが、 これはエホバの証人に限った事ではありません。 外国映画やドラマでも見かける光景ですよね。 これぐらい許容できないようでは、国際社会では通用しませんよ。 日本人が手を合わせる(神道式は手を打つ)のと同じです。 仏教でも宗派によっては一言唱える所もありますし。 ちなみに私は手をあわせませんし、何も祈りませんが、 作ってくれた人や食材の生産にかかわった人への感謝の念を持っていただいております。
お礼
回答ありがとうございました。 良い言い方をすれば変わった方ですね。無神論者でありながら学問として? 趣味の範囲でしょうか。集会などに参加して信者を観察するのはクワガタの観察のような感覚ですか。 >このように完全に宗教から切り離しておられますでしょうか? いいえ。なぜそこまで極端になってしまうのか疑問ですが常識的に考えていただいて結構です。 回答者さんは集団性よりも自己主張を最優先にされる方のようですね。 食事の前に手を合わせるのは「なんとなく」です。毎回するわけではありませんし。 クリスマスにケーキを買ってくるのも「なんとなく」です。 確かに仏教から来ているものですが、ありとあらゆる行動の原点を探って意識的に回避しようとする方もどうかと思います。 私に言わせていただければ手を合わせるのもケーキを食べるのもも朝の「おはよう」の挨拶となんら遜色ありません。 >そういう立場に立ってはじめて「宗教が嫌い」と言うことができると思うのです。 立場というのは回答者さんのような学問レベルの知識を持っている方で私は欄外ということでしょうか。 ご自身ではありとあらゆる宗教寄りの行動を回避しておられるようですが、 普段お気づきにならないだけでそういった行動をとっていることもあるかもしれませんよね。 で、新しく知識を得たらまたその行動を回避するように心がけているのですか。 文頭は「良く言えば」でしたが、続きを記載させていただくと、文面から察すれば悪く言えば自己主張を最優先にする自己中の方というだけです。 学問レベルで宗教的な観察をされているようですが、人間を知ろうと思ったら実生活との違いを知ることも重要だと思いますがね。 エホバの証人の奉仕活動も集会も人前の話でみな良い人かもしれませんが、実生活で聖書の研究と奉仕活動ににハマってしまい子育てを投げた人間を一人知っています。 子供も結局おばあちゃん子になってしまいましたがね。 学問として学ぶ分には表面的な部分だけ観察できればそれでいいのかもしれませんがね。 人間なんてわからないもんでしょう。 宗教に正しい知識なんてあるのでしょうかね。ほとんどの宗教が自分たちの知識・信仰こそが間違いのないものと信じ、 回答者さんのように徹底的な自己主張が世界ではこの世の三悪の一つになっていると思うのですが。 なんで「ほどほど」ということが人間はできないのかと思いますがね。 国際レベルで通用するかという話ですが、私は十分通用すると思いますよ。 「身内」ではなく赤の他人」だった場合は物事の許容範囲は相当広いです。 回答者さんのように葬式も嫌クリスマスも嫌なんてことをいちいち主張して表に出し目立つようなマネはしません。 私は身内にそういう人間がいることを恥じているんです。 赤の他人の話だったら食前の祈りとか何も気にせず格好はあわせますよ。ここで質問もしてないです。 非常に重要な部分ですがおわかりいただけますか??? >これぐらい許容できないようでは、国際社会では通用しませんよ。 との記載がありますので、「赤の他人」と「身内」をまったく同じように考えられていますね。 >作ってくれた人や食材の生産にかかわった人への感謝の念を持っていただいております。 こういうセリフがぶっちゃけいちばん笑えます。自分の食料さえあればOK!と言っているのと同じです。 世には明日生きるか死ぬか食べ物があるかないかわからない人がいることはご存知でしょう。 ですが自分さえよければいいと思う部分は回答者さんも私も同じ。 違いは歯の浮くようなセリフを出すか出さないかの違いだけだと思います。 お互い日本に生まれてよかったですね。
- ENERGAIA
- ベストアンサー率9% (5/53)
