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価値観ですが 存在することが価値の基本だと思います

価値観ですが 存在することが価値の基本だと思います どう思われますか? いろんな営為も 恋愛 趣味も存在の充実なのではないでしょうか? 子供を作って自分の存在した証を伝えていくと考える事も出来ます 人間存在は安定調和とゆっくりの進化で行けば確実に未来に繋がると思いますが。

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  • cyototu
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回答No.24

#3です。 >存在を「個性ある性質を持ったエネルギー」と捉えていて そうですね。いろいろな物質も宇宙の進化の結果いろいろな個性を持つに至りましたね。しかし、エネルギーの本質はそれが保存則に従うということですね。エネルギーは増えたり減ったりしない。従って、エネルギーと言う概念が「存在」と言う概念に馴染むということには賛成です。しかし、前にも書きましたが、人間の本質は、誕生、成長、学習、適応、老化、死、という一連の一過性の中に在る「変化」ではないでしょうか。そして、物理学の世界ではその変化を表す本質的な量は、エネルギーなどの保存量ではなくて、エントロピーですね。 ですから、貴方の言葉をかりて言えば、      人間を「個性ある性質を持ったエントロピー」と捉えた ほうが的を射ておりませんか。 私には、     価値観とはそれが成長し進化することが、基本なのだと思えます。

yuniko99
質問者

お礼

なるほど「個性在る性質を持ったエントロピー」ですか 僕は「存在性」という言葉で表しているのですが エントロピーについても考察しています 存在性理論 で検索して下さい 貴方の提案は初めて読みました なるほどです ありがとうございます☆

その他の回答 (26)

  • mmky
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回答No.6

「存在すること」「存在させられていること」と言うのは 自力本願と他力本願とも言えるのでしょうか? ○自力と他力ともいえますね。自力が主体ですが、例えばどのように優秀でも上司に嫌われると出世できないですよね。こんな人あちこちにいますね。料理が好きでもお百姓さんや漁師のかたや運送、販売の人がいないと食べ物も作れないということですね。そういう他力も忘れてはいけないということですね。 または自分で生きる人生と それまでに自分を生み出した歴史によるもの 或いは神と言う考え方も入ってくるのでしょうか? ○他力には、隣人、全ての関係者、当然神も仏も地球も月も宇宙も入っているのですね。一人では生きられないということですね。 「存在すること」のみに囚われて地上から消された町や都市や国家ですか 例えばどんな都市でしょうか? よかったら教えてください。 そうですね。 例えば、最近でいえば、普賢岳、神戸、新潟、インドネシア、四川、ハイチもありましたね。まだ無くなってはいませんが警告は来ましたね。かなり古くはポンペイ(ポンペイも大地震があり、10年掛けて復興したのですね、でも自力で積み上げたものはかわらなかったのですね、そこでベスビオス山が噴火して完全になくなりましたね、さて神戸は今後どうでしょうかね。)、古くは富士山ろくの村、ちょっと古くは五色湖のある地方、など数限りなくありますね。 旱魃が長く続きなくなった町が亜細亜にもアフリカにもたくさんありましたね。 何を言いたいかといえば、大地(地球)も人間には他力なんですね。私の土地、不動産などどこにもないのですね。あると考えるのが錯覚ですよといいたいのですね。大地も気持ちよくしてればいいんですが自力のみで感謝を忘れた人々が増えると嫌がるのですね。単なる自然現象としてではなく、「存在を許されている」という目でも見て欲しいということですね。

yuniko99
質問者

お礼

真実真理と言うものは 簡単な様で難しく 難しい様で簡単ですねえ 存在することは、存在させられていること、生かされていることでもある訳ですねえ。 自力 他力共に揃って生きられるわけですね よく分かりました どうもありがとうございました(^^)v

