- ベストアンサー
昔の人は昔の凶悪犯罪を知らないもの?
- 昭和30年代には、少年犯罪や凶悪犯罪が明らかに多かった。
- 年配の人々はこのような話題に対して懐疑的であり、昔の少年犯罪は比較的軽微なものだったと考えている。
- しかし、昔の人は情報を得る機会が限られていたため、凶悪犯罪の実態を正確に知ることができなかった可能性がある。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
年配と言えるか、50手前ですが。 確かに凶悪犯罪の報道は昔の方が多かった気がします。 ちょっと女性は不愉快になるかもしれませんが、本当にレイプとかよく耳にしてました。 最近は盗撮とかが多いですよね。(あくまでも報道は) 誘拐なんかでも、すでに殺されていたとか。 小学校の娘が居るんですが、どこそこの子供が見知らぬ男性に声をかけられたと言うだけで緊急連絡網が回ってくるんです。 昔を美化している、最近は情報があふれすぎている。 言い方が悪いですが、被害者意識が強すぎる。 そんな気がします。 私より年上の人、よく考えられてみてください。 凶悪犯罪は今より多かった気がします。 ただ、動機が意味不明な犯罪は今の方が多いかもしれません。 とにかく、今は情報があふれすぎて居る感じはあります。 マスゴミのせいですね。
その他の回答 (4)
- konata508
- ベストアンサー率26% (514/1954)
私の感想です。その昭和30年代を支えていたであろう、20代~40代は戦争や貧困を経験していた人たちですよね。だから30年代はそういう人たちは周りによくある軽犯罪は報道してないと思います(凶悪犯罪のみ)生きることに必死な人たちですので回りはよく見ていないでしょう。 また、現代と昭和30年代で考えられる違いは 1.喧嘩の仕方 昔は喧嘩もありましたが小学生で取っ組み合いの喧嘩です。回りも止めませんが、負けたら殴り返して来い。帰ってくるなと言ううちもある時代です。子供同士がどこまでやれば相手が怪我をするか学びながらじゃれあいます。これは動物の子供と同じです。自然の中ではむしろ当たり前ですよね。親は関与しないし、自分たちで感覚を覚えていきます。 2.我慢の仕方 家庭も高度成長期に入ってもまだまだ貧乏な家が多い中です。おやつや食事でも我慢します。兄弟も多いので我慢します。仕事も子供も家事を手伝いますし、薪拾いや米俵運びなどは自分の身長より高く運びます。 3.情報の仕方 昭和30年はラジオ東京テレビ(後のTBSテレビ)開局が開局した年だそうです。おそらくその時代はTV普及率も乏しいですのでラジオが主流だから報道も臨場感より事実のみを報道し、事件背景も詳しく報道されることもなかったと思います。 今のように「(世の中に悲観し)誰でもよかった」「(親が)うるさいのでやった」というような凶悪事件より、殺人でも「お金に困って」や「(親の虐待に)耐え切れなくて」と言ったことが多いように思います。感情や快楽より貧困や虐待からのものが多いようです。 それだけ過保護に育てられたか平和でもののあふれる次代に生まれたのかはこういう時代背景をみると考えさせられませんか? 以上で納得できますか。
お礼
お答えありがとうございます。 3と軽犯罪は報道してなかったというご意見には、納得できるほどの明確な証拠が示されていないので何とも申し上げられません。 検索すれば出てくるような情報かもしれませんので自分で調べる努力をしないといけませんね。 > 感情や快楽より貧困や虐待からのものが多いようです。 強姦が今より10倍近くある状況で、そのご意見は同意しかねます。 失礼ですが、今回の回答者様のご意見は、明確な根拠に基づいたものではなく、 マスメディアに植え付けられた思想から来ているものだという印象を受けました。 (他の年配の方のような意見の厚みを感じられません) 時代背景の比較は私も納得できる箇所はあるのですが、 それは回答者様と同じで「恐らく」「だそうで」という程度の根拠ですので納得する事はできません。
- TrailJoy
- ベストアンサー率23% (207/876)