ピンとこない、もしくは他者からの親類に対する非難(と思った)回答を不快に思ってスルーするというのは非常に賢明です。 信仰している親兄弟を否定しているのではなく、単純に「目の前にある人間関係を重視するのではなく信仰・妄想を重視し、肝心の直面している人間関係を損ない、ひいてはそれがさまざまな社会的・現実問題としての軋轢を生み出しているであろうことに気づかない信者に対して不快に思うのは正常な感性を持っている証であると想います。 で、「みなさんはこんな私をどう思われますか?」 というのが質問のようですので、それについての回答としては まともな人ですね。といった感じかな。 しかし、他者にそれを言ってもらって後押ししてもらいたいと思っているのであれば、自分にも何処か不安があったり、自信がなかったりするからでしょう。それは理解認識がまだ足りないからでしょう。 彼らを改心させることが出来るようになるまでなってください。それが宿命でもあるのでしょう。 いったん空間的にも時間的にも距離をとることですね。 離れて観察・観想すれば理解できます。あるいはまったく別のことに取り組んでいるときに ふっ とした思いが浮かび、「ああ、そういうことなんだ」と直観できることがあるかもしれません。 また、「ゲス」「外道」というのは主にヤハウェと、ネットに徘徊している顔を見せずに汚物を撒き散らすキグルイ信者に言った言葉であり、質問者の親兄弟に対して言った言葉ではありません。
お礼
回答ありがとうございました。 後押ししてほしかったという部分は、縁を切るのも一つの手だよというご意見をいただければなという意味です。 改心させるなんてことは難しいを通り越して不可能です。 ネットにはキグルイ信者がいるのですか。オウムみたいなものでしょうか。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
恐らく元信者であったあなたは、何度も聖書を読まれたとは思います。 だけど ちっとも理解することが出来なかったのだと思う。 ご両親に責任があると思うし、その他の信者にも責任があると思う。 ご両親も読んでもちっとも理解できなかったし、他の信者もちっとも理解できなかったので、あなたの疑問に答えることができなかったのだと思う。 理解できなかったあなたは「あのブドウはすっぱいんだ」となり、自尊心を保ったわけです。 「自分が馬鹿だから理解できなかったのではない、エホバの証人や聖書が馬鹿げているから理解できっこないんだ。自分以外が悪い」 そういうことにして、自尊心を保つ自分をどう思うかってことですよね。 勉強不足を棚にあげ、楽な道を選ぶのって、楽な生き方だと思う。 他人のためにがんばっているだって布教をする信者も 楽な生き方をしていると思う。 どっちも楽な生き方。 それもありだと思うし、その方が楽だから楽を選んだわけで、楽で満足なら それでいいんじゃないですか? 楽な生き方を選らんで実行しているのに、何故悩むんですか? 悩む必要など無いのに。 あなたが望む道を選択したんですよね。 じゃあ ハッピーじゃないですか? あなたはハッピーなはず なのに 何故不満な顔するんですか? 孤独だからですよね。 その孤独は誰でもなく あなたが選んだ。 他の人から押し付けられたのではなく、 あなたが自ら選択したものです。 責任転嫁するのは おかど違い。
お礼
図星で確信を突かれたからといって噛み付いてくるのは大人であればあまり格好のいいものではありません。 ですが回答者さんのように重度の妄想壁の方であった場合は特別こちらからどうこう申し上げる気はありませんのでご安心ください。 今回は専門的な分野でのご意見の記載はないようですね。 幼いころに「無理やり集会などに連れて行かれた」と記載させてはいただいたのですが、勉強不足とか楽な生き方を選んだとか意味不明ですがとりあえず了解しました。 ただこれでは信者になろうと必死で勉強した私の能力・勉強・努力不足というように聞こえますので事実でない部分は訂正させていただきますね。 正しくは集会など行きたくもありませんでしたし聖書の勉強などしたくなかったのですが「無理やりやらされていただけ」です。 何度も重複する部分ですのでくどいようで申し訳ないのですが、状況すらまったくつかめない方でしたら常識的に回答そのものを遠慮していただければと思います。 理解能力がない→勉強不足→楽な生き方を選んだ→何が不満?→お前は孤独→自分で選んだ→責任転換=結論:お門違い とりあえず結論としては私の責任転換・お門違いというご意見でよろしかったでしょうか。 回答ありがとうございました。