  • mmky
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回答No.5

価値観ですが 存在することが価値の基本だと思います どう思われますか? ○いいんじゃないですかね。「自助努力の精神」は、自身の存在が基本で、その価値を高めようとすることですからね。 もう一つの側面があるのですね。「存在させられている」という側面ですね。 動物でも人間でも両親がいないとこの世に現れることが出来ませんし、多くの人の支えがないと生活も勉強も食べることさえできませんからね。これは「諸法無我」の観点ですね。 つまり、「存在すること」と「存在させられていること」が同時に起きているのですね。 とはいえ、主体は「存在すること」ですから、「いいんじゃないでしょうか。」となるわけですね。ただ、もう一つの側面も忘れるとだめですよ。ということですね。 「存在すること」だけでは、感謝がおざなりになるし、神も仏もいらなくなるからね。 まあ、歴史的には「存在させられている」という側面を完全にわすれて「存在すること」のみに専念して地上から消された町や都市や国家はたくさんあったのですね。これからもたくさんありますからそういう観点で見ておいてくださいね。

yuniko99
質問者

お礼

「存在すること」「存在させられていること」と言うのは 自力本願と他力本願とも言えるのでしょうか? または自分で生きる人生と それまでに自分を生み出した歴史によるもの 或いは神と言う考え方も入ってくるのでしょうか? 「存在すること」のみに囚われて地上から消された町や都市や国家ですか 例えばどんな都市でしょうか? よかったら教えてください。

noname#123390
noname#123390
回答No.4

>存在することが価値と言うのは 例えば食事をするのも 夜寝るのも 働くのも 協力するのも 安全運転で交通事故を避けるのも 明日の天気予報を見るのも 実は自分や自分の仲間 隣人?が生きて存在できるようにやってるのではないでしょうか? それを僕は「存在性」と呼んでいます。存在する為に必要な性質のことです。 「存在性」というのはそこにあるということですよね。生き物も、非生物(例えば山など)も存在性を示しています。それ自身は事実であって、価値というようなものは認められないと思います。たしかに生物は生物として存在するためには生きなければならない、そういう意味で私は生命を守ることと解釈したのですが、貴方はそうではないと言われる。 よく理解出来ませんね。 ちなみに貴方はご自分のホームページを参照しろと仰いますが、それはルール違反でしょうね。この質問のサイトは、質問ひとつで単独に成り立ったものです。質問の範囲内で完結するように補足願えないでしょうか。

yuniko99
質問者

補足

人間以外の存在の存在性を説明した文章です これで存在性とは何か分かるのではないでしょうか。 コップを壊してコップと言う存在でなくしてしまったら コップとしての価値が無くなってしまいますよね 多くの存在は存在理由をもって 仰る所の生物の営為 進化も存在する為に変わって行きます。 それも存在性の一つです。存在する為の性質を獲得して生きること 存在することが出来るのです。 どうでしょうか? (12)コップの存在性  コップの存在性は水を汲んで手で持って飲むことにあります。ですからあのような形をしています。それが底に 穴があいたりひびが入ったり飲むところが欠けたりすると、それはコップとしての用をなさなくなります。するとそれはコップのような形をしていますがもはやコップではないということになります。コップという存在ではなくなります。そして必要性もなくなり、捨てられて粉々になるか溶かされてまた別の存在になるかもしれません。コップはコップという機能(水を飲めるという存在性)を持つがゆえにコップという存在でありうるのです(欠けたコップは花瓶などになるかもしれません) 生命の場合は世代交代することによって新しい固体が作られますが コップやモップや飛行機等はそのような存在性のものという情報があれば 全く親がなくても作ることが出来ると思います つまり人間の頭の中で進化して新しいものが突如の様に作られるのです(勿論試作もありますが)

