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あるお寺へお参りしたときに「釈迦は慈父弥陀は慈母」とありました。信仰心

あるお寺へお参りしたときに「釈迦は慈父弥陀は慈母」とありました。信仰心の薄い私には意味が理解できません。教えてください。よろしくお願いいたします

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回答No.3

 たぶん、それは浄土真宗のお寺ではないかと推察されます。ただ、このご質問は浄土真宗だけでなく法然上人の教学を中心とする念仏系の宗派(浄土宗、浄土真宗、時宗等)の教えへの質問かと思います。 >>「釈迦は慈父弥陀は慈母」とありました これは、回答No.2さんのおっしゃるように、親鸞聖人のお書きになられた『唯信鈔文意』の中の 「この信心のおこることも釈迦の慈父・弥陀の悲母の方便によりておこるなり。これ自然の利益なりとしるべしとなり」 と、親鸞聖人の御和讃(仏教を分かりやすく、和歌にのせてお説きになったもの)の中の、 「釈迦弥陀は慈悲の父母 種種に善巧方便し われらが無上の信心を 発起せしめたまいけり」 の二つの文章が基礎におかれています。  これは、お釈迦様と阿弥陀様の立場の違いを表した御教化です。  浄土真宗をはじめとする念仏系の宗派においては、古来より「阿弥陀仏ばかりを大切にして、お釈迦様をないがしろにしている」という批判を受けてきました。  しかし、これはとんだ誤解です。念仏系の宗派を総称して「浄土教」と呼びますが、浄土教の別名を「二尊教」と言います。二尊とはお釈迦様と阿弥陀様のことで、浄土教は「お釈迦様と阿弥陀様の教え(二尊教)」と言うことになります。  そして、その立場がお釈迦様は父の様であり、阿弥陀様は母の様であるといいます。これを別の言い方をしますと、親鸞聖人の『浄土文類聚鈔』には 「釈迦の発遺を蒙り、また弥陀の招喚に籍り」 とあり、「発遺の釈迦」と「招喚の弥陀」と二人の立場の違いを表しています。 「発遺」とは、分かりやすく言えば「行きなさい」ということ。 「招喚」とは、分かりやすく言えば「よく来たね」ということ。  お釈迦様は父の如くに子供を突き放して自立させることで一人前に育てていく仏様、そして阿弥陀様は母の如くにいつでも抱きしめてくれるくれる仏様と言えばよいでしょうかね。(今は立場が逆転しているご家庭も多いかもしれませんがね 笑)  ただ、お釈迦様は厳しくて救ってくれないが、阿弥陀様が優しくて救ってくれると言うことでもありません。それは、親鸞聖人の『尊号真像銘文』には、 「帰命は、すなはち釈迦・弥陀の二尊の勅命にしたがひて、召しにかなふと申すことばなり。」 と説かれ、救いの心をいただくと言うことはお二人(お釈迦様、阿弥陀様)のお心にしたがって生きると言うことにあると説かれています。  この事を思うと昔の和歌を思い出します。 「父は照る 母は涙の雨となり 同じめぐみにそだつなでしこ」 子供をなでしこの花に例えた和歌です。父親は太陽、そして母親は雨、確かに太陽と雨は同じものではありません。しかし、なでしこの花を育てる恵みであるという事においては、まったく同じ恵みであると歌っています。  仏様のお慈悲の心もまた同じで、苦しみの中でなかなか悟りを開けない私達を、太陽となり父となり、また雨となり母となり、育てようとしてくださる仏様のお心が詰まっているのが「南無阿弥陀佛」のお念仏であると言うのが浄土真宗の教えです。  長々駄文を連ねましたが、急ごしらえの文章のため誤字脱字乱文どうぞご容赦ください。  合掌 南無阿弥陀佛

nakanta
質問者

お礼

大変お忙しいところご親切にしかもわかりやすく解説いただき大変喜んでおります。これを機会にお釈迦様について勉強をしたくなりました。ありがとうございました

その他の回答 (3)

  • jinseiwalk
  • ベストアンサー率23% (372/1603)
回答No.4

「釈迦は慈父弥陀は慈母」というのは方便の教えで、相対的なものです。 仏法は絶対でなければ成仏できませんので相対的な教えは方便としてりかいできたなら絶対仏を目指しましょう。 寺にはもう仏法を説く僧侶はいないと釈尊はお経の中でいっています。僧侶の言ったことよりも釈尊の言うことをとるのが成仏への道です。 これを方便を捨てると言います。方便を捨てられるまで勉強してください。

nakanta
質問者

お礼

ご親切に回答をお寄せいただきありがとうございました。

  • takuranke
  • ベストアンサー率31% (3923/12455)
回答No.2

確か、浄土真宗の宗祖親鸞の唯信鈔文意の撰述で 「この信心のおこることも釈迦の慈父・弥陀の悲母の方便によりておこるなり。これ自然の利益なりとしるべしとなり」です。 、 阿弥陀仏が衆生を救いたいと願を起こされたこと(慈母の心、無償の心、母のように広い慈しみ)を、釈迦仏が経典で説かれた(慈父の心)から、衆生に往生の道(信心)が開けたということだそうです(かなり大雑把です) このことを指して、「釈迦は慈父 弥陀は慈母なり」といいます。 ただ、釈迦は父の慈しみ、阿弥陀は母の慈しみを持っているとするものもあるそうです。

nakanta
質問者

お礼

ご親切にご回答を賜りありがとうございました。私も仏教のことを少し勉強したくなりました。

回答No.1

釈迦は慈父 弥陀は慈母 ですね。 釈迦は男性、弥陀(阿弥陀)は女性神です。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/86322/m0u/%E3%81%98%E3%81%B5/ じふ 【慈父】 思いやりのある、やさしい父親。子に対して深い愛情をそそぐ父。また、父を敬愛してもいう。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/86565/m0u/%E6%85%88%E6%AF%8D/ じぼ 【慈母】 思いやりのある、やさしい母親。また、母を敬愛してもいう http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/87523/m0u/%E9%87%88%E8%BF%A6/ しゃか 【釈迦】 (2)仏教の開祖。世界四聖の一人。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/186109/m0u/%E5%BC%A5%E9%99%80/ みだ 【弥陀】 「阿弥陀」の略。 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/5143/m0u/%E9%98%BF%E5%BC%A5%E9%99%80/ あみだ 【阿弥陀】 (1)〔仏〕 大乗仏教の浄土教の中心をなす仏。

nakanta
質問者

お礼

お礼遅くなり申し訳ございません。ご親切なご回答をいただきありがたく感謝いたしております。今後ともよろしくお願いいたします