身内を含め近しい人とは冠婚葬祭だけ付き合えば、それで人、社会人としての役目は果たせていると思います。 親戚であろうと家族であろうと信仰は自由なのですし、これ見よがしに「これでお前は救われる!!信仰しろ!!」だとか、「入信しなければ不幸になる!!」と教義を押しつけられても何も有り難くないし、共感など出来ません。 それほど魅力的で自分に必要なものなら、心底欲しているものなら、あれこれ教義を詰め込まされたり見せつけられずとも、自ずと惹き付けられるものでしょう。 人それぞれの中にある倫理観が、宗教や教義と同等のものと受け止められていれば、特に「~教徒」になる必要は無いわけで…。 「~教徒」にならなくとも、自分が社会の一員である自覚や倫理観が備わっているのなら、側でわめかれても迷惑なだけでしょう。 貴方は、「心静かに自分の人生を歩みたい」――唯それだけなんですよね? 身内の方は、「信仰こそが宝なり」とお考えなのでしょう。 自分たちは「心の内にダイヤのような輝きを持ち、永遠を約束されていると“自慢したい”」のでしょう。 「この幸福を、分け与えたい」というポーズを取りながらも、自分たちの信仰に間違いはないと後押しが欲しいので、信者を増やしたいのでしょう。 それは、「欲しくない物をねだれ」と言っているようなものです。 貴方から身内に お願いしても何ら変わらないという、声高に唱える お祈りもファッションみたいなもの、つまりは、人(もしくは神様、神様の近くにいたい人)に注目されないと意味をなさないものだと(身内が)捉えているからこそなのでは? 「私はここにいる。信仰と共にここにいる」と神様や周囲の人にアピールしたいのでしょうね。結局の所、一体感が欲しいのではないでしょうか。 心の中で唱えても、神様の耳には届かないのでしょうか? …おかしいですよね。それでは口がきけない人の祈りは神様には届かないことになってしまいます。 理屈では解っているのでしょうが、結局は、身内の方は多くの人から共感や支持を得たいと思っているのでしょう。 結局、貴方を否定してきたり教義を触れ回るのは、貴方をはじめ教義を否定する人が怖いんじゃないでしょうか。 貴方に自分たちが否定されている軽蔑されていると感じ取って、躍起になっているのでしょう。 多くの肯定を得られないと不安になるので、入信したし、これ見よがしに教義を見せつけるのでしょう。 身内の方達は、羨ましがってくれないと不安になるんじゃないでしょうか。羨ましがってくれないと、褒めてくれないと、幸せを感じられないぐらい自分が無くなってしまった。 ――そんな風に身内が見えるから、貴方は居たたまれなくなってしまったのではないでしょうか? 親子兄妹と言えど、物の見方・感じ方は違うもので…。 また、自身の肯定感が大きくグラついているときほど、違った意見は自己否定されたように聞こえるものなのでしょう。 人は一人一人違うもの。すっかり自分と同じ人などいないのに、不安なときほど、人は同じ様な人を求めてしまうもの。 何処か似たようなところがあれば、それで満足する人もいれば、すっかり同じ様でないと不安になる人もいる。 貴方の身内は、すっかり同じ様な人に囲まれていないと不安になるのではないでしょうか。けれども、それはそれで仕方ないんじゃないでしょうか。不安が大きな人達なんだもの。 でも、同族を求める不安が大きな人達の側にいれば、教義そのものには感化されなくとも葛藤は生じるものでしょう。 欲しくないものをねだれ、一緒になれと縛られるのは嫌だけれど、一人で異端者でいるのも苦しいという…。 でも貴方は、誰かの保護下にいなければならなかった年齢はもう過ぎているでのしょう? 身内が好きなように生きているのだから、身内のことは見えていても自分と重ねず、貴方は貴方の道を行けば良いと思います。身内の信仰心に対して否定も肯定もせずに、あるがままを受け入れれば、向こうも貴方に強く干渉してくることは無くなると思います。 無関心な態度を取られれば、無関心でいるしかなくなるものではないでしょうか。
お礼