  • cyototu
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回答No.3

>存在することが価値の基本だと思います これが貴方の価値観ですね。「存在」すなわち「ある」という概念に中心的価値観を見出すとは、日本人には珍しく、どちらかと言うとこれはユダヤ・キリスト教的一神教的な世界観ですね。 その価値観に対して、私達日本の先人達は「変化」すなわち「なる」と言う概念に中心的価値観を見出して来たようです。それを我々の先人達は、「ゆく河の流れ」や「諸行無常」という有名な言葉で凝縮してみせてくれました。 ゆく河の流れは絶えずして、 しかももとの水にあらず。 よどみに浮かぶうたかたは、 かつ消えかつ結びて、 久しくとどまりたるためしなし。 祗園精舎の鐘の声、 諸行無常の響きあり。 娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。 おごれる人も久しからず、 唯春の夜の夢のごとし。 たけき者も遂にはほろびぬ、 偏に風の前の塵に同じ。 両方とも日本人の心にグサグサと入り込んで来る美しくい言葉ですね。 日本人も開国や敗戦の影響で、西洋人の世界観をたっぷり学びましたが、「ある」という一方的な価値観ばかりではなく、私達の先人達が石に齧り付き血の涙を流しながら手に入れて来た高度な「なる」という世界観も評価出来るように、日本のことも学んで下さい。 蛇足になりますが、特に西洋で発達した今までの科学は、物質の「ありよう」すなわち存在形態の理解にその重心を置いておりました。「存在」の分類を論じる数学は、「変化」を論じる数学よりも桁違いに易しいからです。しかし、近年の科学および数学の長足な進歩によって、いよいよ人類は「安定性、不安定性」を契機とした「変化」を数学的に論じられるようになり、物質の変化、宇宙の進化、生命まで含めた複雑系の出現などなど、「ありよう」に対峙する概念としての「なりよう」が論じられるようになりました。生命は、誕生、成長、学習、適応、老化、死、という一連の一過性、すなわち変化がその本質であることは何方も認めることでしょう。いよいよ我々は科学の言葉で、我々自身を語れるようになって来たのです。このような新しい世界観の出現を認識した現在では、「存在」にこだわる西洋人型の価値観を持った方達よりも、「変化」にこだわる日本人型の価値観を持った方達の方が、今後の科学の進歩に対して、より本質的な寄与を出来るチャンスが多くなって来たような気が致します。

yuniko99
質問者

お礼

ご教授 どうもありがとうございます 大変参考になります そうですか 変化の中での「なる」という様子?ですか 私の場合は存在するものを観察した時 存続しているものが、変化して雲散霧消するものより 淘汰されて残ってきている 存在する為には変化するより、アイデンティティを持って存続する方が有利のように見受けられるので 今 存在すること の為には 存続しているものにライトを当てているのです 変化する必要もあります いや変化しないものはありません ブラックホールでも変化しているでしょう 宇宙も地球も原子も電子も変化しています その中で人間が生きています 私はこの人間の「人間存在」に価値を置く 何故なら人間なのです。 人間存在は実存ととられたり 脳の活動ととられたりしますが 私は性質の一種 と考えています 多くは書きませんが 存在を「個性ある性質を持ったエネルギー」と捉えていて この個性ある性質の部分です。 エネルギーの部分が「脳」と言うことになります。 人間は死ななければならない 何故なら動物の体を持っているからです。そうでなければもっと生きて良い 勿体無いです 経験と人間存在が。もしよかったらHPの方も覗いていってください どうもご指導ありがとうございます<m(__)m>

noname#123390
noname#123390
回答No.2

ちょっと分かり難いご質問ですね。 >価値観ですが 存在することが価値の基本だと思います 人間の根本的に重要な価値(観)は(人間が)存在すること(生きること?) という意味でしょうか? それはその通りだと思います。 世界はおおむね人間(の生命)尊重主義に向かっています。北朝鮮のような例外の国もありますが。 それは現在ほぼ常識になりつつありますね。 >人間存在は安定調和とゆっくりの進化で行けば確実に未来に繋がると思いますが。 そのとおりですが、 今はそれが実現できるか分からない危機的状況にあり、地球レベルで実現するためにはどうすればいいのか?という絶体絶命のの段階に来ています。

yuniko99
質問者

お礼

存在する為には生きてないと出来ませんよね 人間存在は人の命の上に実現します しかし同じ命でも動物や植物の命には人間存在は生まれません。 生きることと人間として存在することはまた別の事だと考えています。 脳に精神が発生しますので その脳を機能させる為に人の命も働きます 命も大事ですが 人間存在としての精神も大事です。 存在することが価値と言うのは 例えば食事をするのも 夜寝るのも 働くのも 協力するのも 安全運転で交通事故を避けるのも 明日の天気予報を見るのも 実は自分や自分の仲間 隣人?が生きて存在できるようにやってるのではないでしょうか? それを僕は「存在性」と呼んでいます。存在する為に必要な性質のことです。 もしこの連休に余裕がありましたらHPを呼んでみてください 小難しいですが 納得の哲学です。 

回答No.1

価値観ですから、個人の自由です。 恋愛しない事を重要視する価値観の人も有りです。 子供を作らないと決めた人の価値観も尊重しなければなりません。 哲学は個人の価値観を規定するものではありません。

yuniko99
質問者

お礼

どうも失礼しました 価値観は自由ですよね 理屈を捏ねてるもんで気に障ったらご容赦を。 どうぞご自分の価値観を大切に育んで行って下さい。人の価値観はその人のものです。