凶悪犯罪に限定すれば今より陰湿でなぞめいた事件が多かったような気がします。 吉展ちゃん事件とか狭山事件とか永山事件とかとにかく凶悪でものすごく怖い事件が 多かった。暗い時代だったと思います。まだ戦後の香りが残っていた時代ですから 仕方が無いというムードもあったと思います。だからその限りにおいて昔は凶悪事件が 少なかったのにという言い方をする年配の人はいないと思いますよ。 少年犯罪に限定するなら少年の定義が変わってきていますよね。 1960年台頃は中卒でも社会に出る人は多く、その人たちが未成年で犯罪を起こしても 一般的には少年犯罪として記憶には残らないです。社会党浅沼委員長刺殺にしても 当時は思想的に走る学生が当たり前だったから少年という定義よりも思想という 定義で事件を見ていたのではないでしょうか。 最近(?)と言っていいのか、普通の中高生が殺人未遂とかリンチ殺人とかあるし、 神戸須磨の14歳とか長崎佐世保の11歳とか低年齢化が顕著でしょ。
お礼
お答えありがとうございます。 知らない名前の事件ばかりですので、検索させて頂きました。 どれも本当に凶悪で恐ろしい事件ですね。 狭山事件はコンクリート詰め殺人を連想させられました…。 仰るように少年の定義は変わりましたので、少年犯罪として記憶に残らないという見解は納得できます。 重みのある回答で非常に有意義でした。
- gohara_gohara
- ベストアンサー率37% (573/1517)
情報を受け取る機会、などという以前の問題として、人間の記憶というのは、都合良く改竄され、そして、どうでも良いものは忘却してしまう、ということがあるのだと思います。 私自身は、20代に何とか踏みとどまっている年代の人間なのですが、自分自身が10代の頃に起きた凶悪犯罪を思い出せ、と言われても、オウム真理教によるテロ事件(松本サリン事件、地下鉄サリン事件など)、1997年の神戸市の酒鬼薔薇事件。1994年に愛知県で起こった中学生・大河内くん自殺事件……など、具体的なところまで思い出せるもの、というと、本当に少ししかありません。勿論、ニュースなどで大々的に報じられた事件だけをとっても、その数十倍はあるはずなのに、です・ 私の場合、まだ十数年程度の時間しか経っていません。これが、もっと年をとって30年、40年……となれば、さらに記憶は曖昧になってしまうと思います。 自分の経験だけをとっても、記憶というのはあまり当てにならないものだ、というのをどうしても感じます。 それを自覚した上で語るならともかく、そういう自覚をしていない、というケースは多いのではないかと思います。そうすると、過去の美化され、また、多くを忘却された過去の記憶と、現在進行形の事象を比較して、「今はいかん」みたいなところになってしまうのかな、という風に感じます。 それだけに、冷静に、客観的に、見つめる必要性がある、ということは思うのですけれども……
お礼
お答えありがとうございます。 確かに記憶は時間を経てば都合良く改竄される事はありますね。 これは盲点でしたので、ご指摘有難く頂戴致します。 しかし、本当に自覚がないだけなのか疑問に思う事があります。 只の昭和ノスタルジーや懐古でしたら、その解釈でも問題ないと思うのですが、 本題の件は、当時の情報体制の不備や現代の偏光的なマスコミの影響を強く感じてしまいます。 つまり、単純に「無知」なのではないかという事が現時点の結論です。
- beruska
- ベストアンサー率35% (80/226)
簡単な話です。 いまと昔では情報伝達手段がケタ違いです。そういった話題を耳にする機会自体が少なかったのでしょう。あなたの仰るとおりです。 あとは昔の人特有の「最近の若い者は」という感情もあるのでしょうね。 きっと我々も数十年後には同じことを言うのでしょう。
お礼
お答えありがとうございます。 この手の話題になると、「我々も数十年後は」「古代エジプトの壁画でさえ」と、お決まりの解釈に終始する事が多いですね。 それでも私は懐疑のできる大人になりたいものですけど。
お礼
お答えありがとうございます。 当時の状況をご存知の方からご意見を頂けて光栄に思います。 takasi_oさんの話を聞いて新鮮な衝撃を感じました。 それくらい誰に状況を聞いても理屈で説明できる人がいなかったんです。 レイプという言葉が当時、既にあったという事実も知りませんでした。 女児を誘拐するような犯罪が多かったという事はイメージとしてはあります。 情報があふれすぎてる事よりも、「昔は良かった。今は駄目」と口を揃えて一方的な報道しかしないマスコミ、それを懐疑もせずに鵜呑みにする視聴者に疑問を感じます。 takasi_oさんのご意見を頂けただけで、質問をした甲斐があったと思います。