おそらく身内にこういった信者のような人間がいない方ではないでしょうか。 おっしゃっている内容のを例えると、学校で後ろの席の子が後ろから椅子を蹴って嫌がらせとかしていても、 無関心でいればそのうち相手も飽きてやらなくなるよ…と、言っているようなものに聞こえます。 宗教をナメないでください。人間の心の奥底に寄生してしまえばまず処置などできません。 >自分たちは「心の内にダイヤのような輝きを持ち、永遠を約束されていると“自慢したい”」のでしょう。 それはありません。専門的な話になってしまいますので詳細も記載しませんが、 回答からエホバの証人を名乗る人間と会話したことはない方だと思います。 >身内が好きなように生きているのだから、身内のことは見えていても自分と重ねず、貴方は貴方の道を行けば良いと思います。身内の信仰心に対して否定も肯定もせずに、あるがままを受け入れれば、向こうも貴方に強く干渉してくることは無くなると思います。無関心な態度を取られれば、無関心でいるしかなくなるものではないでしょうか。 これは理屈です。数日でも一緒に過ごすということになると無関心で無干渉でなんてことは実際はできないんですよ。 やるなら法的でなくても絶縁が最短だと思います。 先日ファミレスに食事に行ったときですが、声高らかではありませんが身内はいつものように祈ってから食事を始めましたが問題発生。 甥は親から厳しくその宗教関係をしつけられてるみたいですが、私がお祈りをせずにいただきますといって手を合わせて食べ始めたことを疑問に思ったようで口論。 まだ4歳ですよ???その場で親があーだこーだしつけを始めるもんですから先に私は店を出ました。 うっかりしてました。お祈りポーズを忘れた上に手を合わせる(仏教系)の行動をとったので結果は見えてました。 そんな具合で家で一緒の際もちょっとしたことからいちいちもめることが多いんです。 もううんざりしてるんです。 >無関心な態度を取られれば、無関心でいるしかなくなるものではないでしょうか。 この結果です。言うは易しで難しいです。甥の前だけ信者のふりをするなんてのはいい加減まっぴらです。 いずれもめる時がくるでしょう。 ですので甥にはしつけるようなことは私は何もできませんし変なことをすると親がだまってません。 と、いうかこちらでいろいろなご意見をいただいて、やはり解決につながる道は一切9割方関係を絶つのが一番なのではないかと思います。 根本的な方法はそれしかないなとある程度考えていたところです。 >心の中で唱えても、神様の耳には届かないのでしょうか? 強く共感します。ほかにも飯前じゃなくで時間変えるとか1日1回とか週1回にとか祈る回数減らせねえのかよ!と、思いました。
補足
回答ありがとうございました。
- ENERGAIA
- ベストアンサー率9% (5/53)
とにかく、「犠牲(嫌々でなければ、つまり喜んで犠牲になるのは犠牲とは言わず献身である)になる者がいなければ次に進めず(生命を繋ぐことができず)そしてそれは私ではない他の誰かであり、親ではなく子である」 と考えて、実際の親子関係でもそれを容認している古くからここに巣食っているキグルイの常連さんは醜いですね。 そういった人に先に死んでもらわないとまた同じことの繰り返しというわけです。
お礼
回答者さんであっても内容によってはスルーしかできませんのでご了承願います。
- ENERGAIA
- ベストアンサー率9% (5/53)
No.17の訂正: × 自分が作った環境で一方に農耕をすることになった子と牧畜をするようになった子の一方を、こともあろうか親が裁いてもいます。 → 自分(親)が作った環境によって(であろう)農耕をすることになった子と、一方で牧畜をするようになった子のうちの、片方を、こともあろうか親が裁いてもいます。 補足: 慈しみを持つ、とはいってもそれは理解に伴っての毅然とした態度を見せた後に「自然と」湧き出る感情であり、入信を強要されるなどの「攻撃」「脅迫」を受けたなら、No.15に書いたような(あくまで一例だが)厳しい対処がやはり必要です。 基本はやはり理解・認識ですね。
- ENERGAIA
- ベストアンサー率9% (5/53)
追記: No.16の言うとおり、ゲスはゲスと まずは「認める(理解する)」ことですね^^ 一般にカインが大地を耕し、人為的に農耕をして捧げた食べ物ではなく、アベルが人為的なことをしないで遊んで育てた家畜を評価したと解釈されていると想いますが、もうひとつの側面として 「単に血の滴るいけにえの家畜を好んだ」と解釈することもできます。むしろ、ヤハウェの言った事を旧約聖書に読むなら、そのほうが自然です。 自分が作った環境で一方に農耕をすることになった子と牧畜をするようになった子の一方を、こともあろうか親が裁いてもいます。 「自分達以外は全て糞」と言っているのが旧約聖書の神であり、それに対して「違う」というのは原理主義ではありませんね。 気に入らないのには理由がある場合もあるでしょう。質問者さんの場合は相手の欺瞞が気に入らないのだと想います。「エホバの証人」と言っているが、今の信者でエホバを実際に見、感じてもいないのに「証人」などと、まさに偽りそのものですね。 しかし、理解が進めば結局は親も悪い、子も悪いとなり、さらに進めばどちらも悪くないとなります。 いずれにせよ 外道は外道と「認める」ことで 慈しみももてるようになるでしょう。 「釈迦に説法、笑えますね~」 と言ってもいいかも知れないですね。
- o-sai
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世の中で一番醜いものは原理主義です。 各宗派の右派の一派は「自分達以外は全て糞」と考えて(洗脳されて)います。 宗教だけでなく、共産主義や資本主義も原理主義です。 彼らの後で利権を得ているモノが仕組んだ、社会の仕組みと言えます。 かといって、そういう一族を「糞野郎」と差別してしまえば、 それもまた原理主義というやつです。 原理主義は戦争しか生み出しません。 嫌いな人間も存在を認めてやらなければ、あなた自身が原理主義者になってしまいます。 自分を強く持っていれば、他人の考えに洗脳されることはありません。 警戒心が強い、ということはもしかしたら「弱い、自分に自信が無い」ということかもしれません。 気に入らない人間を哀れんでも蔑んでも構いませんが、 その存在だけは認めてあげられるように考えてみてはいかがでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 洗脳されるとか警戒心がどうとかではなく、とにかく存在が不愉快なんです。 回答者さんの理屈では私は原理主義者になります。 >嫌いな人間も存在を認めてやらなければ、あなた自身が原理主義者になってしまいます。 グレードを落とせばエホバの証人程度だからガマンということかもしれませんが、 極端な例えでイスラムのテロ軍団とかが近くにいて回答者さんが多大なダメージを受けた際に 相手を「糞野郎」と思うのが普通だと思わないのですか 。 どちらかというと平和な先進国の日本人ならではのご意見だと思います。 >その存在だけは認めてあげられるように考えてみてはいかがでしょうか。 こちらは私には理解できません。存在だけは認めるしかないと思うのですが。
お礼
レスが遅くなり大変申し訳ありません。再度回答を頂きありがとうございます。 すでに憶えてらっしゃらないかもしれませんが。 どういったご職業なのかわからないのですが、所属している団体名などはここでもオープンにできないような名前でしょうか。 人助けなどという考え方は私は理解できません。 確かに自分と同じ思いをしてほしくないと思うこともありますが、自分の時間を割いてまで人助けしようと思いません。 「世の中なるようにしかならない」とはよくいったものです。私なんかああかわいそう…と言うだけですね。 大学へ行ける環境で育った方のようですが、人助けはともかく時間を割いていただき私に長文をいただけたことには感謝しております。 もしこのレスをお目にかけることがあって、返信を考えられた場合は所属している団体名の記載をお願いします。 不可の場合はレスはご遠慮願います。ありがとうございました。 >それまでに許容してあげられるだけの懐の広さを身につけていただきたいと思たのです。 自分にとって大事な人であればあるほど無理ですね。
補足
レスが予想より大幅に伸びています。 しばらく時間が取れそうにありませんのでまた後日回答させていただきます。